第39話 飛び交う怒号(メイアン&リリアーナ視点)
イザーク・メイアンは、動転していた。
目の前に次々と現れる、深緑の騎士。
飛び交う怒号と呼子の音に呼ばれ、信じられない数の騎士が集まってきた。一体、何人いるんだろう。
――三十……いや、五十人? もっといる?
「下がれっ! 気でも狂ったか!? 黒鷹っ!!」
びしっと空気を切り裂く音がして、地面が震える。
見ると、爪先から十センチほど先に矢が突き刺さっていた。ぎょっとして見上げると、バルコニー上の深緑の騎士が構える弓が、めいっぱい引き絞られている。
「次は当てる! 下がれ!」
思わず息を呑んだ瞬間、横で野太い声が上がる。
「――やれるもんならやってみろ」
言ったのは、すらりと抜き身を手にしたキャリエール卿である。セピア色の陽炎がその身体を囲み、揺れている。
「あんたらみたいの、何人いたって無駄死にするだけ。そっちが下がんな」
ゆらりと琥珀の陽炎を立て、柄に手を掛けたオデイエ卿が、凍りつきそうな声を出す。
「死にたくない奴はどいてろ」
カマユー卿が低い声を出す。こちらもすでに抜剣している。青い陽炎が、剣の周りをぐるぐる取り巻いている。この人が怒ってるところを初めて見た。その鬼気迫る迫力に、心臓がばくばくと跳ねる。
副団長は何も言わない。だけど、身体の周りに立つ赤い陽炎の量が半端ない。
――これ……やばいだろう……?
――先刻。
『…………おい、メイアン、……令嬢はどうした?』
キャリエール卿に問われた俺は、すべて白状しようと、肚を括った。
レディ・リリアーナに関して、大きな誤解をしていたこと、ハンカチを破ったのは自分であること、それから――
キャリエール卿とオデイエ卿は、さっき恐ろしいことを言っていたけど、あれはきっと、先輩たち流のダーティなジョークに違いないのだ。だってなにしろ、先輩たちは恐ろしい悪者じゃない。俺がずっと憧れていた、高潔な王宮騎士なのだ。正義の味方なのだ。正直に話して、許しを請おう。
そして、『深緑色の騎士に囲まれて――』に続けて謝罪の言葉を口にした辺りで、空気が一変した。ウェイン卿、キャリエール卿、オデイエ卿、カマユー卿は、揃って地を這うような声を出した。
『『『『……豚のディクソンか!』』』』
俺が先を続ける前に、四人は馬に飛び乗った。
え、と呆気にとられた俺の前で、風よりも早くかっ飛ばしてゆく。止める暇なかった。慌てて俺も馬に飛び乗り、必死で追いかけた。そうして、ディクソン公爵邸の正面の門をぶち破り、
――今、ここにいたるわけである。
「――どけ」
低く呟いて、ウェイン卿が剣の柄に手を掛けた。赤い陽炎が本物の炎のように立ち昇り、空気が震える。
次々と抜剣しながらも、深緑の騎士達がじりっと怯んだのがわかった。
バルコニーに立つ深緑の騎士達の弓が、ぎりりと張られる。
「……あら? ウェイン卿?」
その時、頭上からのほほん、と鈴の鳴るような声が響いた。
全員の視線が向いた先、――美しい天使が、二階のバルコニーの掃き出し窓からひょこっと顔を出していた。
「あら……? 皆様まで……どうかされました?」
天使が不思議そうに首を傾げると、細い肩の上で黒髪がさらりと流れる。そのすぐ上のバルコニーには、弓を構える深緑の騎士がいる。
俺は叫んだ。副団長も叫んだ。キャリエール卿、オデイエ卿、カマユー卿、深緑の騎士達、バルコニーの上で弓を構える騎士までも、その場に居合わせる全員が、同時に叫んだ。
「「「「令嬢っ! 危ないですからっ! 下がっていてくださいっ!」」」」
…………?
――何かが、おかしい。
この場の誰もが、何らかの違和感を覚え始めた。キャリエール卿とカマユー卿が、ちらちらと周囲の人間の表情を横目で観察している。
頭上から、慌てた声が響く。
「ええっ! 何です? 蜂? すずめ蜂ですか?」
§
白亜のバルコニーに立つリリアーナは、混乱していた。
「――自分達が何をしているか、わかっているのか? 黒鷹ども」
すぐ隣に立つヒューバート・ディクソン公爵が、下にいるウェイン卿達に向かって抑揚のない声で言う。
そのお顔はやっぱりシュークリームとそっくりで、感情が読み取りにくいけれど、どうやら、わりと怒っているらしい。
一方、わたしは未だ、事態を呑み込めていない。
アナベルがひょことわたしの横に顔を出した途端、カマユー卿の顔がほっと緩む。眼下の光景を一目見たアナベルは、らしくもなく「ええー」とうんざりしたような声を零す。
「――わたしの婚約者を連れ去ったのは、そちらの方でしょう。ディクソン公爵」
地上にいるウェイン卿が、バルコニー上のディクソン公爵を冷たく睨み上げ、低い声を放った。
それでようやく気づく。
……もしかして、わたしを心配して……?
それどころじゃないとわかっていても、この胸はきゅんと甘く高鳴る。
は? とディクソン公爵は眉を顰め、ゆるりと首を傾げた。抑揚のない声で言う。
「連れ去る? 何のことだ? ただ用があるから、招待しただけだ。レディ・リリアーナ・ロンサールは自分の意思で馬車に乗り、後でうちの騎士に屋敷まで送らせると、わたしは言った。――そこの従騎士、そうだろう?」
ディクソン公爵のふっくらした白パンのような指が眼下の一点を指し示すと、皆の視線が一斉に、イザーク・メイアン従騎士に向く。
上気した顔に汗を流すメイアン従騎士は、しどろもどろに応える。
「は、はい……まあ、……そうです。その通りです……」
目を丸くしたキャリエール卿とカマユー卿が「えええ」と潰れた蛙みたいな声を上げた。オデイエ卿は頭痛がするみたいに頭を抱える。ウェイン卿だけは表情を変えない。
「おっ、お前さあ……」
「じゃあさっきのあれは、何なんだよ」
カマユー卿とキャリエール卿がそそくさと剣を鞘に納めながら詰め寄ると、メイアン従騎士は今にも泣き出しそうな顔で「すっ、すいません」と頭を下げた。
「令嬢、帰りましょう」
何事もなかったように、ウェイン卿はバルコニーを見上げ、わたしに微笑みかけた。
「ウェイン卿……、でも」
ディクソン公爵が、ずいっと前に出る。公爵らしく、威厳に満ちた冷たい声で言う。
「貴様らだけ帰れ。こちらの話は済んでいない。貴様らの処分は追って下るだろう。逃げたい奴は、今日の内に荷物をまとめて国を出るといい。いくらアラン・ノワゼットでも、これは庇いきれない。公爵邸への討ち入り……全員もれなく、シャトー・グリフだ」
「令嬢、帰りましょう」
ウェイン卿が、つる薔薇とクレマチスの這う庭から、わたしのいるバルコニーに向かって手を差し伸べている。この胸はさらに甘く高鳴る。恋愛脳は炸裂する。
――やだ……このシチュエーション、まんまロミジュリみたい……。
いやそれどころじゃないや、と首を振って邪念を振り払う。
それにしても、この状況――何らかの、ボタンの掛け違いのようなものがあるように思えてならない。
びゅっと強い風が吹いた。
――あ、まずい、目に埃が……。
「……公爵様、ウェイン卿、……皆様も、ここはひとまず、一緒にお話ししませんか……?」
瞬きながら言うと、どうしてかウェイン卿の瞳が驚愕に見開かれた。
ヒューバート・ディクソン公爵は、ぎょっとしたように後ずさる。
オデイエ卿は両手で口元を覆い、キャリエール卿とカマユー卿はまた「えええ」と言った。メイアンさんは今度は青くなって、涙を浮かべ震え出す。
強者揃いの深緑の騎士達が、おろおろと狼狽えた様子を見せた。一斉に弓を足元に置き、剣を納め、清潔なハンカチを求めるみたいに、あたふたとポケットを探り始める。
「――わ、わ、わっ! わかった!! 黒鷹どもを中に通せ!! 今すぐに!!」
ディクソン公爵は、慌てふためくみたいに叫んだ。
――あ、良かった。目に入った埃、涙と一緒に流れたー。
本当、涙が眼球の保護に果たす役割は大きい。
「まあ、ありがとうございます。公爵様」
瞬きながらにっこり笑いかけ、埃を流した頬の涙を指でぬぐうと、誰もがこくこくと頷いた。
――秋の風は強く、時にいたずら好きである。
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