第42話 こうなった理由ー02
呆然とした様子のメイアン従騎士を横目に、ディクソン公爵は嘆息交じりに続ける。
「……まあそれ以来だよ。もともと人に厳しく、変わり者だった伯父、ブルソール国務卿がさらに人嫌いになったのは。騎士団とその関係者を叩き潰し、陥れることを生きがいに……後のことは、君らも知っているだろ?」
なるほど――とその場の誰もが納得して頷く。ブルソール国務卿のウェイン卿へのあのひどい態度の理由が、ようやく腑に落ちる。そんなことがあったなら、例え世代が変わっていても、制服が目に入るだけで辛い思いが甦るに違いない。
ディクソン公爵は淡々と続ける。
「その後、跡継ぎを失ったディクソン公爵家は断絶しかけた。それを伯父が手を回して、遠縁の子爵家から僕が養子に取られたんだ。僕は甥ってことになっているけれど、実際のところ、伯父上との血の繋がりはすごく薄い」
「そうでしたか……」
ディクソン公爵の顔が、皮肉っぽく歪む。
「何人かいた親戚の子の内、僕が選ばれたのは、単に見た目が一番レイモンドと似ていたからなんだ。……しかし、僕はレイモンドの代わりにはなれなかった。国務卿が、僕を何と呼んでいるか知っているかい?」
ゆっくり首を横に振ると、ディクソン公爵は自嘲気味に、わたしに向かって言う。
「
……そんな僕がどこまで役に立てるかはわからないが、レディ・ブランシュの懸賞金については、僕の方でも調べておく。本当に伯父の所業ならば、必ず止めてみせるから、君は心配しなくていい。レディ・ブランシュにもそう伝えてほしい」
女性を傷つけようとするなんて断じて見過ごせない、と言って苦悩の印を眉間に刻むディクソン公爵、どうやら、真実の人格者であるらしい。
うっ、とキャリエール卿とオデイエ卿が微かに呻いて揃って胸を押さえた。まるで、良心が痛み始めたかのように。
そんな二人には気づかず、ディクソン公爵は続ける。
「……それから、伯父の日頃の行い、無礼な態度については、僕が代わりに謝罪する。非道な人ではあるが、……僕はそれでも、伯父を見捨てることはできない……。僕までが見捨てたら、あの人は本当に独りになってしまうから……」
悩ましげな額にふっくらした手を当てるディクソン公爵、聖人に列せられるレベルであるらしい。気のせいか、後光まで差して見えた。
「えっ眩し」「嘘……」キャリエール卿とオデイエ卿が目元を両手で覆って悶える。まるで、聖人の放つ清らかな光に当てられ、灰になりかけているかのように。
部屋の隅に控える公爵家の侍女や深緑の騎士達が、慈しみ深い眼差しをディクソン公爵に向けている。聖人君子のディクソン公爵、周囲からとても愛されているらしい。
さて、ここで気になるのは……例の件についてだ。
図書館に現れたディクソン公爵は、わたしに言った。『来週の騎士団公開演習には、来るな』と。あれはつまり、そういうこと?
「…………ディクソン公爵様は、図書館で、わたくしに忠告してくださったのですね?」
「――忠告?」
驚いたように振り向いたのは、ウェイン卿である。
「ええ、そうです。ディクソン公爵様は、何らかの方法で、わたくしに危険が迫っていることをお知りになられたのでしょう?」
ゆっくり問うと、ディクソン公爵は皿の上のシュークリームをじっと見つめ、何か考えるように押し黙る。やがて、観念したみたいに今日のうちで一番大きな嘆息を落とした。
「ああ、そうだよ。ここにいる侍女が、そう言ったんだ――」
ディクソン公爵が後ろに控える侍女の一人を指すと、当の侍女はペコリと頭を下げ、一歩前に出た。
「はい。わたくしが申しました。わたくしの妹が、ダーバーヴィルズ侯爵様のお屋敷で侍女を勤めさせていただいておりますので」
「……ああ、そういうことで……」
わたしが頷くと、彼女はバツが悪そうに苦笑して続ける。
「レディ・マージョリーとレディ・ブランシュが犬猿の仲であることは、誰でも知っておりました。ですけれど、レディ・ブランシュの方が一枚も二枚も
あーなるほど、と頷くわたしたちを見て、侍女は続ける。
「業を煮やしたレディ・マージョリーは、矛先をレディ・リリアーナに変えると息巻いておられたそうです。ところが、レディ・リリアーナは社交場にはさっぱり姿をお見せにならず、いつも空振り。まあ、それで……」
侍女が言葉を濁すと、その続きを苦り切った顔のディクソン公爵が引き取った。
「騎士団公開演習には現れるだろうと、彼女は考えたんだ。なにしろ、婚約者であるレクター・ウェイン副団長が参加するのだから、来ないはずはない――喧嘩をふっかけるつもりだった。……そのように、僕は耳に挟んだ」
「……それで、公爵様はマージョリーとわたくしを会わせまいとしてくださったのですね」
「……ああ、そうだ。あの日、図書館に入って行く君を見かけた。噂通り黒ずくめで、黒鷹の従騎士を連れた令嬢……。レディ・リリアーナに違いないと思った。警告だけはしたものの、理由を明かすことは躊躇われ……結局、君は公開演習に行き、レディ・マージョリーと会ってしまった。意味がなかったな。まさか、彼女が君を運河に落とすとまでは思わなかったけど……」
ディクソン公爵は、また盛大な溜め息を落とす。
「せっかく忠告してくださったのに、無駄にしてしまって申し訳ありませんでした」
頭を下げると、ディクソン公爵は微かに頬を緩めて、いいや、と首を横に振る。
――人気者であるブランシュと不仲なせいで、マージョリーの評判はすでに地に落ちていた。その上、第二騎士団の騎士の目の前でわたしを攻撃していたら……。
ディクソン公爵が守りたかったのは、おそらく、面識のないわたしではない――。
わたしが騎士団公開演習に押し掛けたせいで、マージョリーは「運河に人を突き落とした」という烙印を押されることになった。社交界に居場所を失くした彼女は、一時、修道院に行くと決めていた。
わたし達が和解した途端、ディクソン公爵はわたしを屋敷に呼び、再び警告してくれようとした。
つまり――
「ところで、ディクソン公爵様、わたくし、先日、レディ・マージョリーとお友達になっていただきましたの」
ディクソン公爵の口元が綻ぶ。そうすると、彼は一層、ふんわり柔らかな雰囲気になった。
「ああ、その件なら聞いている。……レディ・マージョリーは、誤解されやすい質だから……まったく、君と君の姉上は、かなり心が広いようだね」
柔和に目尻を下げたディクソン公爵に、わたしは大きく頷いてみせる。こちらの誤解も、解いておいた方が良いだろう。
「レディ・マージョリーは、わたくしの従兄に幼い頃に
にこやかに言うと、ディクソン公爵の榛色の瞳はまん丸くなった。ホイップクリームみたいなほっぺは、みるみるイチゴ色に染まる。
「……あ、遊び慣れた君の従兄、ランブラー・ロンサールが、レディ・マージョリーにちょっかいをかけたのではなくて?」
はあっ!? と鋭い声が部屋のいたる場所で上がる。
「「「ありえません!」」」
きっぱりと否定すると、それはアナベルとオデイエ卿と幾人かの侍女の声と、完全に重なった。
「そ……そうだったのか……? いや、僕は、てっきり……色男のランブラー・ロンサールが王宮の侍女だけでは飽き足らず……年若い令嬢にまで手を出し――」
「「「ありえません!」」」
また重なった。きりっと背を伸ばし顎を上げたオデイエ卿がゆっくりと首を振る。その琥珀の眼差しは鬼気迫る。
「これだけははっきり申し上げておきますが、ロンサール伯爵様のファンクラブに於いて、抜け駆けの類いは一切許されておりません。入り待ち出待ちの際の整列の仕方、私生活を知りたがらない暴かない踏み込まない、その他もろもろ含め、神聖なる規約を破った者は、これまで誰一人と存在しません。万一いたとしたならば、その者はとっくに消されているでしょう。このルールの適用はレディ・マージョリーだけでなく、王妃殿下や王女殿下すら同様。
うんうん、と幾人かの侍女も部屋の隅で真面目な顔して頷いている。
言われたディクソン公爵だけでなく、ウェイン卿、キャリエール卿、カマユー卿も瞠目した。
「そう、だったのか……!?」
「そ、そうなんだ……」
「へ、へー……」
「い、いやなんか……オデイエ卿、詳しすぎない?」
項垂れたディクソン公爵は「そうか……勘違い……」と呟く。
「……いや……、伯爵には、これまで悪いことをした……。僕は、てっきり……。明日にでも、謝罪に赴かせてもらうよ……」
肩を落とすディクソン公爵はしかし、どこかほっとして見えた。
「従兄は、きっと気にしないだろうと思いますわ。それにしても、公爵様はレディ・マージョリーを特別大切に思われていらっしゃるんですのね」
なんでもないことのように言った途端、ディクソン公爵の身体がソファから飛び上がった。
「ええ!? い、いや! ち、違う! 彼女とは、ダーバーヴィルズ侯爵が伯父の側近であった都合上、幼馴染のような間柄で! 妹のようなもので……その、特別とか、そういったことでは断じて、ないから……」
しょんぼりと、段々と小さくなる声を聞きながら、アナベルとオデイエ卿と目が合う。わたし達は、内心でおそらく同時に叫んでいた。「まるっと見切ったり!」と。
キャリエール卿とカマユー卿が「あ、このプリンまじで激美味い」「あ、ほんとだ。メイアンも食べてみろよ」と目の前の秋の饗宴に心を奪われている横で、ウェイン卿とメイアン従騎士はきょとんと首を傾げている。
「レディ・マージョリーは幸せですわね。お優しくて頼りになるお兄さまがいらして」
にっこり笑って明るく言ったが、ディクソン公爵は悲しそうに俯いた。ひとつ息を吐いてから、両手をわたしの前に突き出して見せる。
「……レディ・リリアーナ、君にはこの手が、何に見えるね?」
「……はい? 掌……? 生命線が、長くていらっしゃいますね……」
目の前の白い掌をじっと見つめると、ふ、とディクソン公爵は自嘲気味に笑う。
「君は、善い人間だな」
「そんなことは……」と首を傾げると、ディクソン公爵は笑みの中の苦みを深め、早口で一気に言う。
「クリームパン、クリームパンにそっくりじゃないか。みんな言ってる。自分でもそう思う。はちきれそうなクリームパン。社交界でのあだ名は『豚』だし……それだって、そう形容したい気持ちはよくわかる。こんなのに兄ぶられたって、ウザいだけだよ。キモいだけだよ」
あら……とわたし達は首を傾げる。自己評価の低い方らしい。そこはかとなく沸き上がる、親近感。
「ですが、ディクソン公爵様と言えば、芸術に造詣が深くていらしゃることで有名でいらしゃいます」
若い画家や作曲家たちへの援助を惜しまない人物として、新聞で読んだことがある。ふっ、と失笑を漏らし、ディクソン公爵はますます背を丸める。
「そんなの、自慢することでもない。枢密顧問官とは名ばかり。政界では当てにされず、夜会にも呼ばれない。僕が喋ると酸素が薄くなって息苦しいって、令嬢たちの間ではもっぱらの評判――暑苦しいクリームパン公爵のすることと言ったら、芸術鑑賞くらいだろう?」
ディクソン公爵の口数が極端に少なかった理由は、どうやらそこにあったらしい。
周囲に立つ侍女と深緑の騎士達が、そんなディクソン公爵を見やり、うっすらと涙ぐむ。近しい人々からは、ずいぶん慕われておいでのようだ。
「……そういうことでしたら、公爵様、わたくし来週、マージョリーと歌劇に行くのですけれど、エスコートしてくださいませんか?」
「「……ええっっ!?」」
仰天、という風に叫んだのは、ウェイン卿とメイアン従騎士だ。ディクソン公爵は黙ったまま、ぽかんと口を開けている。
「わたくし、ずっと引き籠っていて、評判も悪く、友人もとても少ないのです。歌劇だって、先日初めて鑑賞しました。観劇のマナーも楽しみ方もよく分かっておりません。説明してくださる方がいらっしゃると、とても助かります」
「い、いや、……でも」
ディクソン公爵は迷うように、何度か瞳を瞬かせる。アナベルが柔らかく微笑んで口を開く。
「それは良い考えではありませんか? そもそも、男性の魅力は容姿ばかりとは限りません。クリームパン? 何が悪いとも思いませんが」
オデイエ卿も大きく頷く。
「……ロンサール伯爵の外見が素晴らしいことは、確かに否定できません。しかし、よく勘違いされているようですが、伯爵の真価はあの中身にあるのです。全てに恵まれた地位ある男性でありながら、どんな相手にも分け隔てなく穏やかで親切――ディクソン公爵様は、そこいらのイケメンよりも、ずっとそれと近いところにいらっしゃるように思います。わたしも今日知りましたけれど」
うふふ、とオデイエ卿とアナベルと、顔を見合わせて頷く。
「そういうわけですから、ぜひご一緒に――」
ウェイン卿が、椅子を鳴らして立ち上がる。
「れ、令嬢! それでしたら、わたしが一緒に! か、歌劇については、詳しくありませんが、それまでに勉強します!」
その隣で、メイアン従騎士が涙声で叫ぶ。
「そ、そうです! お願いですから、副団長と一緒に行ってくださいっ! 令嬢に一番相応しいのは、副団長ですっ!」
……彼ったら、先日はウェイン卿の仕事の邪魔をするなと言っていたのに、一体どうしたのかしら?
「お二人とも……、来週は王宮に大事な来賓があるからお忙しいと、仰っていたではありませんか? お仕事を優先なさってください」
――メイアン従騎士に諫められ、わたしは自身の振る舞いを見直すことにした。
ウェイン卿は、わたしを心配して駆けつけてくれた。嬉しくて幸せ。だけど――
――ニーナ・ナディンさん……ですって?
彼女の身に同じようなことがあっても、あなたは助けに行くんでしょうね?
ええ、ええ、そりゃ行くわよー。
ウエィン卿、強いし。思いやりがとてもあるし、見ず知らずの鴉を助けちゃうくらい優しい。
うんうん、行くわ。行って当然。むしろ、行くべき。
それでもって、白いバルコニーの上に立つニーナ・ナディンさんに向かって手を伸ばし、「帰りましょう」とか言っちゃって、頬を染めた彼女は言うのよ。「迎えに来てくれたの?」「ふっ、当然だ」「嬉しい…‥!」「ああ、一緒に帰ろう」「ええ!」そして、手と手を取り合い――――
どんっ――と音がしたので、びっくりして手元を見る。どうやら、わたしの右手が勝手にテーブルをグーで殴ったらしい。
「……れ、令嬢……?」
眼を丸くしたウェイン卿と目が合う。
おかしいわね……眉を顰めて考える。わたしは、ウェイン卿の幸せの為なら、潔く身を引ける筈だったのに――今はちっとも、そうできそうにない。
駄目だわ。
――子どものようにきゃっきゃはしゃいでいては駄目だ。わたしだって、王宮医務官ほどでなくとも、それなりに役に立つ人間だと思われなくちゃ。
――まずは、手のかからない大人の女性であることを印象づけよう。
「……ウェイン卿、わたくしのことは、どうぞお構いなく」
めいっぱい、大人の女性を意識してつんと顎を上げ、静かに言って見せた。
するとどうしてか、ウェイン卿とメイアン従騎士の顔が青リンゴのような色に染まってゆく。ん? 顎の角度を微妙に間違えただろうか?
カマユー卿とキャリエール卿は目の前の至高の饗宴にすっかり魅了され、会話への興味を失っている。
オデイエ卿がにこやかに口を開く。
「その際、非番でしたら、わたしもお供いたします」
アナベルも柔らかく目を細めて言う。
「もちろん、私もご一緒いたしますので」
「そ……そうか……? そういうことなら、エスコート、しなくもないが……」
ゆっくりと頷くディクソン公爵に、わたしは微笑みかける。
「はいぜひ! 嬉しいですわ、ディクソン公爵様」
アナベルとオデイエ卿とわたしは、共犯者の笑みを浮かべて頷き合う。
その横で、ウェイン卿とメイアン従騎士が、どうしてか、よろっとよろめいてテーブルに手をついた。
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