第23話 ガーデンパーティーー01
――先走りすぎたかもしれない……。
わたしの内側は今、不安と焦燥がない交ぜとなりせめぎ合っている。
――いや……ここまで来て、何を甘ったれたことを……!
大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
掌に「人」の字を書いて飲み込む真似をしていると、後ろに立つブランシュが励ますみたいにわたしの肩に手を置いた。
「リリアーナ、そう緊張することないわ。毎月定例開催されている、ただのガーデンパーティだもの」
今日のブランシュは、昼のパーティーらしく、艶を抑えた胸の詰まったスリーブドレスを身に纏っている。ピンクベージュのシルク生地にあしらわれた薔薇のシフォン。
わたしが纏うのは、それと色違いのセレストブルーのドレスだ。
「僕も一緒だしね。社交シーズンが終わって、ほとんどの貴族は領地に帰ってる。今日いるのは王都で仕事を抱えているか、領地が王都に近いかだ。ほとんど皆、気心の知れた知り合いって感じだよ」
ランブラーも、どうってことないって口調で励ましてくれる。
「僕もいるしね。大丈夫、何も心配いらない。リリアーナは大船に乗ったつもりで楽しめばいい」
ノワゼット公爵も、柔らかく目を細めて優しい声をかけてくれた。
人の世の暖かさが身に染みる。
しかし今、最も気になるのは、隣に立つこの人の反応である。
「俺もずっと傍にいて離れませんから。ご安心ください」
……?
ほほう。
蕩けるような甘い眼差し、ですとな……?
この前は明らかに様子が変だったのに、今日のウェイン卿の態度に甘々なところはあってもおかしなところはない。
「はい。……ここまで参りましたからには、粉骨砕身、身を粉にして社交能力向上の為、努めたい所存です! よろしくお願いいたします!」
うん、とわたしの付き添い役を買って出てくれた同行者達は、リラックスして柔らかく頷く。
肩の力が抜けた彼らは眩しすぎて、わたしの緊張はいや増す。彼らの余裕の『こなれ感』は、いったいどれほどの社交の場数を踏めば身に付けられるのだろう。想像もつかない。
緊張するなと言われたって、ふつうに考えて無理だと思う。
何しろ、ここは王宮である。
建国神より王権を授けられた、この国照らす太陽、国王陛下とそのご一家の住まう処。
実際、屋敷での夕食時は現代風に砕けたブラックタイを締めているノワゼット公爵とランブラーですら、正装の証であるホワイトタイを締めている。
ウェイン卿はいつも通り制服姿だけど、これは騎士の正装であるから当然である。
――やっぱり、このわたしにいきなり王宮はハードルが高すぎたんじゃない?
――取り返しのつかないポカをしたらどうしよう?
いやいや、と内心で首を横にふる。
なんだって、急に王宮のガーデンパーティーなんかに来ようと思い立ったのか――理由はただひとつ。ウェイン卿に嫌われたくないからである。
――できることを、ぼちぼちと……なんて呑気なことを言っていたのがいけない。
わたしはウェイン卿から、職場に呼びたくない女だと思われている。
「どうして招待してくださらないんです?
……もう二年も前から、公開演習のウェイン卿のお姿を見るのが夢だったのに……!」
――などという、シロナガスクジラの成体も真っ青な重たい台詞を吐く前に、我が身を振り返って分析してみた……。
……ハイ。
思い当たることがありすぎる。
欠点は数えきれないほどたくさんあるけれど、社交力がまず、圧倒的に足りないと言える。友人どころか、知人も少ないなんてもんじゃない。
――……まずい。
いよいよ呆れ果てられてぼろ雑巾のように捨てられたって、文句言えない立場であることに気づいてしまった。何とか手を打たねばならない。
『他人を変えようとする前に、自分が変われ』とはよく言ったものである。
ウェイン卿に詰め寄る前に、自分自身の行いを改めるのだ。
何が目的だったのかはさっぱりわからないけれど、図書館に現れたシュークリームに似た謎の男性には、この身の至らなさに気づかせていただいたことに感謝である。
「……必ず、やり遂げてみせます」
神妙に決意を表明すると、おそらく強張っているわたしの顔を見て、はいはい、と同行者達は軽い感じで笑った。
王宮は、王都の中心に据えられている。
門の外側から見たことはあるけれど、門をくぐるのは、生まれて初めてだった。
国旗が掲揚された塔を頂く中央宮殿から、左右対称に長く伸びたファサード。
宮殿の建物をぐるりと囲むように、アルディ山脈を上流に持つローゼン川から引いた運河が流れている。
宮殿から見下ろす広大な噴水庭園には、太陽神の登場する神話の一場面を描いた壮麗な彫刻の数々。
人が創り得る物の中で最高の美しさを湛えた噴水庭園は、どこまでも果てなく続いて見えた。
だけどもちろん、そんな筈はない。これは遠近法を用いて、大小の噴水と木々を配置し、そんな風に錯覚させられているらしい。まじすごい。
見惚れて溜め息をついていると、隣でウェイン卿が優しく微笑む。
「王宮はいかがです?」
「はい。感動しました。王宮は、想像以上に素晴らしいですね……。そういえば、お従兄様はどのあたりでお仕事されているんです?」
ランブラーが宮殿を振り返り、向かって左側のファザードを指差す。
「あの辺りの二階が政務室。部屋からは運河とプラタナス並木が見えて、眺め最高。近くに僕の私室もあるよ。ウィリアムが今日、仕事でいるはずだから、後で覗いてみる?」
「はい!」
「ちなみに、僕の執務室はあの辺り。後で覗く?」
ノワゼット公爵が、右のファザードの一角を指し示した。
「はい! そうですか……これが王宮……本当に素晴らしいです。ところで、騎士の皆様は普段、どのあたりにいらっしゃるんです?」
ウェイン卿が柔らかく微笑んで、腕を伸ばす。右ファザードの、ノワゼット公爵の執務室の近く。
「
そうですか、とにっこり応えながら、内心で独り言ちる。
へー、なるほどなるほど。あっちが演習場ですか。ふーん。へー。
――ウェイン卿は、今日も優しい。
ウェイン卿の腕に手を置く。目が合うと、優しく微笑みかけられる。
正しい答えを知るのが怖くて――口には出せないことを、胸の内で囁いてみる。
――だけどあなたは、わたしを公開演習に呼びたくはないんでしょう?
§
ガーデンパーティーは、想像していたのと少しだけ違っていた。
ランブラーの知人が、にこやかに近付いて来て自己紹介してくださる。
丁重に自己紹介を返すと、瞳を煌めかせ、とても感じよく、これから仲良くしてください、的なことを仰ってくださる。
ランブラーが、従妹はこちらのウェイン卿と婚約していますから、と言う。
そうでしたか――と俯いてその知人は去る。
――という流れを、数十回繰り返す。
それが、ガーデンパーティというものであるらしかった。
その遣り取りに足を止められ、向こうのテーブルに山のように並んでいるブッフェスタイルの豪華な食事にはなかなか近づけない。
ランブラーの知人のどこか肩を落とした背中を見送りながら、ウェイン卿は疲れたような嘆息を落とした。
「……伯爵、あっちの、人の少ない方に行く――というのはどうでしょう?」
「……そうだな、リリアーナも疲れただろうし」
ウェイン卿とランブラーが、心なしかげんなりした顔で呟いた。
ノワゼット公爵とブランシュは、途中で古参の貴族風のご夫婦に呼び止められ、一旦離れていた。
「飲み物と食い物、適当に見繕って取ってくる。あとで追いかけるから、先に行ってリリアーナを隠して休んどいてくれ。ええと――エイレーネの泉の辺りにするか?」
ランブラーが庭園内の森の方に視線を流しながらそう言うと、ウェイン卿はまるで安堵したように息を吐きながら頷いた。
「はい。行きましょう、令嬢」
すっと差し出された腕を取ると、ウェイン卿は優しく笑う。恐らく高名な庭師たちの手で美しく管理された森の方へ足を進めながら、わたしは庭園の素晴らしさについて、はしゃいで語りかける。ウェイン卿は、嬉しそうに目を細める。
その横顔を見て、わたしの胸はきゅっとなる。
――ああ好き。大好き。
だけどわたしは、公開演習演習には、呼びたくないと思われているのだ。
行ってみたかったのに。ずっとずっと、二年も前から、公開演習のウェイン卿を見たかったのに。なーんて言ったら……
……ウザい、と思われるよねぇ……?
「これはこれは、卑しき紅眼の騎士」
しわがれた声が、前方で響いた。
瞬間、ウェイン卿がぴたっと足を止める。
その横顔から、甘い微笑はすっと消えさった。氷の無表情。
庭園の片隅、秋色に色づき始めた木立の下にひっそりと佇む、平和の女神エイレーネの像を冠した泉には、先客がいらした。
木漏れ日の隙間、濃く落とされた枝葉の影が、風に吹かれて揺れる。
声の主へと視線を向けたウェイン卿が、低い声で呟いた。
「……ブルソール、国務卿閣下……」
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