第12話 移り行くものー03(ブランシュ・ロンサール視点)

 結論から言うと、わたしはこの件で、数々の思い上がりに気付く。


 コンスタンスは手紙を読んだ後、わたしをバルビエ侯爵邸に連れ帰った。

 そして、デリア・ビシャール伯爵令嬢とビアンカ・フォーティナイナー男爵令嬢を呼んだ。


 その夜は、コンスタンスの部屋の真ん中に置かれた海みたいに大きなベッドで、四人並んで眠った。


 翌朝、バルビエ侯爵家の騎士たちに付き添ってもらって、伯爵邸に戻った。



§



 それから二週間後。

 屋敷のわたしの部屋で、友人たちとお茶を飲んでいた。令嬢たちはわたしを気の毒がって、毎日こうして屋敷に通って来てくれた。


 ここのとこ、部屋から出る気がしない。

 部屋着のまま長椅子にだらしなく凭れて、オレンジの風味を利かせたガトーショコラを口に運ぶ。これもう二切れ目。

 

『スノーホワイト』の、オレンジの皮で風味づけられたガトーショコラ。

『ブルームーン』のガトーショコラはオレンジキュラソー入りだから、アルコールが苦手なわたしのために遠回りして、デリアが買ってきてくれた。

 七分立ての生クリームの添えられたそれは文句なく美味しくて、ちょっと泣きそうになる。

 最近太ったかも。でも、べつにいいや。コルセットはめる気分でもない。一生、外に出ないで、こうやって暮らすのも楽でアリかも。



「それはそうと、あの男、もう王都にはいませんのよ。ですからブランシュ、明日は一緒にオペラ通りの『フラウ・ホーリー』まで出掛けませんこと? 最新のボンネットが入荷したんですってよ」


 友人たちが交わす、流行の帽子についての話題をぼけーっと聞き流していると、コンスタンスが何でもないことのようにそう言った。


 目の前の食べかけのガトーショコラから、ゆっくりと視線を上げる。


「…………いま、なんて? ……あの男が、王都に、いない……?」


 愛らしく小首を傾げたコンスタンスが、小鳥が囀ずるような魅力的な声で言う。


「シャトー・グリフ島に送られたそうですわ」


「……? はあっ? シャトー・グリフ!?」


 シャトー・グリフと言えば、流れの早い海流に囲まれた孤島に造られた、脱獄不可能と云われている監獄だ。

 送られるのは主に政治犯と重罪犯。一度入ったら、死体袋に入るまで出られない――という嘘か本当かわからない都市伝説を聞いたことがある。


「……す、ストーカーって……シャトー・グリフに送られるの……?」


「まあ、いやだ。そんな筈ないじゃない」


 デリアが、扇より重たいものは持ったことないと思われるほっそりした指先で口許を抑えて笑う。彼女ってほんと、理想的なアヒル唇。


「ブランシュったら、普段はしっかりしているのに、たまに天然が入るんだから」


「そこがまた、魅力なんですのよねぇ」


 三人の温室育ちの令嬢は、揃って愛くるしい笑い声を上げた。


「――あの男、アラン・ノワゼット公爵閣下を襲ったらしいですわ」


「……はあっ?」


「その場で王宮騎士様に現行犯で取り押さえられて、王位継承者を狙った国家転覆罪で、シャトー・グリフに送られたそうですわよ」


「は……っ?」


 愕然とするわたしに、令嬢たちはお人形のように愛らしい造作の顔を見合わせ、おっとり口調で話し始めた。


「お会いするの、大変でしたのよ。ノワゼット公爵様ったら、貴女のいない夜会にはさっぱり出席されないんだもの」


「最近では、女性はみんな門前払い。面会もさせてもらえないの。誰かさんに誤解されたら困るからですって」


 ビアンカ・フォーティナイナー男爵令嬢が、柔らかな口調で続ける。


「それで以前、親友認定していただいたわたくしの兄がノワゼット公爵邸に伺いましたの……最初は『誰だお前?』って顔されたらしいですけれど……」


「まあ、そうでしょうね……」


「だけど、レディ・ブランシュの件だって申し上げた途端、顔色が変わったらしいですわ。

 事情を申し上げて、例の手紙をお見せしたら、公爵様、後は全部自分がなんとかするから、しばらくの間、貴女を屋敷から出さないように、よろしく頼みます――ってわたくしたちに頭を下げに来られたの。まあもちろん、頼まれなくてもそのつもりでしたけど」


 へえ、と間の抜けた声が漏れた。

 あの手紙、もう触るのも嫌で、バルビエ侯爵家の騎士に渡しっぱなしにしていた。


「貴方は知らないでしょうけど、ここしばらくのロンサール伯爵邸の周りは、第二騎士団の皆様が林の中で身を潜めていらして、そりゃあ見ものだったんですのよ」


「そ、そうなの……?」


「だけど、大丈夫かしら? 公爵様ったら、あの男に怪我を負わされて……」


「え……?」


 ぎくり、と心臓が鳴って、背がすうっと寒くなる。


「全治三か月の怪我を負われたそうですわ」


「うそ……」


 あんなにぞろぞろ騎士引き連れていたのに、何でそんなことになんの?


 コンスタンスが、ふっと優しく瞳を細めた。


「そんなに心配なら、お見舞いに行って差し上げたら?」


「そろそろ素直になって、仲直りなさいな」


「ノワゼット公爵様と痴話喧嘩なさってからの貴女ときたら、暗い顔して大きな溜め息をついてばっかり」


「そんなこと……!」


 ないわよ、と言う前に、ビアンカが訳知り顔で頷く。


「だいたい、ブランシュはご自分の魅力を過小評価し過ぎですわ。契約結婚して、あっさり離婚してもらう――だなんて、一度でも貴女と結婚できた男が了承するはずないでしょう? 温厚で人畜無害を絵に描いたようなうちの兄だって、恋に狂って豹変するに決まってますわよ」


「……なぜ……その計画を……?」


 誰にも言っていない、わたしの密かな野望。

 苦労知らずで世事に疎いはずの令嬢達は、可笑しそうに目を細めて笑う。


「そりゃ、見てれば分かりますわよ。大事な友人のことですもの」


「とりあえず、ノワゼット公爵様にお礼だけでも言ってらっしゃいな」


 だいたい――、とデリアが長い睫毛を意味ありげに瞬かせる。


「取りつく島もないなんて、あなたらしくもない。第一印象と噂だけじゃ奥行きはわからないってこと、貴女が教えてくれたんじゃなかった?

 ブランシュ、わたくしが貴女のドレスにワインかけようとしたとき、こんな風に一緒にガトーショコラを食べる日を想像した?」


 う、と言葉に詰まるわたしを見て、コンスタンスが優美な笑みを浮かべる。


「駄目って決めつけて切り捨てちゃうの? もったいないわ。あなたになら、隠れた美点を見つけられるかも知れなくてよ? 初めて会った時、木陰で貴女の足を引っかけようとしたわたくしにだって、今となっては少しは良いとこあったでしょう?」


 ビアンカが星屑を散りばめたようなキラキラした瞳を細めて、悪戯っぽく笑う。

 

「別に恋のお相手にとまでは言わないから、お話しくらいしてみたら? それで、やっぱりどうしても適当な誰かと契約結婚したいなら、うちの兄を説得するのに協力して差し上げますわ。離婚したいって時には、ちゃんと加勢もいたしますから」


 ぐうの音も出ないとは、このことだと思った。


 世の中は冷たくて、令嬢たちはチョロくって、わたしの周りにはロクな人間がいないですって?


 視界がちょっと滲むから、瞬きを繰り返すわたしの前で、温室育ちの――すばらしく碌でもある親友たちは、ころころと鈴のように笑った。




 

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