第49話 歌劇場ー01
「それで……、アナベルが行きそうなところ、やっぱり、思いつきませんよねぇ……?」
外出の用意を整え、私室を後にしたわたしの呟きに、思案顔で首を横に振るのはエントランスホールに向かって一緒に歩く、アリスタ、ニコール、ペネループ、メリルの四人だ。わたしの大切な友人でもある、自慢の侍女たち。
明かりの入ったシャンデリアが、夕闇に包まれた屋敷を真昼のように照らし出していた。
長く息を吐きながら、ニコールは考えるように眉を寄せ顎を叩く。
「身一つで追い出された女の行き先っていうと、だいたいのところ相場は決まってます。昔の伝手で、いろいろ聞いてみたんですけど――手掛かりはさっぱりでした」
隣に立つペネループが、アナベルを思い出したのかぐすっと鼻を啜り、瞬きを増やした。
「彼女、ジェームスが熱ある時、すごく親切にしてくれて……。お見舞いに、って花までくれたんですよ。人を悪く言わないし、すごくいい人だったのに。追い出されるみたいに、居なくなっちゃうなんて……」
「……今頃、どこで何してるんだろう。ほら、あたし、外の世界での女の生きにくさは存分に身に染みてますから。女一人ってだけで辛い目に遭うことも多いから……無事でいてくれたらいい」
美しいエメラルドグリーンの瞳を持つメリルの言葉に、そうね……とわたしのついた溜め息は、侍女たちのそれと重なる。
ただ、アナベルは幸いなことに、きっと一人じゃない。レオン達がついているはず。「みんなきっと、適当にやっています」と言っていたのは、曖昧に誤魔化されただけだってことくらいわかっていた。連絡は取り合っていたに違いない。
――だけど、どうやって?
この屋敷に、他のメンバーが出入りしていた様子はない。
カマユー卿から聞いた、ディクソン公爵邸の『ノア・シュノ―騎士』には、ちっとも気付かなかったので、見落としている可能性も捨てきれないけれど……。
「お花って言えば、あたしも……」
考え込んでいると、最近しっかりさに磨きがかかってきたアリスタが首を傾けた。柔らかそうな猫っ毛のポニーテールがふわっと揺れる。
「あたし、毎週土曜日、午後からお休みをいただいているじゃないですか?」
「妹さんの病院に行くためでしょう? ステラの具合、どうなの?」
心配そうに問うペネループに、アリスタは嬉しそうににっこり笑って見せる。
「びっくりするくらい良くなったんだ。もうすぐ退院できるって。これも旦那様が、王立病院に入れるように取り計らってくださったおかげ」
良かったね、とペネループとメリルに両側から肩をぽんぽんと叩かれ、アリスタは「ありがと」と控えめに頷いて見せてから続ける。
「それで、土曜には決まって、アナベルが花束をくれたんです。『妹さんへのお見舞いに』って言って」
「花束?」と聞き返すと、アリスタは真面目な顔で、はいと頷く。
「初めは庭師に頼んで貰ったのかと思ってましたけど、ここのお庭にはない色の、珍しいアジサイもあって――綺麗な白アジサイです。……いつも同じ包装紙で巻いてあって……わざわざ早起きして、どこか決まった店で買ってくれてたのかも……」
「お花屋さん……?」
「あ、それ、わたしがジェームスのお見舞いにってもらったのも、それかも」
ペネループも言う。何か引っ掛かる。アナベルが花を買うために、早朝、外出するところを想像してみようとした――ところで、大きな声がホールに響いた。
「レディ・リリアーナ!」
振り向くと、それはイザーク・メイアン従騎士だった。わたしの外出着にさっと視線をはわせ、焦ったように駆け寄ってくる。見つかってしまった。
「今からお出かけですか? 自分、お供します。あっ、馬引いてきますから、すこしお待ちください――」
そういえば最近、あんなに尖っていたメイアン従騎士はすっかり丸くなった。笑いかけて、明るく応える。
「ごきげんよう。お疲れ様です。今夜は例の、マージョリーに誘ってもらった歌劇に行ってまいります。演目の都合で日程に少し変更がございまして、結局、オデイエ卿とはご一緒できなくなったのですけれど」
アナベルもいなくなってしまったし……と内心で続けて溜め息を落とす。メイアン従騎士が緊張した様子で頷いた。
「自分がご一緒します。すぐに馬を――」
いえ――と言いかけた言葉は、大階段の下の柱時計が時を告げる音に遮られた。時計を見て、ニコールが声をかける。
「リリアーナ様、ディクソン公爵様がお迎えにいらっしゃるお時間です。エントランス階段も降りて、下でお出迎えなさいます?」
「あら本当、そうするわ。時間ぴったりにいっらしゃいそうだし」
「ディ、ディクソン公爵っ!? な、な、なぜです!?」
仰天したように大声をあげたメイアン従騎士を、ちらと見やる。彼は最近、体調が優れないようだ。今も顔色が良くない。
「あら、メイアンさんったらあの場にいらしたのですから、ご存じでしょう? 先週お約束した通り、本日はディクソン公爵様がご一緒してくださって、歌劇場のバルコニー席を貸してくださるんです」
気遣うようにゆっくり言うと、そんな……とメイアン従騎士のチョコレート色の瞳がまあるく見開かれる。トリュフチョコみたいだわ。
「ディクソン公爵様は、舞台正面の特等バルコニー席を通年押さえておられるのですって。すごいですよねぇ」
感心して言うと、イザーク・メイアン従騎士の顔が、みるみる青ざめていく。
ディクソン公爵とマージョリー――どうかしら?
この際、僭越ながらキューピッド役を務めさせていただこうと思い立った次第である。やりすぎは出歯亀になってしまうから、あくまでも自然に。二人の気持ちを尊重しつつ、やってみる所存である。
「ですから、メイアンさんはご一緒いただかなくて結構です。今日は遅いですし、もうお休みになってください。環境が変わって、お疲れが溜まっていらっしゃるのじゃありませんか? わたくしの方は、深緑の騎士様たちも一緒ですから、ご心配なく」
――マージョリーも一緒だしね。
メイアン従騎士の顔は、不思議なことにますます青くなった。チョコレート色の瞳に、涙の膜がなみなみと張り始める。
――ん? 泣いちゃう……? なぜ?
「いや、だって……副団長って、すごくかっこいいんですよ! あんなに格好いい人、この世に二人といません!!」
「メイアンさん……!」
感動のあまり、両手で口を覆う。
まったく同感。ついに、わたし達は分かり合えた。メイアン従騎士ったら、ウェイン卿への愛を語りたいらしい。粛々と、わたしは頭を下げる。
「ありがとうございます、メイアンさん。ですが、その話はまた日を改めてにいたしましょう。もうすぐディクソン公爵様がいらっしゃいますから」
後ろ髪を断ち切るように固い声で言うと、チョコレートの瞳が大きく揺らぐ。よっぽど、ウェイン卿の素晴らしさについて語り明かしたい気分らしい。その気持ちは痛い程よくわかった。
「あ、あの! レディ・リリアーナとウェイン卿、すごく、すごーく、お似合いだなーって……!」
まあ、と胸を射抜かれて押さえる。社交辞令と分かっていても、思わずバンザイ三唱したくなる。
しかし、頭に乗ってはいけない。これはアレだ。この前は本当のことをはっきり言いすぎて、わたしを傷つけてしまったと思われているのだ。
――とてつもなく見る目があるだけじゃなく、お優しい心根をお持ちなのね。
「メイアンさん。わたくし、理解しているつもりです。先日、教えていただいた件は、何があろうと決して忘れません。ご期待を裏切らぬようにいたすつもりです」
きりっと真面目な顔で決意を口にすると、メイアン従騎士がぎょっとしたように瞠目する。
「こっ、こっ、この前のは……! ち、ちがっっ」
心配になるほど青くなり瞳を潤ませるメイアン従騎士がそう叫んだ時、ちょうど門を深緑の馬車がくぐってくるのが見えた。
「あら大変。それじゃ、そういうことですから」
「あ、待ってください! せ、せめて、アイル卿か誰か、呼んできますから、それまで待っ……」
小走りでエントランス階段を降りて頭を下げる。
それとほとんど同時に、徐々にスピードを落としながら近付いてきた四頭立ての大きな馬車が、ゆっくりと馬車止めに停まった。
顔馴染みとなった深緑の騎士達がひらりと馬から降りてきて、笑顔で馬車の扉を開けてくれる。差し出された手を取って乗り込むと、広いキャリッジには予定通り先客がいた。
「ごきげんよう」
ディクソン公爵と、マージョリーと、その付添いの侍女だ。
簡単に挨拶を交わし、マージョリーの隣に腰を下ろし、わたしたちは微笑み合う。
外からはこの馬車の中は見えにくいようなので、車窓から身を乗り出すように手を振ると、アリスタとニコールたちがスカートを摘まんで礼をしてくれる。メイアン従騎士の顔だけは、呆然と青ざめている。
心の中で「ごめんね」と謝った。
――……一緒には、連れて行けないの。
今回の外出の目的は、歌劇だけではない。他にもいくつかあって、何よりも重要なことは――。
――アナベルを、見つける。
第二騎士団の騎士と一緒にいたら、アナベルやレオン……船に乗っていた人達は、きっと現れない。だからあえて、ぎりぎりに部屋を出た。オデイエ卿にお仕事があったのは偶然だったけど、助かった。女性騎士は希少だから、こうなるような気はしていたけれど。
もう船でどこか遠くに去ってしまった可能性はゼロではないけれど、カマユー卿から聞いたところによると、アナベル達はブランシュの懸賞金の件を調べてくれていたらしい。
――『令嬢のことは、私が必ずお守りしますから』
あのとき、何気ない会話で交わした言葉を、彼女たちは実行しようとしてくれていた。
まだ、彼女は近くにいてくれている気がする――ただの勘だけど。
いつも、どこか遠くを見つめていた海の色の瞳。
――アナベル……。出口の見えない昏い場所に、閉じ込められているの?
海のように優しい、わたしの大事な友人。
――それなら、わたしがきっと、あなたを出口まで連れて行く。
わたしがそうしてもらったように。
船に乗っていた、アナベルの仲間たち。レオンやプファウ……優しい彼ら全員の顏を、わたしは知っている。わたしが一人でいれば、向こうから接触してくれる可能性だってある。
ここは一旦、外に出る。
王都をひたすら出歩き、彼らの内一人でも、見つけ出してみせるから――
――待っていてね、アナベル……!
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