第64話 密談
生花店の奥に通されたわたしは、小さな丸椅子に腰かけていた。
『CLOSED』と書かれた看板を立て、天幕を下ろした店内は薄暗い。バケツにはまだ、売れ残った花たちがたくさんの美しい顔を咲かせている。日差しを遮られた彼らは、心なしかしょんぼりして見えた。
「お店、閉めさせてしまってごめんなさい」
申し訳ない気持ちで言うと、プファウはひょいと広い肩を竦めた。
「いいのいいの。この店、跡を継いだ三代目がどうしようもない遊び人でさ。夜は元気にクルチザン地区に繰り出すんだけど、朝は低血圧と二日酔いで働きたくないんだってさ。で、こうして俺が一人で店番してるわけ――ま、お陰で助かってたけど。昼過ぎには出てくるから、たまには自分で売ってもらおう」
「はあ……なるほど」
「ああちなみに、ここのオーナーは、俺の正体、知りませんからね。しょっぴくなんてのは、無しで頼みます」
頬は緩めつつ、プファウは真剣な口調でわたしの背後にいる二人にそう言った。表情を変えないまま、ウェイン卿は軽く頷いて見せる。
それにしても――とプファウは、テーブルの上に柔らかく細めた目を向ける。
「令嬢の手作りクッキーとはね。皆に自慢してやろう」
「こんな風に突然押し掛けたお詫びも兼ねております……驚かせて、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げると、軽く首を振りながら彼は片頬を上げる。
「いいよ。令嬢の手作りクッキーまで貰えて、むしろラッキー。皆、羨ましがって地団太踏むよ、きっと」
クッキーの包みを持ち上げ、プファウは鮮やかに笑った。そう言えば、レオンやアナベルからは感じる陰りのようなものを、この人からはあまり感じない。
「わたしも、またお会いできて嬉しいです。逃げないでくださって、ありがとうございます」
プファウは大仰な仕草で、胸に手を当てた。
「やだな、この俺が、令嬢からいただいたクッキーを壊すような人でなしに見えます?」
ふふ、と笑い合うと、傍に立つカマユー卿がこれ見よがしな咳払いを落として口を開く。
「そろそろ、本題に入っても構わないかな?」
胡乱げな表情を貼り付けた黒い騎士二人を代わる代わる見やり、プファウはふっと失笑を漏らす。向かいの丸椅子にどさっと腰を下ろしながら、プファウはけろりとした声を出した。
「――どうぞ。話って何です? ――にしても令嬢ってば、ふつうなら美化してるはずの記憶の姿を、軽く上回るなあ……実物はさらに神がかってる」
「はあ……?」
にこにこと笑いかけられ首を傾げると、視界の端でカマユー卿が頬を引き攣らせた。
「……なんか、想像してた感じと違うな……?」
「…………」
ウェイン卿とカマユー卿から目を眇められ、プファウはひらひらと手で払う振りをする。
「あ、あれでしょう? もっとニヒルなの想像してくれてました? レオンとアナベルの仲間だもんね? あいつらも昔は、もうちょっと丸かったんだけどねぇ……」
「…………」
「…………」
冗談めかして言うプファウに、騎士二人は微妙な表情を向ける。
ここに来てから、ずっと不機嫌そうなカマユー卿は、苛立ったようにまた咳払いを落とした。何か思い当たったのか、プファウは口元をつと手で覆った。
「あ……トマス・カマユー卿って、アナベルのあれか……」
「何か?」
カマユー卿がじろりと睨みつけると、プファウはにやーっと頬を緩ませた。
「いいえ、べつに……ふぅーん……」
カマユー卿はますます苛立ったように睨みを利かせる。プファウの方は平然とそっぽを向いているけれど、一触即発の気配を察して、わたしは急いで口を開いた。
「それでね、プファウ、早速ですけれど、わたくしたち、アナベルに会いたいんです」
オリーブ色の瞳を細めて、プファウはあっさりと頷いた。
「わかった。言っとくね」
「あら、ありがとうございま――。じゃなくって、言伝てでは会ってくれないでしょう? 居場所を教えてください。押しかけたく存じます」
ええ? とプファウは、困ったような笑みを浮かべる。
「いやあ……。令嬢の頼みなら、叶えてあげたいのはやまやまだけど……」
「お願いします」
深々と頭を下げてからじっと見つめると、プファウの困惑は深まる。手を首裏に遣りながら、彼は居たたまれなさそうに目を逸らした。
「いいなあ、アナベルのやつ、人気者だな……。いやしかし、本当に無理なんだよ、ごめんね」
更に頼み込もうと口を開きかけると、プファウは困ったように頭を掻いた。
「……というか、俺もマジで知らないんだ。オウミと二人で
「拷問なんて、決して致しません! ね、ウェイン卿! それより――」
わたしの問いかけには答える余裕もなく、ウェイン卿が途端に眉を顰めた。
「アナベルが
カマユー卿の空色の瞳は、不安げに揺らぐ。
「その、オウミとかいう奴は、腕は確かなんだろうな? 何かあったら、アナベルをちゃんと守れるのか!?」
凶悪な闇組織――そんな場所に、アナベルがいる。わたしの胸もぎゅっと掴まれたように苦しくなる。アナベルが、今まさに危険に晒されていたら……どうしよう。
たちまち不安に曇ったわたしたちの顏を見回して、プファウは一瞬きょとんとして見せた。やがて、あははと弾けるように笑いだす。
「いや、令嬢はともかく、あんたら、マジでアナベルのこと好きなんだね。すげえな、アナベル。――だけどさ、逆だよ逆。オウミは情報収集の腕は舌を巻くものがあるけど、強いかって言われると、そうでもないかな。逃げ足は早いけど。あ、オウミってのは、ちなみにノア・シュノーって名乗ってディクソン公爵邸で深緑の騎士やってた奴ね。一方でさ、皆さんの印象ではアナベルは随分か弱い女の子みたいだけど、
「え、そうなの?」
目をまん丸くしたカマユー卿の問いに、プファウは得意げに目を細めた。
「うん。アナベルは……そうだな……そちらのレクター・ウェイン卿にも引けを取らないんじゃない?」
「まあ、アナベルったら、すごいのねぇ……」
「いや、それはない」
「いえ令嬢、流石に俺は、アナベルには負けません」
感動して胸を押さえたわたしに対して、カマユー卿とウェイン卿は、ふっと鼻で笑って見せた。プファウは遠い目をして薄く笑う。
「ええ、わかりますよ。みんなそう言いますから。だけどいずれ、己の脆弱さを思い知り、打ちのめされる日が来る……。かく言う俺自身も、そうだったからねぇ……」
その言葉には実感が籠っており、えもいわれぬ重みがあった。しかし、カマユー卿は馬鹿馬鹿しいと言いたげに首を振る。
「いやいや、プファウとやら。君はウェイン卿の強さを知らないから――」
「知ってるし。俺、あんたらとガリカ谷でやりあったもん」
「え、マジで――?」
カマユー卿とウェイン卿が同時に目を見開くと、プファウは口端を上げて頷いた。
「今更、じたばたしてもしょうがないから言うけど、俺、元ハイドランジア西方騎士団所属で、本名はリーグ・ホワイトって言う。これでも最強と謳われた西方騎士団の中では――いや……まあ、結局は全滅したわけだから、最強でもなかったか……レクター・ウェイン卿のあの夜の陽炎は、今でもたまに夢に見るよ。あの悪天候の中、空まで燃え……――」
プファウはわたしの顔を見るなり、はたと言いかけた言葉を呑み込んだ。こほん、と咳払いする。
「ま、こんな話はどうでもいいや」
オリーブ色の瞳は優し気に笑う。
「……リーグ、ホワイト……?」
おそるおそる呼ぶと、プファウことリーグ・ホワイトは、びっくりしたみたいに目を瞠った。それから破顔して、片手で胸を押さえる。
「うわあ、令嬢に本名呼んでもらえる日が来るとはね。ぐっとくる」
「……リーグ」
「ありがとう。令嬢」
心から嬉しそうに、彼は笑った。どうしてか、視界がじわりと滲む。
「……アナベルも、レオンも、あの船の優しい人たちは皆、呼んでもらいたい本当の名前があったの?」
湿った声が出ると、三人は同時に愕然と目を見開いた。
「えええ! いいや、泣かないで! お尋ね者だったから、皆で祖国ハイドランジアの国花にちなんで、アジサイの品種から名前選んだんだ。風流じゃない? えええ!? すすすみません! ごめんなさい!!」
瞳に張る膜が、雫を支えきれなくなる前に、ウェイン卿に優しく抱き寄せられた。頭と背を暖かい手で撫でられて、ウェイン卿の外套が濡れる。
「ちぇー、ラブラブっすね」
口を尖らせるリーグに、わたしの頭を抱き寄せたまま、ウェイン卿が真剣な声を出す。
「その件だが、リーグ・ホワイト。君が罪に問われることはないんじゃないか? ガリカ谷は凄惨だったが、西方騎士団に戦争犯罪行為はなかったはず」
「ああ、……一旦退いて立て直すこともできたのに、最後までよくやったと思う」
しんみりした口調でカマユー卿に言われて、プファウことリーグは、柔らかく目を細めた。
「ああ……あの時、なんで退かなかったのかは、現場にいた俺たちにとっても、最大の謎」
へえ――と言いながら、カマユー卿は少し気の毒そうに目を細めた。
「なぜ、逃げる?」
ううむ、と少し考えて、リーグは穏やかに微笑した。
「……俺ら十一人、一蓮托生って決めたから?」
カマユー卿が眉を顰めた。
「誰か、……仲間の内に、戦犯に問われる奴がいるってことか? 間諜だった……ロウブリッターや、オウミってやつか? それなら、うちの団長が雇いたがってる。……思うとこあって第二騎士団が嫌なら、他の高位貴族だって欲しがるよ。ハイドランジアの間諜は、凄腕なことで有名だ」
ゆるく微笑んだまま、リーグは首を横に振った。
「いいや、戦犯なんて断じていない。俺たちは、誰も卑劣な真似なんかしない。間諜だった奴らは多少後ろ暗いだろうけど、あいつらは逆に抜かりないからね。自分の恩赦を何かと交換するくらい、どうとでもできるんじゃない?」
「じゃあ、何故――」
「だけど、どうだろう? 逆の立場だったら、あんたらは俺を信用できたか? 勝った奴が白いって言えば鴉は白鳥になり、黒いって言えば白鳥は鴉にされる。俺たちは、もうこれ以上一人たりとも失えない。リスクを冒すくらいなら、残った全員で新大陸を目指す。これはもう決定事項で、どうやったって覆らない」
口許はひっそりと笑んだまま、オリーブ色の瞳は強い意思を宿して、答えをはぐらかした。辺りに沈黙が落ちて、わたしはしばし、返す言葉を探す。
「…………アナベルとオウミが、
視界を滲ませたまま問うと、リーグはにこりと笑う。
「うん、そう。乗りかかった船だから……こういうの、結末わからないと気持ち悪いじゃない? 令嬢は何も心配しなくてもいい、アナベルは冗談抜きで――」
「どうして、そこまでしてくださるんです?」
いくらアナベルが強く、オウミが情報収集に長けていても、闇組織に潜入だなんて。やはり危険はあるし、手間暇がかかることこの上ない。
ああー……とリーグは手を伸ばせば届きそうな低い天井を仰いだ。
「……ハイドランジア人はさ、元来、世話焼きなんだよ。気に入った相手が困ってたら、ほっとけない性質なの」
……それだけの理由で? 訝しく思って首を傾げたわたしに視線を戻して、リーグはゆっくりと語る。
「……まあ、そうだね、他に理由があるとすれば……あの夜、突然レオンが拐ってきた令嬢が、ちょっと似てたからかな? 俺たちの、共通の知り合いだった女の子に」
知り合いだった女の子。
それは過去形で、わたしに向けられたリーグの眼差しはとても優しかった。
「わたし……アナベルともう一度会いたいんです。どうしても、お願いします」
眉尻を下げたリーグは、困惑気味に頭を掻く。
「……うーん、決めたんだけど……実際、拷問でもされるなら絶対に言わないつもりだったけど、……令嬢、泣いちゃうんだもんなあ……参ったなあ」
カマユー卿は背を伸ばし、リーグを真っ直ぐに見つめた。
「俺は――正直言って、お前らを完全には信用していない。だけど、アナベルは別だ。新天地に行くにしても、片道切符にはさせたくない。もし、向こうが辛い場所だったなら、いつか、故郷に帰りたくなったなら、いつでも戻って来られるようにしておいてやりたい」
へえ……と声を漏らし、リーグはゆっくりと瞬いた。
「だから、事情を話して欲しい。絶対に、自由にしてみせるから。絶対に一人も欠けさせない。約束する。何があっても、アナベルと――君らを助ける」
カマユー卿の言葉は真摯に響いたけれど、リーグはやるせなさそうに目を伏せた。
「いやー……それは、実際に話を聞いても、そう言ってくれるかな……どうかなぁ……」
しばらく迷うように沈黙した後、リーグはゆっくり口を開く。
「――少なくとも、俺の一存では決められない。……でもまあ、いいよ。レオンとアナベルも、令嬢に会いたいと思ってる。そこまで言うなら、いっぺん直接説得してみる? だけど、それで駄目だったら、諦めてやってほしい。それぞれ事情があって、辛い立場だから」
こくこくと三人で頷くと、静かに笑って、リーグも頷く。
「……とは言ったものの、最後の会合はちょうど昨日、終わったんだ。次に会うのは『本番』。それまで、お互い連絡取れない。ここまで来るの結構苦労してさ、皆でコツコツ集めた情報持ち寄って……俺のせいで失敗とか、できないからなぁ……」
「本番?」
「何だそれ?」
ウェイン卿とカマユー卿が、たちまち訝しげに眉を顰めた。リーグは少し考えるように黙っていたけれど、「まいっか」とあっけらかんと口を開く。
「『本番』で、ブルソールと
俺らの計画では、それを止めて犯人たちを始末して――そのまま新天地に発つ、だったんだけども……」
「……何? ブルソールと
「……仕掛ける? 何を?」
リーグは軽く肩を竦め、何でもないことのように明るい口調で続ける。
「週末に王宮で開かれるガーデンパーティだよ。ノワゼット公爵とレディ・ブランシュは、国王夫妻主宰の昼食会に呼ばれてるだろ?」
「ああ」
「それがどうした?」
「その日、ブルソールの手の者が、王宮に破落戸を引き込んで、レディ・ブランシュを襲わせる――」
「あら、まあ……! 大変……」
思わず両手を頬に当てて言うと、ウェイン卿とカマユー卿がゆるりと首を傾げた。
「「……は?」」
「いやいや、おかしな話だよ……。でもまあ、ここまで来たら、やらないわけにはいかないっていうか」
リーグののほほんとした声に、カマユー卿とウェイン卿は前のめりに口を開く。
「レディ・ブランシュを破落戸が襲う? なんだそれ? 馬鹿馬鹿しい。成功するわけないだろうが」
「雹が降ろうと槍が降ろうと、何があろうとも、レディ・ブランシュからうちの騎士が離れることはない。春の襲撃以降、レディ・ブランシュの護衛は第二騎士団の最優先事項になっている」
「あ、やっぱり?」とリーグはおかしそうに笑う。
「俺たちも、何かの策略の一部だろうとは思ってる。ブルソールはさ、だけど破落戸を使って何かするつもりだ。まあ、何事もやってみなくちゃさ、計画の全貌は掴めない。虎穴に入らずんば虎子を得ずってね」
「まさか……」
目を瞠ったカマユー卿に、リーグはあっけらかんと応える。
「そ。その破落戸役、俺らが務めさせてもらうつもり」
「……! 王宮に、侵入するつもりか!? 馬鹿か!? 死ぬぞ!!」
リーグは顎を上げて、うっすらと笑う。
「大丈夫。破落戸のなりをしてても、中身は俺達、ハイドランジアの騎士。少なくとも、護衛騎士如きにはやられない。ちゃんと血を流さないように、撤退できる」
「――やめとけ! 王宮には一体、何人の騎士がいると思って、」
カマユー卿の声を遮って、リーグは平然と続ける。
「しかも、王宮騎士は王宮敷地内では血を流さないように努めるんだろ? 抜剣しないなら、絶対に逃げ切れる。――それよりさ、同じ日に示し合わせたように、
「「……は?」」
「あらまあ、大変」
眼と口をぽかんと開けたウェイン卿とカマユー卿の反応を見上げて、リーグは満足げに、にかっと破顔する。
「
「…………と言うと、つまり……?」
目を丸くしてわたしが問うと、リーグは我が意を得たりと言いたげに大きく頷いた。
「そ。王宮に潜入する
「……な、な、な?」
陸に上がった魚のように、カマユー卿が口をぱくぱくさせる。
ウェイン卿は眉を顰めて顎先に手を遣り、考え込むように黙ってしまった。
だからさ――とプファウはわたしに向かって朗らかに微笑する。
「アナベルに会いたければ、当日、王宮にいれば会える可能性が高いよ。あとさ、俺も破落戸役で入る手筈なんで……ここ、見逃してもらえます?」
軽く首を傾げ、うっすらと笑んだリーグは、二人の騎士を試すように見やる。
「…………」
「…………」
目を丸くしたカマユー卿と、真剣な表情を浮かべたウェイン卿が、そんなリーグの顔をまじまじと見つめ返した。
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