第13話 移り行くものー04(ブランシュ・ロンサール視点)
真っ青な空を背景に佇む、白亜の城。
仰ぎ見たノワゼット公爵邸は、思い描いていたよりずっと壮大だった。
王都の中心を流れるローゼン川の畔。芝生が青々と繁る広大な前庭。雲にも届きそうな四本の尖塔にはためく、公爵家の紋章旗。
こちらへどうぞ、と卒のない動きで秘書官と名乗る男性に通されたのは、応接室ではなく執務室だった。
勧められるまま、長椅子に腰かけて部屋を見回した。
複雑な彫刻が施された暖炉。神話の場面が描かれたタペストリー。ゴルドバ革で覆われた肘掛椅子。異国の紋様が織り込まれた絨毯――。
たいした造詣を持ち合わせなくとも、わかった。
数世紀前に名のある芸術家によって造られた国宝級の代物たち――これ、もはや値段つけられないやつだわ。
背筋を伸ばして、顎を上げて待つ。重厚な雰囲気に気圧されないように。
…………それにしたって――――、
(……やけに、待たされるわ……)
まさか本当に怪我を……? いや、それはない。
あれは嘘だって、コンスタンスがあっさり白状した。まったくもう。
公爵邸の侍女が静かに入ってきて、手を付けないまま冷めた紅茶を新しく入れ替える。
国宝級ティーカップに、香しい湯気がゆらぐ。だけどやっぱり、手を伸ばす気にはなれなかった。
ちらりと、開けっ放しのドアの前に微動だにせず立つ秘書官の男性に視線を向ける。
知性的な顔立ち。だけど、……ちょっと冷たそう。感情の読めない無表情。
……シャルル・ミル伯爵、だっけ? 仕事できる人って感じ。そうだった、つい忘れがちだけど、ノワゼット公爵は本来、伯爵クラスを顎で使う身分。
(……もしかして、会いたくないと思われている……?)
この前のあれは、流石に言い過ぎた。人が人に向けて放つことが許される言葉じゃなかった。あれから、もう三か月。
(流石に、もう嫌われたかな……?)
嫌われる為に色々やった。すっぽかしに失礼な言動。赤ワイン三回、紅茶は二回。シャツに広がっていた染み。
何してもニコニコ笑ってたけど、内心、煮えくり返っていたかも。時間が経ってから怒りが込み上げるパターンっていうのも考えられる。
(……一言だけ、お礼とお詫びを言ったら、さっさと帰ろ……)
もともと、身分だって違う。
ノワゼット公爵家は、外国の王族や侯爵家以上の令嬢と縁を結ぶ家格。
顔が良いだけの、父親を亡くして何の後ろ盾もない伯爵家の小娘に本気になったりしない。
いや、別にいいんだけどね。
連れ回して見せびらかすには持って来いの綺麗な娘と、ちょっと火遊びしたかっただけなんだろう。
いや本当、別にいいんだけど。
(……そう言えばなんだって、わたし、こんなドレス着てきたのかしら……?)
このシャンパーニュベージュのドレス、顔色が映えて見えるのだ。
……間違えた。これ、勝負服なのに。
…………なんだろう。
…………なんか。
……あほらしい気分になってきた。
「あのう、ミル伯爵様?」
「は、はいっ?」
急に立ち上がったわたしに、ぎょっとした視線を向けたシャルル・ミル伯爵が、上擦った声で応える。
スカートを摘まんで、礼をする。
「本日は、失礼にも面会のお約束もいただかず参りまして、申し訳ございませんでした。お忙しいようですし、わたくしはこれで失礼いたします。お詫びとお礼を申していたと、お言伝ていただけますか?」
「ええっ!!」
それだけ言って、応接室の開けっ放しのドアをくぐりかけた。
通り抜ける前に、シャルル・ミル伯爵の身体にさっと阻まれた。
見上げると、冷徹そうな顔にしっとり汗が浮かんでいる。
「どうか! もうしばらくお待ちを!! 騎士が馬を飛ばして迎えに行きました! 公爵はすぐに戻りますから!」
「はい……? 公爵様はお出かけでらっしゃいますか? でしたら、やはり、」
「いけません! 後生ですから! どうか! 今しばらく!」
「は……?」
変なの。中身は印象とずいぶん違うらしい。眉が訝しげに寄っていたかもしれない。
じっと見ると、ミル伯爵はますます動転して青ざめた。
「あ、あの、はっ! そうだ! 退屈でしたら、城内のご案内を……!」
「いいえ。けっこうです」
「で、では、茶菓子を変えましょう! 甘い系より、しょっぱい系がお好みでした?」
国宝級の皿に盛られた、手をつけなかったプラリネやプチフールを指して言う。
「そういうわけでは……」
「ええっと、では……、わたくしが、お話し相手を務めさせていただく、というのは……? どのような話題が、お好みでしょう? わりと、何でもいける性質でございます」
「……はあ……?」
なんか、必死すぎない?
あの人の部下って、みんなして少し変わった方らしい。
「レディ・ブランシュ!!」
久しぶりに聴く懐かしい声が、ミル伯爵の後方から聞こえたかと思うと、息せき切ったノワゼット公爵の姿が見えた。
「どっ、どうされました!? どうして、貴女がここに!?」
息は荒いし、額には汗が滲んでいる。どうやら、急いで戻ったらしい。
どうしてか、胸の辺りがちくちくする。
「……ノワゼット公爵閣下。ご無沙汰しております。急用ではございませんのに、お呼び立てして申し訳ありません」
「あ、ああ、はいっ。お久しぶりで……そのぅ、王宮で謁見中で……、お待たせして、申し訳ありませんでした。その……お元気でいらっしゃいましたか?」
たどたどしい笑顔を作りながら、ひくひくと頬が痙攣している。
(……ん? 王宮で謁見中……? 陛下との謁見を中断して帰ってきたの?)
まさかね。
「公爵様が……、お怪我されたと、公爵様のご親友のフォーティナイナー男爵令息の妹令嬢からお聞きしました」
「……え、怪我……?」
きょとん、と鳶色の瞳は瞬く。どっからどう見ても、健康そう。
なんだかいたたまれなくなって、視線をタペストリーの絵柄に移した――地上に満ちた暗闇に暁の光を導く、夜明けの女神アウローラ――
「国家転覆を狙う暴漢に襲われたと聞きましたが、もう完治されたようで、何よりでございます」
「あ、ああ! はい、お陰様で……」
「……お見舞いの品をお持ちしました。取次ぎの方に、お渡しいたしましたので」
「それは……、一生、大切に致します」
「生花と生菓子ですから」
「ああ、なるほど。やはり、一生、大切に致します」
意味がわからない。首を傾げて見上げると、困ったみたいに眉尻を下げて、笑っている。
また、胸のあたりがちくちくする。
「……用件は、それだけでございます。お時間をいただき、ありがとうございました」
「……ああ、はい……」
礼をして、今度こそお暇しようとすると、今度はノワゼット公爵にさっと阻まれた。
「えーと、よろしければ、……これから、城内のご案内など……」
「公爵、それは先ほど、ご興味がないと……」
ミル伯爵に耳打ちされて、公爵の顔に焦りが滲む。
「……なるほど。……ええと、では、今夜開かれる王宮の夜会に、僕と一緒に行っていただく、なんてことは…………やっぱり、無理ですよねぇ……」
えへへ、と頭を掻く公爵に、ミル伯爵が哀れみの眼差しを向け、首を静かに横に振る。
「……承知しました」
「「……はい?」」
公爵とミル伯爵の声が重なった。
「王妃殿下主催の夜会でございましょう? わたくし、二週間も閉じこもっておりましたので、ちょうど出かけたいと思っておりました。一度、戻って支度いたします。迎えにいらしていただけますか?」
ぽっかーん、と口を開けて、公爵はしばらく、固まっていた。
「それから……」
「はっ、はい!」
「先日は、…………言い過ぎました。申し訳、ありませんでした……」
ひどくぶっきらぼうに、尻すぼみになった言葉に、アラン・ノワゼット公爵は目を瞠った。
それから、くしゃっと目尻を下げて、笑った。
§
「……アランがそこまで黙ってるってことは、わたしは知らない方がいいことなのね……」
拗ねた口ぶりで言うと、困りきった顔をする。
「ごめん、ブランシュ」
「……」
起き上がって、じとっと睨む。彼は肩を落として言う。
「僕のせいで、ブランシュが狙われちゃって、ごめん」
「全くもう、恨み買い過ぎよ」
「ごめん。だけど、君も、君の大事なリリアーナも、ロンサール伯爵も、僕が絶対に傷つけさせたりしないから」
溜め息をついて、膝の上にのって首にぎゅうっと腕を回して抱きつく。
ちょっと積極的すぎるくらいにくっつかないと、アランは壊れ物を扱うみたいにしか、わたしに触れてくれない。
アランの腕がようやく背中に回って、髪と背をそうっと撫でた。
「まあしょーがない。早く迎えに来てよね」
「うん」
「それから、貴方も気を付けて」
「うん」
「怪我、しないように」
「うん」
シャツの胸元に顔を埋めて、ぽつりと呟く。
「会えないなんて、さみしい……」
「うん」
背に回った腕に、そっと力が籠もる。もう、緩いわよ。
「ブランシュ……早く、結婚しようね」
「……うん」
「はあ……ブランシュが、可愛すぎてやばい。早く、ぜんぶ僕のものにしたい」
「……してもいいのに」
アランの掌が、優しく背をなぞる。
「……うん。だけど、我慢する。ブランシュは、僕が心変わりするんじゃないかって、本当はちょっと疑ってるだろ?」
「……ちょっとじゃなくて、すごーく疑ってる」
あははっ、とアランは可笑しそうに笑う。
「しないよ」
「だけど、わたしのこの類まれに綺麗な顔だって、いつかおばあちゃんになるわ。それなのに、貴方はロマンスグレーの公爵閣下になる。きっとモテる。……アランが美人に目がないってことは、間違いないもの」
顏を覗き込まれて、頬を撫でられる。
「美人に目がないんじゃなくて、ブランシュに目がないんだ。だから、心変わりなんてしない。もししたら、殺していいよ。絶対にしないけど」
「……口が上手いところも心配……」
アランは、嬉しそうに破顔した。
「ブランシュが、――僕のこと大っ嫌いだったあのブランシュが、まさか嫉妬してる?」
「他の美人に目移りしたら、捨ててやるんだから」
目移りした後なんだから、捨ててやるも何もないのに、アランは急に弱り切った顔をする。
「それは、絶対に困る」
ま、しょうがない。
移り行くはずのものに、「永遠」があるってことを信じてみたくなっちゃったんだもの。
ここは黙って、ストランドに行ってあげよう。
なんだか可笑しくなって、ふふふっと笑うと、ころりと長椅子に横たえられる。
片手でタイを緩ませながら、鳶色の瞳が怪しく光る。
「夕食まで時間があるから、結婚前に許されるところまで、してもいい?」
返事をする前に大好きな鳶色の瞳が近づいてきて、わたしの胸は、きゅんと鳴った。
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