第48話 海の色(アナベル視点)

 青藍色の羽を持つ美しい鳥が、目の前の枝に止まる――イソヒヨドリだろう。

 ローゼンダール王都のはずれ、深い森を徒歩で突き進むと、途中から息づくものの種類が変わる。植物や飛ぶ鳥。そうして、次第に濃くなるのは潮の香りと波の音――海はすぐそこだ。やがて、視界は急に拓ける。


 森の外れの入り組んだ岸壁に、私達の船は泊めてあった。


 この辺りの海流は悪く、航路を外れているおかげで、通りかかる船はない。もし見られたとしても、外国の商船らしく見える偽装もおそらく完璧に施せている。


 森を背にして、その甲板に立つ。果てのない青の眩しさに、思わず目を細めた。

 ――そう言えば、この海と同じ色をした、『わたしを忘れないで』という名の花があった。


 ぱちん、と小気味良い音が近くで響いて、私はその色から目を逸らす。


「――ってことだけど、おかしくねえ?」


『火気厳禁』と外国語で記された古びた木箱の上に腰掛け、ぱちんと音を立てて剥いたピスタチオを行儀悪く投げて口に放り込みながら、レオンは不思議そうに首を捻った。


 アッシュグレーの髪と青灰色の瞳。近衛師団長の年の離れた弟は、見た目はよく似ているのに、性格はまったく似ていない。この同期の男は、育ちの良さをあえて隠したがっている節がある。


「たしかに、変だな……」


「だよなあ……あ、アナベルも食う?」


 食欲なんかない。いらない、と首を横に振る途中に、レオンは殻のついたピスタチオをこちらに放り投げた。こうやって人の話を聞かないあたりも、師団長とはちっとも似ていない。


 仕方なく手を伸ばして受け取り、少し考える。返すのも捨てるのも変かと諦めて、黙って剥いて口に放り込んだ。

 プファウが市場で売れ残りをもらったというそれは、少し硬くなりかけてはいたが、ほどよく塩気が効いていた。


「な? うまいだろ?」


 まるで自分の手柄のように得意げに口端を上げたレオンが、さらに五つ投げる。空に弧を描いたそれは、今度は手を伸ばさなくともちょうど手の中にぱらぱらと落ちてきた。


 レオンは、紫紺色の騎士服を身に纏っている。口元が嘴のように突き出た不気味な仮面を膝に置いて、脇に置いた紙袋に無造作に手を突っ込む。ピスタチオを一掴み、仮面の中にどさっと入れたかと思うと、「これ、後引くわー」と憑りつかれたように剥き始める。


「――ブルソール公爵邸ってなんか厳しそうじゃん。すんなり馴染めてんの? 紫紺の騎士様?」


 レオンの隣の木箱に腰かけてピスタチオを剥くプファウが、茶化した風に訊く。レオンはそれをふっと笑い飛ばした。


「この俺の手に掛かれば、どんな場所だろうと余裕で馴染める。ハイドランジアの誇る世界最高の諜報のノウハウを舐めてもらっては困る。中でも、なりすましは俺の最も得意とする分野――」


 へいへい、とプファウが返す生返事を気にも留めず、レオンはどこか得意げに続ける。


「しかもブルソールはあれ、人間を駒扱いし過ぎて、裏ではすっかり嫌われてる。ブルソールの配下の者たちは内心では善良なる木偶の棒、ディクソンが一刻も早く跡を継いでくれることを願っている。皮肉なことに、周囲の貴族の中でブルソールを本心から敬愛しているのは今や、ディクソンただ一人なんじゃないか」


 レオンが言うと、向かいの木箱に腰かけるオウミがしんみりと息を吐く。


「ああ、ディクソン公爵……。ほんっと善い人だった。屋敷の従業員はもれなく、めちゃくちゃ美味い三食茶菓子付きの一日八時間労働。完全週休二日、長期休暇ありだよ? すごくね?」


 おおすげえなー、とプファウが大袈裟に返すと、剥きにくい殻に爪を立てて格闘しながら、オウミがさらに大きく息を吐きながら続けた。


「まじて居心地良かったのに、黒い騎士にめざとく見つかってたとはなぁ。いやー、しくじったわ。……アナベル、悪かったな」


 帆柱に凭れて立つ私を見て、オウミが片手を顔の前に立てる。

 口調からして、本気で申し訳ながっているらしかった。

 それにしたって、オウミの目は糸のように細くて、真面目に話していても笑っているように見える。付き合いがそれなりに長くなければ、とにかく感情がわかりにくい。


 いいよ、と私は微笑して首を振る。


「しくじったのは私もだ。それで……? その女が、紫紺の騎士に何だって?」


 レオンがピスタチオを口に放り込みながら、微かに眉をひそめた。


「ブルソールには、腹心の侍女がいるんだ。歳は見たとこブルソールと同じくらい。これがなんでも、半世紀弱も昔からブルソール公爵邸にいるって噂の、化石みたいな老女だ。

 無表情で、しわがれた声でぼそぼそ話す、主人に似て不気味な女なんだが――その女が、俺に国務卿からの命令だと言って、消えても誰にも怪しまれない破落戸を五、六人見繕って来いってさ」


「――破落戸?」


 思わず訝し気に低くなった私の声に、ああ、と頷いてレオンは淡々と続ける。


「来月、王宮で開かれるガーデンパーティ。裏から手引きされた破落戸連中はこっそり王宮の庭園へ忍び込む。そいつらの目的は、レディ・ブランシュを木蔭に引っぱり込むことだ。コトが済んだところで、現場を見つけた紫紺の騎士おれたちがその場で破落戸どもを斬り捨てる、って筋書きらしい」


 ふぅん、と思わず低くなった私の声に構わず、仲間たちは次々に明るい声で手を上げる。


「あ、その破落戸役、俺やりたい! レディ・ブランシュのこと、誠心誠意、この命を懸けてお守りしてみせるから」

「俺も! あのレディ・リリアーナの姉君で、傾国の佳人かー……あくまでも純粋な心根で、お目にかかってみたい」

「俺も俺も! 運が良かったら、レディ・リリアーナともう一回会えるかもしれないしさ」

「――いいよなー、オウミとレオンは、また会えたんじゃん?」


 ああ、とレオンは半眼になる。


「王宮の庭園でばったり会ったけど、こっちはこの格好ナリだし、声もかけられず。おまけに隣にレクター・ウェインいるし」

「俺はディクソン公爵邸で物陰から……それでも、癒されたわー。何だろね、あの絶対的な天使オーラ」

 

 紫紺の騎士姿のレオンと、深緑の騎士だったオウミが名乗れなかった残念さを滲ませて言う横で、プファウがにかっと鮮やかに笑う。

 

「確かに、お前ら適役じゃね? 破落戸の格好、違和感なく似合いそうだもんなー」


 プファウに揶揄られた仲間は「うるせえわ」「お前ほどじゃねえわ」と口々に返す。

 だけどさー、とオウミがその遣り取りは無視して首を傾げる。


「裏社会を牛耳る修道士モンクに伝手があるのに、そんなまどろっこしい真似する必要ある? 得体の知れない破落戸を王宮に引き込んで、レディ・ブランシュを襲わせる? いくら国務卿が多少のことは揉み消せるって言っても、やり方がハイリスクだなー。懸賞金や例の劇薬使わせた方がよっぽど安全じゃない?」


 プファウも納得できない様子で、顎先に手をやる。


「確かにな、修道士モンクと仲間割れでもしたのか……?」


 レオンも眉を寄せる。


「ブルソールは誰のことも信用していないし、ものすごく用心深い。この俺が三か月も潜ったのに、『修道士モンク』と繋がる証拠どころか、不正の証拠すら見つけられなかった。――甥っ子のディクソンの方も、見たとこシロっぽいんだろう?」


 そうだね、とオウミが細い目を一層細めて頷く。


「ヒューバート・ディクソンが、よっぽどの役者か多重人格者じゃない限り、あの人はシロだね」


「何か見落としてる気がして、こう……なんかモヤッとするんだけどなあ……」


 レオンが、胸の辺りを叩きながらぼやいた。


 修道士の頭巾党モンクスフードと繋がる証拠を掴み、懸賞金の掛け主を見つけない限り、ロンサール家の安全は脅かされたままだ。


『令嬢のことは、私が必ずお守りしますから、ご安心ください』


 ――私は、リリアーナと約束したのだ。


「この件だけは、去る前に解決しておきたい」


 私が言うと、仲間たちは一様に頷いた。


 一体、誰があんな懸賞金を依頼したのか。レディ・ブランシュを傷つけて、胸がすく人物……。今のところ、思い浮かぶのはブルソール国務卿だけだった。しかし――


「ロンサール家の面々は人の恨みとは無縁そうだけど、あの第二騎士団の野郎どもがなぁ……」


 私の考えを読んだように、レオンが舌打ち交じりに言うと、オウミも大きく頷いて同意する。


「アラン・ノワゼットとレクター・ウェインが一つずつ虱潰しに調べているらしい。けど、買った恨みの数が多すぎて捌ききれないんじゃない? 動機って意味だけで言えば、俺たちだって充分、怪しい。やらないけど」


 それなら――と私は口を開く。


「こっちはこっちで、調べる方向、変えてみる……?」


 オウミが口角を上げて、軽い感じで口を開く。


「そうだね。俺も失業しちゃったし。次は試しに、逆から潜ってみようか。ここまで来たら乗りかかった船だ、やっぱ真相は知らないと、気になる」


 頭上を飛ぶカモメを見上げて、プファウが大きく伸びをした。明るい声を出す。


「それでもって、レディ・リリアーナが幸せになったの見届けたら、いよいよ大陸離れるかー。金はそんな貯めらんなかったけど、行っちまえば何とかなるだろう」


 ピスタチオを剥く手元に視線を落としたレオンが、静かな声で「……そうだな」と応えた。



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