第40話 彼の正体(レクター・ウェイン視点)
ディクソンの命を受けた深緑の騎士に誘われ、カマユーとメイアンは邸内へ続く扉に足を進めている。
「いやお前さ、さっきはなんで号泣?」
「はい、すみません」
「いや、すみませんでなくてさ、怒ってはないよ? ないけども、なんで号泣? びっくりするよね? こっちは。ふつうさ、屈強な男が号泣してたら、なんか大変なことがあったと思うよね?」
「はい、すみません」
「いやさ、勘違いしたこっちも悪いよ、悪いけどもさ――」
カマユーが涙声のメイアンの肩をむんずと掴んで歩きながら、問い質す声が聞こえてくる。
オデイエとキャリエールと俺は視線を交わし、足を止めた。小声で話せるよう、顔を突き合わせる。さっきのディクソンの声が過る。
――『アラン・ノワゼットでも庇い切れない。公爵邸への討ち入り。全員もれなく、シャトー・グリフだ』
「どうやら……罠にかけられたか……」
俺が小声で呟くと、ええ、とキャリエールが厳しい顔で頷く。
「令嬢を連れ去ったとメイアンにわざと勘違いさせ、俺たちを公爵邸におびき寄せる。目的は、ウェイン卿をシャトー・グリフに送ること、ですかね……」
「なるほど、上手い手だわ……だけど……」
ふっ、とオデイエの唇が失笑に歪む。
「見くびられたもんよね」
ヒューバート・ディクソン。
狡猾なブルソール国務卿の甥であり、後継者と言われる男。
肉に埋もれた表情の読めない顔。抑揚のない嫌味な口調。常にブルソールの脇に控え、ブルソールに同意し付き従う――油断のならない男。
「――俺達を罠に嵌めようとしたのが、運の尽きだ」
キャリエールがにやりと口端を上げて言うと、オデイエは琥珀の瞳をすうっと細める。
「気配を読んだ感じ、深緑の騎士は全部で六十三人……ふっ、余裕ね。シャトー・グリフ? 送れるもんなら送ってみろっての。喋れる口がまだあるならね……」
ああ、と俺も静かに頷いて言う。
「――今日が、あいつの命日になる」
そして、その数分後。
応接室に入るなり、ヒューバート・ディクソンは腰を下ろしていた肘掛け付きの一人掛けソファからゆっくりと立ち上がった。
しいん、と重苦しい沈黙が、その部屋を支配する。
リリアーナが、そわそわした様子でその向かいの椅子に腰掛けている。こちらを見て、なぜか申し訳なさそうに瞬いている。
シュークリームそっくりの男を、俺はぎりっと奥歯を噛みしめて睨み付けた。この男は、あろうことかリリアーナを政争に巻き込んだ。
その罪、万死に値する。……が、しかし、始末をつけるにしても、リリアーナの前ではまずい。勘が鋭い彼女に気づかれてならない。怖がらせるなどもっての他。何か理由をつけ、カマユーと先に帰して――
ひとつ息を吐き、表情の読めないシュークリームは、抑揚のない声で言った。
「部屋に通したからには、客人として扱うのが礼儀だ。遠慮はいらない」
――あれ?
何か違和感にひやっとする俺の前で、公爵邸の侍女達はしずしずと椅子を引き、皿に菓子を盛り付け、上等のティーカップに紅茶を注ぐ。
ディクソンが「さっきも言ったが、そこの侍女も座るといい。そのつもりで用意させた。招待したからには、身分関係なくもてなすのが屋敷の主人の役目」と椅子を指し示す。
アナベルはどこか呆れかえったような様子で、はい、とあっさり頷いて席に着いた。「では、遠慮なくいただきます」とティーカップに手を伸ばし、喉が渇いていたのかぐびぐびと飲み干す。
「先に言っておくが、わたしは毒などという卑劣な真似は決してしない。君らも遠慮はいらない」
腰を下ろし、ミニサイズのシュークリームに手を伸ばしながら、シュークリームにそっくりな大きな男は重ねて茶を勧めてきた。
肉に埋もれた目は細くて、表情は読みにくい。
しかし……俺は、まさか――とぎくりとする。
――ディクソン……こいつ、まさか。
それから、とディクソンは咳ばらいを一つ落とす。
「――そこの年若い従騎士には、言葉が足りず誤解させたかもしれない。非はわたしにある。未来ある若者の将来の芽を摘むことは、本意ではない。ただのミス・コミュニケーションだ。彼を責めないでやってほしい」
メイアンが顏を赤くして唇を噛む。瞳はうるうる潤んでいる。リリアーナが、「まあ、良かったですね、メイアンさん」と明るい声で言う。
カマユーがハッとしたように俺を見る。え? とキャリエールが口を開ける。
極めつけ、シュークリームはため息交じりに口を開く。
「それから、シャトー・グリフはただの脅しだ。わたしも動転していた。双方に怪我がなく、何よりだった。今回の件は水に流す。君らもできればそうして欲しい」
ええっ? とオデイエが一歩退いた。
キャリエール、オデイエ、カマユーと視線が絡む。どの顔も揃って、同じことを疑っているらしい。ゆるゆると、俺たちは放心したように席に着いた。
目の前には、菓子の類がコンフィズリーのショールームのように並んでいるが、手を伸ばす気には、もちろんなれない。
「それで、公爵様、わたくしにお話というのは?」
俺たちが座ったのを見計らって、いちじくのタルトにフォークを刺すリリアーナがおっとり問うと、ディクソン公爵は眉根をぎゅっと寄せた。大きく息をつく。
「……教えねば、と思ったのだ。無辜の女性が知らずに犠牲となるのなら、人として見過ごすわけにはいかない。この状況となったのは、想定外だったが……」
「……はい? 教えて、くださる……と仰いますと?」
きょとんとして首を傾げるリリアーナの方をちらと一瞥し、ディクソン公爵は、苦々しげに榛色の瞳を眇めた。黒い制服を着た俺たちを睥睨する。
「君と君の姉が親しくしている、アラン・ノワゼットと、第二騎士団についてだ――」
「……はあ……?」
リリアーナが、星を散りばめた夜の色の瞳を丸くする。ディクソンの声に、力が籠もる。
「ああ、そうだ。てっきり、同じ穴のムジナと思い込んでいたが……君らはどうやら違うらしい。ならば、救える道があるかもしれない。そして、君ら姉妹が助けを望むなら、わたしはこの命をかけても君らの味方となろう……!」
「……は、はあ……?」
リリアーナが訝しげに首を傾げたまま相槌を打つ。
「第二騎士団、通称、黒鷹……高潔な王宮騎士の皮を被った、その正体は――」
一度ぎゅっと唇を噛んでから、意を決したようにきっと顔を上げ、ディクソンは一気に畳みかける。
「――気に入らない人間を容赦なく消してゆく、暗殺集団なのだ……!」
ディクソン公爵の瞳が、ぎらりと光った。ホイップクリームのようなほっぺの奥で、ぎりり、とその奥歯を噛みしめる。
リリアーナは「まあ!」と目を見開き、桜貝のような指先で口元を押さえた。アナベルは気怠い感じで興味なさそうにそっぽを向いて二杯目の紅茶を飲んでいる。
みるみる青ざめたメイアンは目を見開き、衝撃を受けた風に「そんな馬鹿なっ!」と叫んだ。
キャリエールとオデイエは、ぽかんと口を開けた。カマユーは「あ、やっぱり」と天井を仰ぐ。
俺は愕然とする。こうなっては、もはや、どれほど信じられなくとも、疑いの余地がない。
ヒューバート・ディクソン公爵。
こいつ、間違いない。
――
しかも、かなり。
リリアーナが、瞳を零れ落ちそうに開けたまま、ゆるゆると頷く。
「…………はい。よーく、存じております……」
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