第67話 本番の日ー03

 正門のちょうど反対側にある使用人のための通用扉は、喧騒を離れひっそりと佇んでいた。それは冷たい鉄製で、中の様子は伺えない。


 北向きの狭い道路を、数人の通行人が行き交う。ヒイラギの甘い匂いが辺りに立ち込めていて、見回したけれどそれらしき樹木は見つけられなかった。散歩中のテリアからつぶらな視線をじっと向けられて、俺は反射的に笑いかけた。


「おいプファウ。顏、顏。緩んでっぞ。犬に見惚れんな」


 だらしなく壁に凭れ立つ仲間――カイキョウから、ぞんざいな口調で咎められる。


 今日にあたっては、下瞼には念入りに炭をはたき込み、頭髪はかきむしってから、油と泥を練り合わせたものをなでつけた。

 洗い皺だらけの開襟シャツは、盗んだ馬で走り出す非行少年ばりに着崩している。

 靴は念入りにやすりで削って底を減らし、泥を塗り込んだ。爪の隙間を黒く汚すことも忘れていない。


 こうして、文句のつけようのないパーフェクトな反社会的破落戸となって、四人の仲間と共に、王宮の裏に集まったところだ。


 潜入中のレオンは、とうに中にいるはずだし、アナベルとオウミも、すでに入っているかもしれない。残り三人は、船の番。


 レオンの言う通りであれば、俺たちはこれから、ブルソール国務卿の手引きでローゼンダール王宮に足を踏み入れる。少し考えて、俺は言う。


「……破落戸っぽい表情って、どんなだ?」


「そりゃあれだ。俺様の背後に立つんじゃねえぞ――みたいな」


 それじゃ破落戸じゃなくて殺し屋だろう――と内心で突っ込みながら、あまり深刻にならないよう、できるだけ朗らかに、小声で切り出した。


「レクター・ウェインとトマス・カマユーと令嬢が、店に来た」


 四人が同時に、こちらを向く。今も鍛錬を欠かさない仲間の健康的な腕を見て、入れ墨風の落書きを書いても良かったかもしれないな、と思う。

 四人とも破落戸っぽい表情を忘れて、ぽかんとしていた。俺の顏をじっと見て、カイキョウが口を開く。


「……それで?」


「――花を買ってった」


 まさかレクター・ウェインに花を売る日が来るとはなあ……――としみじみ続けると、普段はサラサラの頭髪を油っぽくべったり後ろに撫でつけたカイキョウが、ゆっくり首を傾げる。


「ごめん。ちょっと、その隠語の意味が、わからない」


 よっぽど驚いているらしい。元のインテリっぽい口調に戻っている。こいつは昔っから、野営中でも夜眠る前には必ず本を読んでいた。


「隠語じゃない。そのままの意味だ」


 へえ、と誰かが抑揚のない相槌を打つ。


「俺たちに恩赦を取って、助けたいらしい。理由はアナベルが好きだから」


 四人とも、真顔のまま目を細めた。


「……第二騎士団が?」

「そ。第二騎士団が」


『期待はすべての苦悩のはじまり』と言ったのは、誰だったろう。

 ふと崩れた襟を正しそうになって、そうだ、あえて着崩しているんだった――と手を止める。あの暮らしをうしなって、もう二年も経つのに、身に付いた癖はなかなか抜けない。


 もうシャツの皺に神経質にならなくてもいいし、鏡を見る度、徽章が曲がっていないか確認しなくてもいい。たとえ罪には問われなくとも、俺たちはもう、元には戻れないのだ。

 美しく散った騎士団は、美しく散ったから惜しまれる。おめおめと敵を通して王都を水に沈ませ、自分だけはのうのうと生きていました――と言ったって、誰も喜びはしない。


「リ……プファウ」カイキョウが、俺の名を言い直す。


「それはさ――」


「わかってるって。だから、ちゃんとそう言った。そうしたら、レクター・ウェインは令嬢に、でっ……っかい花束を買って、帰ったよ。令嬢は花をもらって、にこにこ嬉しそうに笑ってた」


 両手を広げて、「でっ……っかい」と冗談めかした。レクター・ウェインとトマス・カマユーは、もし今日、王宮の中でどうしても逃げられなくなったら、自分たちの名前を出せと言った。本気で助けるつもりなのだ。

 けれど、例え絞首刑になっても、俺はたぶんそうしない。


「令嬢が笑ってた」と言うと、仲間たちは同時に「へえ」と軽く笑った。ちょうど門の向こうに人の気配が近づくのを感じて、皆がすっと押し黙る。


 しばらくして、ぎいっと蝶番を軋ませて、小さな通用扉がそっと開く。  


 国務卿がどんな手を使ったのか、扉の向こう側はひとけがなく、衛兵すらいなかった。開いた隙間に、落ち窪んだ双眸がじろりとこちらを見上げる。


 老婆がひとり、立っていた。


「ようこそ」


 氷の無表情のまま、老婆は童話を読み聞かせる母親みたいに優しい声で言った。

 完全に色を失った雪白の髪に、ゆるい陽光が透ける。青白い肌は皺が寄って乾ききっていて、しなびた果実の表面みたいだった。


 ――これが、レオンの言っていたブルソール公爵邸に勤める、肝いりの侍女か。


「死んでかれこれ千年になります」と言われたって「なるほど」とすんなり納得できそうな、生者の気配を失くした女だった。

 誰かに似てるなあ、と思って、最近、博物館に所蔵されて話題になっていた、古代帝国の王女のミイラだと思い出す。


「本日はよろしくお願いいたします」


 破落戸に向かって深く丁重なお辞儀をして、頭を上げるともう俺たちの方を見もしない。

 まっすぐ前方を向き、「こちらへどうぞ」とだけ言うと、迷いのない足取りで先導してゆく。


 王宮に無法者を手引き――その罪は絞首刑相当だろう。けれど老女は、緊張した様子もなければ、疚しいことをしている素振りもない。立ち枯れた枝のような背を、毅然と伸ばして進む。


 落葉樹はあらかた葉を落としていた。けれど、王宮庭園に聳える木々の太い幹と常緑の生け垣が、見るからに怪しげな自分たちの達の姿をうまく隠してくれた。

 噴水のせせらぎの響く方角から、チェロの奏でる優美な音色が届く。違う王宮なのに、懐かしさを覚える。


「おい、侍女さんよ、どこまで行くんだ?」


 途端、老いた侍女は、ぴたりと足を止めた。千年の安らかな眠りを邪魔されたミイラみたいな顔が、億劫そうにゆっくりと、こちらに向き直る。


「……わかりました。それならもう、この辺りでけっこうです」


 胸騒ぎがした。

 

 ――いくらなんでも、これは変だ。


 空をひらりと黒い影が横切って、光が揺れる。


「……そんじゃ、レディ・ブランシュが来るまで、ここで待ってりゃいいんだな?」


 カイキョウが、強い下町訛りを利かせて言う。こいつってば、けっこう多才だな。


「まさか」


「あ?」


 眉を寄せた破落戸達に向かって、老女は静かに微笑する。死人が笑ったみたいでぞっとするのに、この女はかつて大変な美人だったのではないか、とも思った。

 この女は、誰だ――――。


「レディ・ブランシュはここには来られません。陛下と昼餐会の途中ですから。どうやったって無理です」


「……………でしょうね」


 応えたカイキョウの口調は、元に戻っている。

 女教師が学校で子どもたちを前にして説明するみたいな調子で、女は言う。


「その代わり、皆さんには今から、追いかけっこをしていただきます。衛兵や騎士がたくさん集まってきますから、上手く逃げてください。捕まったら、きっと縛り首になりますからね」


 あ、なるほど。


 ――これやっぱり、罠だったか。


 五人が胸の内で、ぽんと手を打ったのと同時に、目の前のミイラは大きく口を開けた。


「だれかあぁぁあああっ!!! 曲者っ!! 侵入者がここに――っ!!!」



 §



 王宮中央棟に位置するブルソール国務卿の執務室は、この国の最高権力者のものらしからぬ、簡素な部屋だった。


 贅を凝らした調度品は、ずっと以前、「邪魔だ気が散る」と国務卿自身が命じて片付けさせたらしい。  


 広すぎて寒々しい部屋の真ん中、金飾りがついた豪奢な長椅子が、ぽつんと配置されている。

 ブルソールは老いた身体を背凭れに預けていた。魂のない置き物のように、じっと虚空を見つめて。


 ――わからないことばかりだな。


 紫紺の騎士服に身を包み、白仮面の下でレオンは考える。


 アラン・ノワゼットに渡してやった証拠は、我ながら完璧だった。なのに何故、ブルソールは国務卿の地位を追われなかった?

 グラハム・ドーンの野郎がしくじりやがったのだろうか?……それとも……?


 ――窓の外から届いた喧騒に、思考は破られた。ほとんど間を置かず、扉が外側から叩かれる。息の荒い声が、鋭く告げる。


「国務卿閣下に申し上げます!」


「――許す。その場で言え」


「敷地内に賊が侵入しました! 駆けつけた衛兵三名をうち倒し、逃亡中とのこと! お気を付けください!」


 それだけ叫び、足音は遠ざかる。


 おや?


 ――……賊ってのは、多分……。


 老いた国務卿は、鎌首をもたげるようにゆるりとこちらを向いた。毒蛇のように薄く、嗤う。


「ほう……衛兵を三人、か。貴様の用意した破落戸は、なかなかの手練れのようだな……とても、ただの破落戸とは思えん」


 げっ、と発しかけた言葉は、寸でで飲み込んだ。


 ――あーこれ、やっぱ罠だったか。


 内心で、プファウらに頭を下げる。すまん皆。上手く逃げてくれ。


 三人の紫紺の騎士が、声もなく音もなく、摺り足ですっと動き、自身を取り囲む。柄を握る手。

 迸る殺気を浴びながら、左袖に隠した針に意識を向ける。三人……だが所詮、相手は護衛騎士だ。まあいける――


 長椅子に腰掛けたまま、ブルソールは皺だらけの片手を上げた。


「やめておけ。そこそこ腕の立つ間諜とみた。第一、ここは王宮。死体を作っては、めんどうなことになる。疲れることはごめんだからな」


 嗄れた声がそう告げた途端、紫紺の騎士達は柄から手を離す。部屋に満ちていた殺気が少し薄くなる。


「さあて、貴様は仲間を助けに行ってはどうだ? どこの手の者かは知らんが、多勢の王宮騎士が相手では、分が悪かろう」


「ええ? 俺のこと見逃がしてくれるんですか? お優しいっすね、国務卿ってば。侵入者の方は、心配しなくても大丈夫でしょう。ほら王宮騎士は基本、王宮では抜剣しないでしょうから」


 軽薄に返すと、ブルソールは唇をへの字に歪めた。


「なんだつまらん。貴様、騎士団から送り込まれた間諜ではないのか」


 ああ、と頷いて、壁にかかった肖像画の一枚を見やる。絵の中から簡素な部屋を見つめる、まだ若い両親とその幼い息子。


「残念ながら。俺を泳がせても無駄ですよ。騎士団とは関係ないし、芋づるの先は、何にもない。……前ディクソン公爵の件は、お気の毒です。きっとご無念だったでしょう。――特にレイモンドは……まだ子どもだ」


 ちょっと揺さぶってやろうと思った。国務卿は、光を失った濁った眼差しを上げた。ふっと失笑を漏らし、嘲るように話し始めた。


「レイモンドは――凡庸だった。おどおどして、何をやらせても失敗ばかり。厳しくすると、ますます委縮した。父親は少しは見どころのある奴だったのに。……かつてのヒューバート・ディクソンの方が、いくらか利発であったよ。あれも今では使えん木偶の坊だが。レイモンドが生きておったところで、そう良くなったとは思えんね。まったく、誰に似たのか……愚鈍な役立たずばかり生まれてくる」


 早世した孫に対して、あんまりな言い草だ。この男にとっては、血を分けた者も道具に過ぎない。本当に、血も涙もない――


 だから――、と国務卿は平坦な声で続ける。


「――だから、レイモンドがこの世で最も嫌ったのは、公爵家であり、この儂だ。レイモンドは最後の時も……儂を忌み、憎んだろう」


 枯れ木のような身体は、やけに小さく、萎れて見えた。


「……だから、レディ・ブランシュ・ロンサールに懸賞金を掛けた? 憎い第二騎士団を、苦しませようと?」


 問いかけると、濁った瞳は僅かに光を宿す。薄い唇を歪めて、国務卿は嗤う。


「……なるほどなるほど。探っておったのはそれか。まったく、馬鹿馬鹿しい話だ。あの小娘を弑して、あのアラン・ノワゼットの父親が何を困る? あの男にとって息子の婚約者など死のうが生きようが、目の前の皿に蠅が止まる程度の些事だろうさ。交換させて、それで仕舞いだ。第一、前ディクソン公爵の馬車を襲ったのが第二騎士団でないことくらい、とうに解っておる」


「え?」


「暗殺に、わざわざ制服を着ておった? あほらしい。もちろん当時は、調べ尽くした。その結果、あの夜にアリバイを証明できない騎士は、ほんの二人しかいなかった。たった二人では、あの襲撃は不可能。内紛を狙った愚か者の謀略だったのだろうが。あの木偶の坊は、妙なセンチメンタルに駆られて勘違いしておるようだが、事件が起きた当初から誰しも、半信半疑だった――」


 職業柄、嘘を見抜くことには自信があった。目の前の老人は、どうやら真実を語っている。

 国務卿は間違いなく騎士団を嫌悪しているが、それは昔からの政治的対立のせいであって、事件のせいではない――?

 思わず天井を仰いで低く唸った俺に、国務卿は低い声で続ける。


「――ただひとりを、除いてはな」


「…………どういう意味です?」


 さあな、と国務卿は薄い肩を竦め、乾いた咳をした。


「今なら見逃してやる。得にならんごたごたは好かん。しかし、ぐずぐず留まるなら、王宮騎士を呼ぶ」


 窓や廊下の外では、王宮騎士のものと思われる長靴の音が入り乱れている。プファウ達を捜索しているのだ。

 国務卿が咳交じりに放った声を聞いた紫紺の騎士たちが、呼子を咥えた。このままここにいると、面倒なことになるのは間違いない。

 

 身を翻し、足早に国務卿の政務室を後にする。


 ここは一旦、仲間の誰かと合流するべきだ。アナベルとオウミか、プファウたちを探そう――すれ違う騎士や衛兵は、紫紺の制服を着た自分には目もくれなかった。怪しまれぬよう、粛々と足を進めながら、考える。


 ――『ただひとりを、除いてはな』


 どういう意味だろう。ディクソン公爵邸で襲撃事件の話を聞き及んできたアナベルは、会合で何を話していたっけ。


「――……証言した人間がいたらしい。『犯人は間違いなく、第二騎士団の騎士だった』と」


 仮面の下で、ぽつりと独り言ちる。


 地獄にいたその時に、その目で見たのだとしたら。

 いくら後から周囲が間違いだと言っても、自分の目で見たものを、疑うだろうか。



「…………襲撃を生き残った、ひとり……?」



 

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