第41話 こうなった理由ー01

「……はい。ようく、存じております……」


 わたしがそう答えた途端、ヒューバート・ディクソン公爵は目を丸くした。


「なんだって……? 知って、いる……?」


 わたしに向かって、意外そうに呟く。


「はい。よーく存じております。わたくし自身、体験済みでございます。ね? 皆さま」


 この話をぶり返すと、ウェイン卿とオデイエ卿とキャリエール卿は、顏を赤くしてひどく狼狽える。しどろもどろに言う。


「い、い、いや、令嬢、あれは、その……ふ、不覚の至り……という、ごっ、ごめんなさい」

「……い、い、遺憾の極み、と言いますか……ごっ、ごめんなさい」

「……じ、自分でも、と、とち狂ったとしか思えなくて……ご、ごめんなさい」


 死にそうなほど狼狽するウェイン卿も、やっぱり素敵である。キュン死にしそうになる。ずっと見ていたい気もするが、長引かせるのは忍びない。これまで、もう何度も謝られたし。にっこりと笑いかけて、この話はおしまいとする。

 しかし、少し心配になって、念のため訊いておく。


「……ですが、あんなことはもうされないんでしょうね? あれは気の迷いのようなもので、本当はとても思いやりがおありで、お優しいですものね?」

 

 ウェイン卿が、まるでぎくっとしたみたいに目を瞠る。額に汗がすごい。


「も、も、も、もちろんです!! おっ、オモイヤリが、トテモあります!!」


 キャリエール卿とオデイエ卿も、首を横にぶんぶん振る。


「すっ、すっ、するわけない!」

「かっ、かっ、考えたこともない!」


 カマユー卿が、なぜか半眼でそんな三人を見ている。

 ディクソン公爵は意外そうに首を傾げた。独り言のように呟く。


「……何? まさか……黒鷹は、噂ほど悪い人間ではないのか……?……いや、しかし……? だが、今日も……レディ・リリアーナを心配して……? それだって……」


 悩んでいる様子のディクソン公爵を見て、オデイエ卿は咳ばらいをひとつ落とす。


「――確かに、そんなこともありました。しかし、それは遠い過去の話。我々は改心したのです。今の我々は、太平洋よりも広い心を持った騎士団でございます」


 ディクソン公爵を真っ直ぐに見据え、露ほども視線を逸らさず、オデイエ卿はそう言い切った。カマユー卿の半眼が、なぜかさらに薄くなる。


「はい、その通り。我々は、清廉潔白を信条としています。かく言うこのわたしの半分は、やさしさでできている」


 ディクソン公爵に向ける紅茶色の瞳を柔らかく細め、穏やかにそう言い切ったのは、キャリエール卿だ。彼を見るカマユー卿の眼は、もはや糸のようである。


「…………そうなのか?」


 ディクソン公爵が、さっきから黙っているカマユー卿に向けて問う。カマユー卿はぎょっとしたように目を瞠る。


「ええっ!? ……あ、ああー……は、はい?……そ、そ、そ、そう……? です……」


 空色の瞳を泳がせ、下を向くカマユー卿がしどろもどろ応えると、アナベルのいる方で、呆れたような嘆息が落ちた。


 ディクソン公爵が、ゆっくりと息を吐きながらソファに深く凭れた。


「……そうか……そうだったのか……。そうとは知らず、数々の失礼な言動……どうか、許してほしい……」


 言いながら、頭を下げる。

 最初からそうじゃないかとは思っていたが、ディクソン公爵はものすごく善い人らしい。お菓子を連想させる人に、悪い人はいない。


 オデイエ卿とキャリエール卿が、目を三日月にしてにんまりと微笑んでいる。カマユー卿は瞬きを繰り返し、視線をひどく泳がせている。メイアン従騎士は不安そうに、赤くなったり青くなったりを繰り返している。


 それより――、とウェイン卿がこほんと咳払いしてから、口を開く。どうしてか早く話題を変えたがっているように見えた。


「――我々をどうこう言う前に、そちらの行いこそ、人道に悖るのでは?」


 ディクソン公爵は眉を顰めた。


「何のことだ?」


「しらばっくれないでいただきたい。レディ・ブランシュの顏に、二十万フラムの懸賞金をかけた件です」


 ディクソン公爵を真っ直ぐに見据えたウェイン卿が、低く冷たい声で言うと、ディクソン公爵はハッと息を吞んだ。


「……! な、なに……! まさか、そんな、伯父上が? そこまでのことを……?」


 そして、額にふっくらしたマシュマロのような手を当て、ぶつぶつと聞き取れない声で独り言ち始めた。


「……いや……ありうるか……? 伯父上の、黒鷹への恨みは……底知れない……」


 その様子は演技などでなく、本当に何も知らず苦悩しているように見えた。

 ウェイン卿ら騎士達が顔を見合わせる。わたしは思い切って訊いてみる。


「……あのう、どうして、ブルソール国務卿閣下は、それほどに第二騎士団を嫌っておられるのです? その噂のせいですか?」


 顏を上げたディクソン公爵は、「は?」の形に口を開けた。


「……何を今さら、わかりきったことを……レクター・ウェイン副団長、少なくとも、君は知っているだろう?」


 眉を寄せ黙っているウェイン卿の顏を見て、ディクソン公爵は、唖然とした風に口を開けた。


「――ま、まさか、君ら……知らんのか?……それは、もちろん、過去のことだし、世代は変わっているだろうが……。こんな重要な情報は、流石に、引き継がれているだろう?」


 さっぱりわからない、という風に顔を見合わせるウェイン卿らに向けて、ディクソン公爵は居ずまいを正す。


「先に言っておくが、今からする話に、証拠はない……しかし、」


 大きな溜め息をひとつついてから、重たい口調で話し始める。


「……二十年前、君ら黒鷹が……暗殺したんだ――当時、たった五歳だった、レイモンドを……」



 へ……? と全員が、首を傾げた。

 ちらとその様子を一瞥してから、ディクソン公爵は続ける。


「――二十年前のあの日。伯父上の領地から、重大な問題が起きた、と連絡が入った。しかし、大伯父のブルソールは当時から国務卿であり、王都を離れることができなかった」


 ディクソン公爵はティーカップを持ち上げ、紅茶を一口飲んだ。


「……伯父の代理として、国務卿の婿にあたる先代のディクソン公爵とその妻――彼女が大伯父の一人娘だ――その一人息子であるレイモンドが、ブルソール公爵領へと向かった。そしてその道中、事件は起こった。人気のない山中で――馬車は襲われた」


 ディクソン公爵は訥々と語る。


「当時、僕は八歳だった。又従弟にあたる五歳のレイモンドとは仲が良かったよ。……あの日、馬車の護衛に付いていた騎士は十二人もいた。どれも、王宮騎士に劣らぬ手練れ。ところが、彼らは一様に、急所を一突きされていたらしい。馭者や侍女、全員、共に斬られていたそうだ。そして……たった五歳だったレイモンドも行方知れずとなり……それっきり、戻らなかった。どこか山中で手にかかったか、逃げる途中に獣に遭遇したのか……その最後は分からないままだ」


 過去を語るディクソン公爵は素が出て、自身を『僕』と呼んでいた。

 ディクソン公爵の榛色の瞳は潤んでいる。彼はきっと、その出来事を未だに深く悲しんでいるのだ。


「まあ……」


「レイモンドたちの乗っていた馬車は、馬もろとも崖下に突き落とされていた。後に駆け付けた者によると、現場は目も当てられないほど凄惨な状況だったそうだ……」


「……それが、当時の第二騎士団の仕業だと?」


 ウェイン卿が静かに問うと、ディクソン公爵はため息をついた。


「ああ、そうだ。当時、ブルソール国務卿は騎士団団長達が通したがっていた国境防衛に係る法案の成立に、強硬に反対していた。予算がかかりすぎるという理由でね。それを恨みに思った当時の第二騎士団団長……アラン・ノワゼットの父親である、前ノワゼット公爵が命じてやらせた。少なくとも、伯父はそう考えている」


「でも……、まさか、そこまで酷いことを……」


 わたしの口からついて出た声に応え、ディクソン公爵は大きく息を吐いた。


「僕だって、初めはそう思ったさ。これでも、幼い頃は王宮騎士に憧れていたんだ。レイモンドと棒っ切れで騎士の真似事なんかしてね。伯母上……レイモンドの母上には、よく叱られた。厳しいが、聡明な人だった」


 ディクソン公爵は、懐かしい過去を振り払うように目を瞑る。


「――あの日、あの場にいて生き残った人が、一人だけいた。見た目よりも傷が浅くて……見逃されたらしい。その人は、はっきりと証言した。襲ったのは、第二騎士団の制服を着た黒い騎士だった……とね」


 まあ、とこの口から嘆息が落ちた。

 でも、おかしい。そんなことがあったなら――


「だけど、それじゃあ、第二騎士団は咎めを受けたはずでしょう? だけど、そんな話、聞いたことがない――」


 変だわ、とオデイエ卿が首を捻る。キャリエール卿とカマユー卿がそれに続ける。


「それが本当なら、いくら第二騎士団でもタダでは済まなかったはずです」

「相手は国務卿の縁者……。ノワゼット公爵家が王家に連なる家系ということを差し引いたって、取り潰しや極刑は免れなかったはず」


 ディクソン公爵は大きく頷いて見せる。


「さっきも言った通り、決定的な証拠がなかったんだ。たったひとりの生存者は――正気を失くしていた。まるで狐がついたように泣き叫ぶ様子から、証言に信憑性なしとされてね」


 まあ……お気の毒に……この口から、溜め息のような声が出る。ディクソン公爵はああ、と続ける。


「それに前ノワゼット公爵も、息子のアラン・ノワゼットと同様、鵺のような男だった。知らぬ存ぜぬ、全員にアリバイがある、と……のらりくらりとシラを切り通した。結果、事件は迷宮入りとなった」


 ディクソン公爵は、話し疲れたように息を吐いた。


 俯き加減で考え込んで見えるウェイン卿は、厳しく瞳を眇めている。


「……たかが法案を通すためだけに、女子どもの乗る馬車を襲った……?」

 

 オデイエ卿もまた、厳しい声で呟く。


「そんなくだらないことのために、罪のない家族まで巻き添えに……?」


 キャリエール卿が、思い詰めたように眉根を寄せる。


「……純真無垢な、幼な子まで手にかけて……?」


 顎先に手をやるカマユー卿が、低い声を出す。


「……そんな卑劣な真似……二十年前の第二騎士団が……?」


 青い顔をしたメイアン従騎士が、微かに唇を震わせている。


「……まさか……そんな人でなしの、血も涙もない、鬼畜みたいな真似……第二騎士団が、王宮騎士が、するわけが……」



 ウェイン卿、オデイエ卿、キャリエール卿、カマユー卿は揃って胸に手を当てて、同時に顔を上げた。思わず――といった風に呟く。



「「「「……めっちゃ、やってそう……!」」」」



 メイアン従騎士が、「えええっ!!」と叫んだ。





 

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