第53話 乗船資格ー01(トマス・カマユー視点)

 宿や酒場が軒を連ねるコンフリー大通り。その路地裏を、トマス・カマユーは歩いていた。


 ――……明日はどこ探そう?


 深い溜め息をつきながら、裏通りに面した酒場宿の重い扉を押す。途端、酔っぱらいたちの喧騒に、耳をつんざかれる。

 被った外套の下から店内をざっと見回して、自身の肩が落ちるのがわかった。


「……こんな騒がしいとこに、いるわけないか……」


 ここのところ毎日、『いいよ』『貸しにしといてやる』と言ってくれるアイルとエルガーに手を合わせ、仕事を早めに上がらせてもらっている。


 そうして思いつく場所は、一通り探した。職権もうっすらと濫用して。

 ごく最近、貴族や商家に雇い入れられた者。職業斡旋所。いないとは思いながら、念のため娼館の並ぶクルチザン地区まで――見落としているのでなければ、どこにもいない。


 今は王都の宿屋と酒場を順に見て回っている。しかしまあ、見つからない。清々しいほど、見つからない。いよいよ海に落ちた針を探す気分に陥ったあたりで、時計の針は、日付が変わる深夜を指している。


「……今日は、ここまでかー……」


 煮詰まった頭を押さえて、呻くように言う。こんな時間、こんな場所をアナベルが出歩いているはずもない。

 

 家に戻る気分にもなれなかった。どうせ眠れないのなら、どこに居ても一緒だから――と、カウンター席の隅に身を滑り込ませた。

 化粧の濃い売り子の一人に手を上げてビールを頼む。はみ出し気味に真っ赤に塗られた唇をへの字に曲げ、若い売り子は面倒そうに頷いた。これは、いよいよ……。


 ――レディ・リリアーナに、協力を仰ぐ……?


 リリアーナなら、アナベルの仲間の顏を判別できる。発見の確率は、単純計算で十倍に跳ね上がる。

 しかし――折れそうに華奢な令嬢の姿を思い浮かべて、やっぱ無理か……と諦めの息を吐く。

 リリアーナを連れ出すなら、ロンサール伯爵、ウェイン卿、ノワゼット公爵の了承を得なければならない。なんなら、あの人たち、心配してついて来そう。……念のため、アナベルの事情を聞くまでは、大事おおごとにはしたくない。


 ドンッと置かれたビアグラスから溢れた泡が、古びたカウンターの木目を濡らす。


「あのさ、人、探してるんだけど――」


 チップを多めに払いながら、銀髪で青い目の――とアナベルの人相を尋ねる。売り子の女は不機嫌そうに眉をひそめ、俺の全身にさっと視線を這わせた。もちろん、下町であるここでは、王宮騎士の制服は外套の下に隠している。

 チップの数を確認した店員は、少し機嫌を直した様子でそれをポケットに仕舞いながら「銀髪の女なんて目立つと思うけど、見覚えないわね」と首を横に振る。


「あ、そう――じゃいいや。ありがとう」


 言うと、売り子はすぐさま気怠い顔つきに戻った。たった今、隣の席に座った男に向かって「注文は?」とぶっきらぼうな声を投げている。

 売り子の愛想のなさはひどいものだったが、口をつけたビールはふつうに苦くて美味かった。



 ――もう一度だけ、会えたなら。


 この前は悪かったって謝ろう。きちんと、味方になるって言おう。それから事情を聞かせて欲しいと頼んで、アナベルがまっとうな生活を送れるように――


 盛大な溜め息をつきながら、アナベルに伝えたいことを反芻する。視界の隅、隣の席の男のごついブーツが見える。


「――カマユー卿」


「……………?」


 ぽかんと口を開けて、俺は瞬く。

 声がした方向、隣の席に座るのは、黒い外套を被った小柄な男――なんかじゃなかった。この声は――


「……アナベル……?」


「お久し振りです。カマユー卿」


 顏をすっぽり覆ったフードを、片手で少し上げて顔を見せる。海の色の瞳と視線が合って、夢か幻かも知れないと、俺は瞬きを繰り返す。


「――アナベル……なんで……? いや、それより、この前は俺が悪かった。令嬢も悲しんでるし――」


 事情を聞くから、戻って来て欲しい――用意していた言葉を早口でまくし立てる途中で、アナベルは穏やかな笑みを口許に浮かべた。


「今日はちょっと、最後にどうしても、頼みがあって」


「え?」


『最後』って言われちゃったよ――二つに折られた紙片を差し出されるのを、やるせなく受け取る。アナベルは、冷ややかな声で言う。


「その住所で、強制売春が行われています。主にハイドランジアの少女達と、この国の子もいる。貧しさにつけ込まれて、北部から騙されて連れて来られてる」


 へえ、と開いた紙片には、王都の中でも特に治安が良いとされている閑静な高級住宅地の住所が記されていた。貴族の家が建ち並ぶマジェンタ地区に隣接する、あの辺りは――高い外塀と高木に囲まれた、大きな屋敷。悲鳴は外まで届かない。


 どんなえげつないことが行われているか、想像できた。住所は記憶して、紙片は胸ポケットの奥に仕舞う。


「――わかった。急いで何とかする」


 真剣に頷くと、アナベルも頷き返す。そのまま、彼女は椅子を降りた。


「それじゃ。よろしくお願いします」


「……は?……いやいや、ちょっと待て!」


 また、逃げられるかと思ったが、アナベルは立ち止まった。フードで覆われた顔だけが振り向く。


「――あの、えーと、今、どこにいんの? 例の件、まだ調べてんの?」


 深夜を過ぎた酒場にいるのは、すっかり酔いの回った客ばかりだった。隣席の声も届かない喧騒だが、念のため内容は伏せ低い声で問うと、アナベルは軽く頷いて見せた。


「掛け主を探すのは、時間と手間がかかり過ぎるから、方向変えることにしました。今は反対側にいます」


 あっさりと応える。懸賞金を掛けた可能性があるのは、ディクソンやブルソールだけじゃない。その他、疑わしい者は数えきれない。その反対側――?

 強制売春を把握できるような――って言うと……。


「……まさか――」


 問いかけた言葉を遮るように、アナベルは人差し指を自身の唇にそっと当てた。すっと身を寄せるように隣の席に戻ったアナベルに、小さく囁いて問う。


「――修道士の頭巾党モンクスフードにいるのか?」


 無言で小さく頷かれる。


「はあっ!? やめとけ! 危ない!」


 修道士モンク――この大陸に巣食う、闇組織の黒幕。王宮騎士団ですら、未だその正体を掴めないでいる。

 強制売春と懸賞金は、修道士の頭巾党モンクスフードのほんの一端だ。修道士モンクが関わったとされる犯罪は、酒や武器の密造密売、違法賭博、麻薬の密輸、盗品売買、大掛かりな詐欺、そして殺人まで――キリがない。

 中でも目を惹くのは、貴族しか知り得ない情報を元に行われる盗難や詐欺事件が多数あることだ。

 修道士モンクの正体は、この国の貴族の誰か――もしくは、それにごく近しい人物と目されている。


 思わず大声を出した俺に、アナベルはまた自身の唇に人差し指を当てて見せる。平坦な声で言う。


「問題ありません」


「はあ? あるわ! 俺の寿命が縮む!」


 強めに断言してやると、外套の下に覗く口許が、皮肉っぽく弧を描いた。


「危険を感じるほど深く潜れたら、話が早くて助かるんですけど。なかなか――修道士モンクの用心深さときたら……。強制売春は、末端で偶然に知れただけ。残念ながら、お話にもならない雑魚ばっかり」


 苛立ちを交えて吐き捨てるように言うアナベルは、そう言えば、全力の俺を振り切るくらいの実力がある、騎士なのだ。


「いや、それでも……やっぱり危ない。修道士モンクがどれだけ容赦ない奴か、わかってやってるか? 俺たちだって、あんだけ巨大に膨れ上がった組織、ただぼーっと見てたわけじゃない。だけど、尻尾に近づきかけたら、消えるんだよ――潜入者や証人が、忽然と」


 そして、彼らの身がどうなったかは、想像に難くない。悔しさを滲ませて真剣に言った声に、アナベルは軽く首を竦める。


「私たちは、修道士モンクの正体はどうだっていい。ロンサール家のために、懸賞金の掛け主を見つけたいだけ。だから問題ありません」


「いや、だけどさ――」


 やめさせたくて焦るこっちの気も知らず、ああそうだ――とアナベルは淡々と続ける。


「賭場の情報も掴めたんですけど、そっちは大陸を離れる前に送ります。あまり大々的に密告すると怪しまれるから。とりあえず、急を要する強制売春そっちの方、お願いします」


 呆気に取られるこっちを一瞥すると、するりと椅子から降りる。


「それじゃ」


 そのまま、立ち去ろうと背を向ける。


「……えっ! いや、ちょっと待て!」


 逃げられないように、手を伸ばして外套をはしっと掴む。情けないけど、走られたら、きっと追い付けない。

 フードを目深に被ったアナベルの顔が微かにこっちを向いて、細い顎が覗く。不機嫌そうな口許は、今にも舌打ちしそうである。

 負けじと、俺はにっこり笑いかけて余裕のある振りをして見せる。


「ええと、アナベル? 今、なんて言いました……?」


 ものすごく不機嫌そうな低い声で、アナベルは言う。


「……賭場の情報は後で、って。……そんなに早く知りたいですか?」


「違うわ! 『大陸を離れる前に――』って言った? 離れんの? 大陸を? この国を出るだけじゃなくて? 自分の国には帰んないの? もう戻らんの?」


「はい」


 無感情な声で、アナベルはあっさり頷く。これはそう――あんたには関係ないだろ――と思われている。

 くらっとした。片手でアナベルの外套を握り、もう片手で額を押さえて、俺は全力で引き留める方法を考える。


「……えーと…………そ、それじゃ……せめて、最後に一杯、付き合ってくれませんかね……? 驕るから」

「は?」


 へらっと笑って見せる。

 これはきっと、相当痛い男だと思われている。それでもって、後でノア・シュノーやロウブリッター相手に、笑いの肴にされるかも。「黒鷹のストーカー、この期に及んで私と飲みたいだってさ」と大笑いしながら言われるかも。

 それでも構わない。一秒でも長く、一緒にいられるなら。


「…………」


「…………」


 沈黙に耐えかねた俺が、いよいよ死にたくなり始めた頃、アナベルはゆっくりと、首を縦に振った――まったく意外なことだけど。



 

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