第22話 嵐の予感ー02(イザーク・メイアン視点)
いつだって凛々しくて、颯爽としたとこしか見たことがないレクター・ウェイン副団長は、珍しいことにひどく疲れた顔をしていた。
王宮の詰め所に戻るから後は頼む、とカマユー卿とアイル卿に言い置くと、もう一度レディ・リリアーナの部屋を訪ね、挨拶してから伯爵邸を後にした。
騎馬に跨がって去る背を見送ってから、俺はようやく、胸にふつふつと沸きあがる疑問をカマユー卿とアイル卿にぶつけることにした。
「副団長は、公開演習にレディ・リリアーナを招待したくないんですか?」
騎士がその勇姿を人前で見せられる、年に一度の貴重な機会。恋人や婚約者に披露したいと考えるのが普通だと思う。
あー……と言葉を濁しながら、二人は困ったように眉尻を下げた。
カマユー卿とアイル卿と、今この場にいないけど同じ班のエルガー卿には、おおよそ武官の荒々しさってものがない。整った優しそうな顔立ち。穏やかな物腰。
だけど、鍛練場で稽古つけてもらった時の剣の腕はマジで凄かった。俺なんか、足元にも及ばなかった。
顔を見合せた二人は、呆れた風に頷いた。
「メイアン、そこは、察してやれ、……しょうがねえよ」
「大変なんだよ、ウェイン卿も。色々と」
「ああ、なるほど……わかりました」
合点が入って、大きく頷く。
そうなんじゃないか――と薄々、疑ってはいたのだ。
いやだけど、ただの噂ってこともある。先入観や偏見に惑わされてはいけない。ちゃんと自身の目で確認するまでは――そう考えていた。
しかし今となってはもう、違えようがない。
――この目と耳ではっきりと見聞きしてしまった。
応接室での副団長の様子は、いつもと明らかに違っていた。
ひどく気を遣って、青ざめて、まるで何かをひどく恐れているかのようなあの態度。
そして、極めつけ――
『いや、駄目だ。なんと言われようと、絶対にこっちからは呼ばない』
いつだって冷静な副団長の、苛立ったような声。
やっぱりそうだった。やっぱり、副団長は――
――リリアーナ・ロンサールが苦手なんだ。
今でも目を閉じると、強く思い出せる、二年半前のあのシーン。
王都で開かれた、戦勝パレード。
舞っていた紙吹雪。人々の歓声と笑顔。抜けるような晴れ空に浮かんでいた、色とりどりの風船と祝いの凧。
それらすべてが、陽の光を浴びて、きらきら輝いていた。
沿道を埋め尽くす人々の狭間で押され流されながら、それでも俺はどうしても一目見たくて、必死で前に進んだ。
揉みくちゃにされながら人混みを抜けたその瞬間、目の前に弾けた光のシャワー。その下に――
――騎馬に跨がる、あの人がいた。
風に翻る、漆黒のマント。銀色の髪。生まれて初めて目にした紅色の瞳は鋭く、神々しさに溢れていた。
見上げた瞬間、この胸を貫いた感動を、とうてい言い表すことなんかできない――。
俺の運命が、変わった瞬間だった。
あの人に近付きたい――どうやって? どうやったら? 無理だ、届かない、遠い、すごく遠い。
でも、騎士になれたなら――?
少しでも、近くにいけるかな?
強くて強くて強くて、もし俺もあんな風になれたら――――
兵団で血の滲むような努力をして、陽炎を操れるようになった。ようやく先月、テストを受けて憧れの第二騎士団の従騎士になれた。
筋が良くて見込みがあるって正騎士から声を掛けてもらえるほどの才能が、俺にはある。
『赤い悪魔』って異名を取るくらいだから、怖い人かもしれない、と想像していた副団長は、人柄も素晴らしい人だった。団員みんなから好かれているし、ノワゼット公爵からも信頼されてるっぽい。
こんな下っ端の俺にまで、目をかけてくれる。
優しい人だから、公爵に命令されて無理やり婚約させられたリリアーナ・ロンサールにも冷たく出来ないんだ。
大きな嘆息が、胸から落ちる。
そういえば、最近はあまり聞かなくなった。まあ、大衆ってのは飽きっぽいからな。
だけど、世間が忘れても、俺はあの女の正体を覚えている。
兵団に居た頃、噂を耳にした。
高潔な王宮騎士は、ああいった俗っぽい話題とは縁遠い人達だ。もしかしたら、知らないのかもしれない。
もう少しして、もっと打ち解けられたら、先輩たちにも教えて差し上げなくちゃ。
リリアーナ・ロンサールと言えば――
陰湿で傲慢で、屋根裏部屋で動物や少女達に惨いことをしていたってのは有名な話だ。
『……帽子があって助かった。目を合わせていたら、まずかった』
『それは確かに』
『あの目で探るように見つめられたら――』
内面の卑しさが外側にまで滲み出したような、よっぽどな容姿をしているのかも知れない。それで、いつもああやって帽子やフードで顔を隠しているのか――?
「そりゃそうと、メイアン」
考え込んでいると、カマユー卿から声を掛けられた。それが思いがけず真剣な口調で、慌てて姿勢を正す。
「令嬢にはもちろんだが、侍女やメイドにも、礼を尽くせよ」
ピンときた。
――告げ口かよ。
あのアナベルとかいう気の強そうな、お高く止まった感じの悪い侍女か――。
嫌な女たちだ。
何にもできない、守られてるだけの弱い存在の癖に、態度だけは偉そうだった。胸の辺りがもやもやする。
「あ……はい。すいません、その、女の人と話すの、あんま慣れてなくて……」
しょんぼりした風に肩を落とすと、カマユー卿とアイル卿は途端に相好を崩した。
穏やかに笑いながら、カマユー卿は俺の肩を叩いてくれる。
「ああ、そういうことか。あんまり気にすんな。そのうち慣れる」
「とにかく、丁重に接しとけ。わかってるだろうが、令嬢にも侍女にも、もしものことがあったら、洒落にならんからな」
「はい、わかってます」
よし、と笑って、二人は満足そうに頷いた。
――そう、俺はよくわかってます。
人嫌いで、淑女らしくなくて、不気味な魔女と呼ばれる女。
レディ・ブランシュと義兄になるノワゼット公爵に裏から手をまわし、副団長を無理やり手に入れた。
気を付けろってことは、気分を害したら、ノワゼット公爵に告げ口されるってことだろう。
忙しい副団長を、今日みたいなしょうもない用事で呼び出して、さっきみたいな遣り取りで振り回す、我が儘で愚かな女。
――……だけど、大丈夫ですよ、副団長。
俺は、レクター・ウェイン卿の妻になる人には、素晴らしい女性であってもらいたい。
美しくて、賢くて、清らかで、誰からの評判もいい、悪い噂なんて一つもない、すばらしい女性と結婚させてあげたい。
――俺を救ってくれた、憧れの人だから。
まったく、しょうがないな。
内心で、嘆息を落とす。
副団長を救うためだ。
俺が、泥を被るっきゃないか。
副団長は、きっと俺に感謝する。
――『助かったよ、メイアン。お前のお陰だ』
カマユー卿達だって、俺の勇気に感銘を受けるに違いない。
――『メイアン、お前、凄い奴だよ。勇気あるな』
俺は、笑って言って見せる。
『そんなことないっすよ。人として、当然のことをやっただけです』
ふふっと頬が緩む。
安心してください、副団長。
この俺が、何とかしてみせます。
リリアーナ・ロンサールと、別れさせてあげますからね――――
副団長の幸せは、この俺が必ず守ってみせますから。
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