第65話 本番の日―01(いろいろ視点)

 指が透けて見えるほど薄い白磁のカップに淹れられたお茶は、信じられないくらい芳しい。


「本物のお花の蜜を飲んでいるみたいです」と感動を伝えたら、遠い異国の王宮から贈られた茶葉の名は本当に花茶と言うのだと、王宮の侍女様が丁重に教えてくださった。


 世の中には、まだまだわたしの知らない素敵なものが沢山ある。

 爽やかで甘い風味に舌鼓を打ち、わたしはほうっと息をつく。

 

 窓の外に目を遣ると、真っ青に澄んだ空が見えた。とびっきりの、ガーデンパーティ日和だ。


 わたしは今、王宮にあるノワゼット公爵の執務室内のソファーに腰掛けている。

 この部屋はとにかく広い。続き間にはベッドルームが二つもある。たぶんだけれど、王宮の中で最も良い部屋の一つに違いない。


 黒い騎士たちが忙しそうに出たり入ったりを繰り返している扉付近で、ウェイン卿が厳しい表情で騎士らに何か指示を出している。声はここまで届かない。小さく頷いて応える騎士たちの表情も、真剣そのもの。

 

 ――春のそよ風のように微笑するウェイン卿も素敵だけれど、研ぎ澄まされた刃の如き眼差しでお務めを全うされるウェイン卿……やはり秀逸ねぇ……。


 うっとり見入って頬を熱くしていると、視線に気づいたウェイン卿がこちらを向いた。


 呑気な思考を見透かされないよう、両手で持ったカップの湯気に鼻を寄せて誤魔化していると、ウェイン卿が歩み寄ってきた。


「令嬢、退屈でしょうが……今しばらく、お待ちください」


「いいえ。退屈だなんて、とんでもありませんわ。有意義に過ごしております」


 何しろ、わたしが王宮に来ることだって、過保護なランブラーの反対にあった。ウェイン卿の傍で大人しくしている、という条件で、ここにこうしている次第である。

 にっこり微笑んで見せると、ウェイン卿は安堵したみたいにほっと息をつく。


「両陛下主催の昼餐会が終わり次第、レディ・ブランシュはここに戻って来られます。アナベルはカマユー達が必ず探して連れて来ます。令嬢はここで待機していてください。ここは安全ですから」


 はい、と頷くと、ウェイン卿も頷き返す。わたしの隣に腰を下ろしながら、「心配無用ですよ」と軽く笑った。


「レディ・ブランシュには、オデイエ、キャリエール、ラッド、エルガー、アイルがぴったり張りついていますから」


「あら。鉄壁って感じですね」


 はい、と彼は自信に満ちた声で言う。


「その上、昼餐会の広間は第一騎士団が取り囲んでいる。第二騎士団の騎士は全員招集して待機させていますし……この状況で、一体、何を仕掛けるっていうのか……」


 微かに首を傾げて、最後の方は独り言のように、ウェイン卿は呟いた。


 ブルソール国務卿と、修道士モンクの目的……。

 リーグの話を聞いてから、わたしもずっと考えている。

 けれど、この謎を解くにはヒントになる材料があまりにも少なかった。


 ブルソール国務卿とは、ほんの挨拶を交わしただけ。


 修道士モンクとは、会ったことすら、ないのだから。


 ウェイン卿につられて向けた視線の先――まぶしい空には、鴉が数羽、なめらかに弧を描いて舞っていた。


 

§



 化粧の濃い、香水をふり過ぎた三十路過ぎの女盛り。

 社交界ではそこそこ名の知れた美貌の外交官夫人は長椅子に腰掛け、気怠い溜め息をついた。


 祖国ハーバルランドから、外交官である夫と伴にローゼンダール王宮にやって来て、かれこれ五年――結婚から数えると十二年になる。

 結婚したばかりの頃、チョコレートフォンデュの海を泳ぐように暮らした。

 わたしはなんて甘やかな星の下に生まれたのだろう――そう思ったものだった。


 何と言っても、わたしは容姿に恵まれただけの平凡な男爵家の娘であったのに、夫は将来を嘱望された遣り手の外交官で、次男とはいえ伯爵家の血統なのだから――――。


 長く伸ばし、完璧に手入れされたワインレッドの爪先に見惚れて息をつく。仕事なんてしたこともないし、重い物を持つのもまっぴらだ。


 手は年齢を表すと言うけれど、毎晩メイドに時間をかけてマッサージさせる手指は若い頃と変わらない。マニキュアの色を変えてみようかしら。上品で華やかなシャンパーニュベージュ。ほっそりした自慢の手と、薬指に輝く大粒のダイヤモンドによく映えるに違いない。


 ――まったく嫌だわ……こんな真似をさせられて。マニキュアが剥がれたら、どうしてくれるのよ。


 それでも、しょうがない。今の自分に他の選択肢がないことくらいわかっている。


 ――との契約なのだから。


 盛大な溜め息をつきながら、ついさっき贔屓の商店から届いたばかりの荷物に視線を移す。そろそろ約束の時間だ。


 ここは、ローゼンダール王宮内の一角に与えられた外交官の私室。

 この王宮自体は広大だけれど、小国ハーバルランドの一外交官に当てられた部屋は陽当たりが悪く、広いとも言い難い。

 田舎男爵家である実家の子ども部屋の方が、ずっとマシだった――もっとも、調度品だけは桁外れに上質だけれど。


 五年前、この国に来たばかりの頃、王宮の外に屋敷を構えてくれないかと夫に頼んだことがある。


 屋敷があれば、自身の采配で茶会や昼食会を開くことができる。知り合った夫人や令嬢を招待して場を仕切り、交流を深め、交際の幅を広げることができる。

 それはきっと、見ず知らずの土地で、わたしの力となった。上手くやれば、夫の役に立てるような気すらした。


 けれど、夫は一笑に付した。


 王宮に住まいを与えられることは何よりの名誉であり、ステイタスであり、外交官にとって政治の中枢に常駐することは、非常に重要なことなのだよ――夫は噛んで含めるように、わたしに言い聞かせた。


 だから、こんな羽目になったのよ。


 天鵞絨の絨毯の上に所狭しと並ぶ、木箱。


 街の商店から運び込まれた、ドレス、化粧品に雑貨、書籍、高級酒の箱には、わたしのものと分かる印がつけられている。

 国際条約で守られている外交官とその家族の私物には、王宮の門を守る衛兵ですら、手を出せない。


 大切な爪が折れないように注意しながら、厳重に閉じられた箱の封を解いてゆく。


「――時間よ。早く出て」


 木箱の蓋が、内側から押し上げられて自然と開く。人の身体が、にょっきりと生えるように現れた。

 軽い動作でふわりと箱から出ると、柔らかな絨毯を踏みしめ、それぞれが身体を伸ばし始める。


 十人もの成人が姿を現すと、途端に空気が薄くなった気がして、わたしは息苦しさを覚えて大きく息を吸う。


 いずれも闇をどろりと溶かしたような目をして、薄気味悪いことに、互いに言葉を交わしもしない。

 その中に一人、若い女が混じっていることに気づいて、あら、と目を瞠った。


 ほっそりした体つきの、表情は乏しいけれど澄んだ目をした、銀髪の娘だ。地味な侍女の制服を着て、化粧気はないけれど、目を惹く整った造り。間違いなく美人に分類される。


 いったい、どんな事情があって若い女の身空で修道士モンクと関わって王宮に侵入するなんて羽目に陥ってっているのだろう――自分と同じような理由だろうか。


 もし、この計画が失敗したら――この娘は絞首刑になるだろう。かわいそうに……まだ人生はこれからという歳なのに。


 では、わたしは? 王宮に不審者を引き入れたことが知られたら、わたしはどうなるかしら? 


 この国では、罰を課されない。外交官の妻だから。国外退去させられて、祖国に戻って、その後は……強大な隣国に仇なした女を、愛する祖国はどう扱うだろう? 

 ……心が、脳が、それ以上深く考えることを拒む。


 ――だって、しょうがないじゃない。


 そうよ、しょうがない。八方塞がりで、こうするより他、道がなかったのだから。


「さあ、言うとおりにしたわよ。……これで本当に、例の件は帳消しにしてくれるのよね?」


 声は思いのほか弱々しく震えていた。わたしは自分で思うよりも、この状況に怯えているらしい。


「ええ、あのお方の仰ることに、二言はありません」


 答えたのは、木箱から出て腰を捻っていた中年の男だ。白い制服姿。知らない者が見たら、ローゼンダール王宮第一騎士団の騎士に見えるだろう。だけど、目を凝らせばすぐに分かるに違いない。


 こんな嫌らしい目つきをした騎士が、いるはずないのだから。


「もう行くわよ? わたくしは、何も知らない! 何もね!」


 ――そうだ。わたしは悪くない。この後に何が起こるかも知らない。弱みを握られて、こうしなければ、わたしは終わりだった。


 怯えを見透かした男の濁った目が、弧を描く。


「……もちろんです。骨折りご苦労様でした。お礼の代わりに、私めからアドバイスを一つ。……くれぐれも今後は、あの場所に足を踏み入れられませんように」


 男は慇懃な態度で腰を折ってみせる。小馬鹿にされたのを察して、胸の内で激情が弾けた。


「い、言われなくても、わかってるわよっ!! もう二度と、賭場になんか近づくものですかっ!!」


 くすり、と部屋のどこかから嘲笑めいた音が湧く。この部屋にいる者で、今の言葉を信じる者なんかいないのだ。自分自身すらも。

 わたしは俯いた。

 左手の薬指に嵌めた指輪を右手でせわしなくいじる。完璧に手入れされた手指。甘皮も丁寧に処理した、艶やかなワイン色の長い爪。傷一つない。美しくて、空虚だった。


 今こうしている間にも、恋しくて堪らない。あの激しい胸の高鳴り、全身に血が駆け巡るような興奮、エクスタシーにも似た高ぶり――ああ、もっと、もっと欲しい。


 母から結婚する時に譲られた、家に代々伝わる指輪。一生大切にするつもりだった。

 けれど今、この指に光るダイヤは模造品だ。本物は二年も前に、賭け金に変えてしまったから。次は、次こそは、きっと取り返せるはず――――――。


 ――……はず、だったのに。


「これでもう、貴女の借金はチャラですよ。良かったですねぇ。いよいよ、貴女の身体だけでは返済しきれなくなって、王宮に取り立てに伺うところでした……この役目を与えてくだっさった、あのお方の温情に感謝されませんと……」


 ねばつくような嫌らしい声が、耳元で囁く。吐きたいくらいぞっとするのに、わたしは力なく頷く。


「……そうね……」


 わたしはまた、同じことを繰り返すだろう。

 そして、修道士モンクに弱みを握られる――わかっている。

 大負けしては後悔に苛まれ、その度に決意を固める。努力して、やっぱり我慢できない。それの繰り返し。

 助けて欲しかった。この深い穴から這い出したい。けれど、それは無理な話だ。この国には、この手を引いてくれる人なんていやしないのだから。


 夫はこの国へ来てしばらくして、わたしへの興味を失った。

 一度だけ、夫が囲っている女を馬車の中からそっと盗み見たことがある。自分とよく似た女が、夫の腕にしなだれかかって笑っていた。髪の色も瞳の色も、背格好も、頭の足りなさそうな笑い方も、何もかも。ドッペルゲンガーのような女。


 悲しみも怒りもなく、ただ妙な気分だった。この容姿が好きなんでしょう? どうせ同じものを選ぶなら、一つで良いじゃないの。


 国に帰らせて欲しいと頼んだけれど、それだって一笑に付された。外交官の妻が役目を放り出して一人で帰るだって? 馬鹿馬鹿しい。

 わたしへの興味は失っても、支配欲は失せないらしい。


「もし捕まっても、わたくしを巻き込まないでちょうだいよっ!!」


 きんきんと甲高い声でヒステリックに云い捨てて、わたしはいつものように、都合の悪いものから目を背ける。

 逃げ去るように部屋を出て、勢いよく扉を閉めて。走りにくい細いハイヒールで、廊下の向こうに全力で駆ける。


 今から何食わぬ顔で、明るい陽の下のガーデンパーティに加わるのだ。そうすればこの胸を焦がす衝動も、何もかも、忘れられるかもしれない。


 この国の言葉のイントネーションは、夫のように上手くマスターできなかった。この国の貴族たちは、どこか憐れんだ眼差しをわたしに向ける。

 時折、早口で交わされる冗談が聞き取れなくて視線を泳がせると、彼女たちはうっすらと目を細める。女たちは鋭い。わたしが欠けていることに、感づいている。


 いいわ。存分に、期待に応えてやるわよ――享楽的で浅はかな笑みを、べったりとこの顔に貼り付けて。



§



 ――あれ? おっかしいなぁ。見当違いだ。


 見るからに情緒不安定そうな外交官夫人が走り去った扉を見つめて、オウミは内心で首を傾げた。


 あの香水臭い外交官夫人、この場で口を封じられるんじゃないかと気を揉んだけど、あっさり行かせたところを見ると、どうやらまだ使い途があるらしい。ほっとした。


 いや、あのご夫人がどうなろうと、ステーキの皿にのってる乾きかけのパセリや、新聞の隅っこの星占い欄くらい、どうでもいい。

 他人にいちいち感情移入していては、間諜なんて務まらない。


 だけど、ちょっとややこしくなるとこだった。

 騎士だった仲間ときたら、総じて弱いものがやられてる場面を嫌う。


 今縛り上げても何とかなるけど、修道士モンクの手下には、まだ勝手に喋っといてほしい。

 拷問は最小限に――が鉄則である。あれはどうしても色んなものが飛び散って、手や服が汚れる。これでも結構きれい好きなのだ。

 

 視界の隅で、王宮で働く侍女の紺色の制服姿の女がすらりとした身体を捻っている。

 彼女はどんな状況でもストイックだ。相手が雑魚でも、きちんと準備運動する。

 その度に、後頭部で一つに結んだ銀髪がさらりと揺れている。腕を曲げ伸ばしながら――


 ――アナベルが、苛立たしげに瞳を眇めた。


 彼女も、この困った事態に気付いたらしい。


「さあて! 無事に王宮への潜入を果たした諸君に、あのお方からの指令を伝えよう――」


 こっちの困惑も知らず、リーダー格の四十代の男は居丈高な声を上げた。


 修道士モンクに近しい場所にいる男は、夫人の消えた扉をねっとりした眼差しで見つめた後、配下の者たちを満足そうに見回した。

 ぱっと見は、物静かそうな、わりと頭が切れそうな顔をしているのになぁ――。


 さて――と男は皮肉めいた口調で話し出す。


「知っての通り――我々には後がない」


 この場にいる全員が、軽く頷く。

 騎士や衛兵の制服に身を窶し、変装している。かく言う自分も、黒い騎士服姿だ。

 白、黒、浅葱からどれかひとつ選べと言われたら、絶対に黒。理由は簡単――返り血が目立たない。


 この場にいる者たちは、修道士モンクの手下の中では手練れの部類と思われた。ざっと頭数を数えて、内心で舌打ちする。


 ――十人か。しまったなあ。


 足りない。事前に慎重に調べあげたから、間違いない。

 侵入する頭数は、十五。

 五人も足りない。班が二つに分かれたのか? まずいな、ここで全員仕留める計画だったのに――想定外だ。


「君たちは、社会のはみ出し者だ。誰からも必要とされず、忌み嫌われる。見たまえ、窓の下を。煌めく太陽の下、笑って暮らす人々。王宮という輝かしい場所で過ごせるのは、選ばれた一握りの人間だ。光射すあちら側に住む人々。どれだけ憧れ渇望しようと、我々はあの中には決して入れない」


 男は無法者達に向けて芝居がかった調子で両手を広げる。自己陶酔劇場かよ、と内心で突っ込む。こっちは急いでるっていうのに、前置きが長えな。


 しかし、職業柄、ポーカーフェイスは得意である。おくびにも出さず悪ぶった顔して頷いていると、満足そうに見回して、側近の男は嘯く。


「だからこそ、そんな我々に居場所を与えてくれた修道士モンクに感謝し、忠誠を捧げようじゃないか。あのお方は容赦はないが、忠誠心には報いてくださる――」


 余韻たっぷりに言葉を繋ぐ側近の男の瞳の奥にあるのは、しかし、明らかに焦りだ。

 つい先日、摘発を受けた秘密クラブ。その責任者だったのが、この男だった。


 本来ならとっくに消されていておかしくない失態だろうに、何とか取り入ったらしい。今日の任務を無事にやり遂げれば、不問に付されるってとこだろう。


「我々はやり遂げなければならない。そうでなければ、修道士モンクは我々を――捨てるだろう」


 捨てる――と言った時、男の瞳には畏怖すら浮かぶ。

 時間があれば、修道士モンクの正体も掴みたかったな。だけど、まあいいや。

 レディ・ブランシュの顏に掛けられた三万フラムの懸賞金の方に、専念しよう。


 誰かの依頼を受けた、修道士モンクの仕業なのは、わかっている。


 ならば、今から与えられる指令の内容には見当がつく。


 ……レディ・ブランシュを害せ、と言うのだろう。


 レオンとアナベルは静かに立腹していて、他の騎士だった奴らも「女性の顔を傷つけるだとぉ! けしからん!」と憤慨していた。

 だけど俺は正直、ブランシュ・ロンサールなんてどうでもいい。あの冷血公爵の婚約者。イカれた女に違いない。――だけどなぁ……。


 ――ふうわりと、砂糖菓子のように笑う令嬢の姿が脳裏に浮かぶ。


 ――よく似ていたなぁ……。



 守れなかった人に。



 俺たちはあの一週間、海の上で夢を見たのだ。生きた美しい令嬢の姿に、もう会えない亡霊を重ねた。幸せだった。


 もちろん、別人だ。あの令嬢の為に何かしたからって、何が覆えるわけもない。

 だからこれは、この感傷に折り合いをつけるための儀式のようなものだ。

 新天地に行ったあと、二度と戻らない故郷に想いを馳せるとき、淡く揺らぐ記憶のすべてが昏い水の底では、救われない。

 少しで構わないから、あの令嬢の笑顔のような柔らかな光で思い出を彩りたいのだ、俺たちは。


 男が、胸元から折り畳まれた白い紙を取り出した。広げて高く掲げ持つ。


「ターゲットは、この似顔絵の男だ。見て覚えろ。細身で身長はこの私と同じくらい。髪色は黒。瞳の色はこげ茶。右目の下に泣き黒子」


 右目の下の泣き黒子が気弱な印象を与える平凡な顔立ちの男が、絵の中からぼんやりとこっちを見ている。予想外の展開に、内心で首を捻る。


 ――……男だと? 誰だ?


「今日、この王宮にいるのは間違いない。手分けして見つけ次第、必ず仕留めろ。やり遂げた者にはシマでも金でも女でも、望みの褒美が与えられる」


 こちらをぐるりと見回し、ひとつ頷くと、側近の男は指先に陽炎を灯した。

 似顔絵はまたたく間に火に包まれる。指を焦がすんじゃないかと心配したけれど、男は落ち着いた所作で、炎の塊を暖炉に放り込む。ぽうっと一瞬、明るい光を放ち、それは暖炉の中で灰になって消えた。


「……ひとつ、いいですか?」


 浅葱の偽騎士が、手を上げた。ねばつくような笑み。


「生まれてはじめて、憧れの王宮に入れたんだ。少しは愉しんでも?」


 修道士モンクの側近の男は面倒そうにそいつを眇め見て、やがて諦めたように息をついた。


「やるべきことを果たした後ならな。好きにしろ。どうせ、正義や道徳とは無縁の寄せ集め。あのお方も、理解されているだろう」


「この機会に、少しばかり懐を潤してもいいってこと?」


「……ああ、少しならな。但し、気を付けろ――もし捕まれば、王宮への侵入罪は良くて永遠にシャトー・グリフ、ふつうなら絞首刑だ。わかっているだろうが、助けはない」


 男は少し黙って、考える素振りを見せたが、にやりと下卑た笑みを浮かべる。


「だって、ばれっこない。この制服、完璧じゃない? 無垢な花を暗がりに引込んで、蕾を摘んで味見させてもらう、絶好の機会だ」


 笑いを噛み殺すのに苦労する。聞いて呆れる。どこが完璧だよ。その顔ときたら! 偽の制服は精巧でも、品性のなさは駄々もれだ。

 側近の男は呆れたように口元を歪めた。


「ま、いいんじゃないか。その程度のいたずらなら、大した問題にはなるまい。欲望に忠実であることは、はみ出し者に許された数少ない特権だ」


 そうそう、とにやついた男は嗤う。


「だから、やめられない」


 くく、と下卑た笑いが室内に満ちる。

 内心でやれやれと肩を竦めて、ちらと視線を流すと、案の定、アナベルのいる辺りから冷気が迸っていた。

 目の前の彼らが、気の毒になってくる。川に突き進んで集団自殺するレミングの群れを見ているようだ。ああもう、やめておけ。楽に死ねなくなるぞ。


「ただし――」


 リーダー格の男は、眉根に力を込め、低い声を出す。


「――あのお方からの、最優先事項を伝える。もし、これを破った者は、あのお方の逆鱗に触れることになる――」


 その声が帯びる尋常ならざる真剣味に、無法者たちは一斉に押し黙る。

 修道士モンクの逆鱗に触れる――まるで鞭に打たれた子羊ように、無法者たちの目に畏れが走った。

 

「あのお方が大切にされている白い花が一輪、今日のこの王宮にある。その髪の一筋、睫毛の一本にでも傷をつけた者は、似顔絵の男と同じ目に遭うだろう……」


 流石に耳を疑う。修道士モンクの大事なお気に入りが、この王宮にいるだって?――白い花……女か? 

 そいつを辿れば、あるいは――修道士モンクの正体だって。


 至極真面目な顔で、側近の男は続ける。



「白い花――――すなわち、レディ・リリアーナ・ロンサールとその家族には、決して、手を出してはならない」



 …………何か、聞き違えただろうか?


 視界の端で、殺気だった瞳を眇めたアナベルがゆらりと首を傾げる。


「…………は?」


 自分の知りうる人類の中で、およそ最強である仲間の邪魔にならないよう、静かに壁際に退きながら、俺もまた、ゆっくりと首を傾げた。これはなかなかに――



 ――ワケが、わからんぞ。



 

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