第11話 移り行くものー02(ブランシュ・ロンサール視点)
「――それから、思いつく限りの意地悪したのに、アランったらちっとも応えないんだもの」
「いや、応えてたよ。落ち込みすぎて死にたくなった。何度も」
アランは相変わらず優しい目をして、手櫛でわたしの髪を梳いている。
さっきと体勢は変わって、長椅子に腰かけるアランの膝の上に頭を乗せた。
悔しいことに、結局、いつもアランの思い通りに事が運ぶのだ。
「ふぅん……本当かしら?」
「ほんとさ。グラハムと腕を組んで見せたことあったろ? あれとかやばかった」
「だって他の人だったら、あなた王都から追い出しちゃうでしょう? だから、公爵同士で相討ち狙ったの」
「うわー、こわいなぁ」
台詞とは裏腹に、アランはふふっと鳶色の目を細めて嬉しそうに笑う。
§
「もうっ!! いい加減にしてください!!」
ある日の屋敷の応接室。
王宮第二騎士団団長にして国王陛下の従弟であるノワゼット公爵を相手に、とうとう堪忍袋の緒が切れた。見事なほどに、ぶつっと切れた。
贈り物の箱が山と積まれたテーブルを前にして、頬を引き攣らせて断りの口上を述べているうちに、それはマグマのように喉元にせり上がってきた。
何度か、呑み込もうと試みた。だけどもう、無理だった。轟然と噴火した。
――下級貴族が、寄ってこないじゃないの!!
精一杯、やったのに。
約束のすっぽかし。失礼な言動。赤ワインは三回、紅茶は二回、高そうな服にぶっかけた。
それはやってみると、ひどく消耗する行為だった。人に意地悪するって、自分の中から大事なものが消えて、代わりに汚泥が溜まっていくみたい。
我ながら、本当によく頑張ったと思う。
なのに、ちっとも効かない!
目つきの悪い王宮騎士をぞろぞろ引き連れた、血も涙もないって噂の公爵。
そんなのにずっと周りをウロチョロされて、誰がわたしの相手を買って出るのよ?
買って出る奴がいたら、そいつの愛は本物じゃないの! そんなもんはいらん。わたしが欲しいのは、契約結婚してくれる、気のいい後腐れのない男だ。
――朝、屋敷の庭でリリアーナを見かけた。
りんごの木の上で愛らしい声で鳴く野鳥を眺めてた。黒いフードから覗く口許を柔らかく緩ませて。もう何年も、顔を見てない。声も聞いてない。
――――寂しい。
なんでもいいから、どんな傷があったって大好きだから、顔を見せて、声を聞かせてよ。
そっと近付いて声を掛けようとしたら、こっちに気付いた途端、飛び上がるように逃げ出した。
最悪の気分。
――わたしが、何したっていうのよ!!
「公爵様なんて、大っ嫌いです!! 顏も見たくありません!! 頭おかしいんじゃないですか!? もう付き纏わないで!! 迷惑です!! ほんっと、気持ち悪い、吐きそう!!」
あ、やべ、言い過ぎた。
汚物みたいな言葉を吐き散らしながら、やめなきゃ、と思った。だけど、一度口からあふれでた毒は、途中で止められなかった。
公爵相手に、流石にこれはやばくない?
怒らせたら、王都に居られなくなるかも。
もういいや。
あれだ、自由を愛する吟遊詩人にでもなろう。気ままな一人旅に出る。
なんかもう、何もかも嫌になった。何もかも、思い通りにならない。
――こんな汚い言葉、人に向かって、言いたくなかったのに……!
俯いたら、涙がぽたぽたと大理石の床を濡らした。
誰も、何も言わなかった。
しーーんとした空気の中、恐る恐る顔を上げる。
ノワゼット公爵と、その後ろにいる金髪の騎士三人が、揃って真っ青な顔で立ち竦んでいた。
見開かれた鳶色の瞳がひどく傷ついていて、ぎくっとする。
「――すっ、すみません!」
「反省させます!」
「もっ、申し訳ありませんでした!」
先に我に返った三人の騎士が、魂が抜けたみたいな顔した公爵をずるずる引き摺って、帰って行った。
いつも飄々としているくせに。何よ……。
違う――。
悪くないもん。わたしは悪くない。悪いのは、あっちだもん。何度も何度も断ったのに――――。
そりゃ、笑ったら目が細くなるとことか、目尻が和らいで下がるところは、わりといいと思うけど。意地悪したってへこたれないし。
こんなに好きって言ってくれる人は、この先、もう現れないかも。
だけど、いらない。
どうせ、もっと綺麗な子が現れたら、そっちに目移りするに決まってる。
移り行くものに、期待なんかしない。
ドーン公爵は、はっきり断ったら潔く引いてくれた。
――あなただって、そうしてくれたら良かったのに。
§
アラン・ノワゼットとグラハム・ドーンをこっぴどくフッた女――――。
相変わらず、下級貴族は清々しいほど寄ってこなかった。しばらくは、誰も恐れて近付くまい。
しかし、わたしは考えた。
……この際、平民でもいいんじゃない?
国境まで馬で駆けてって、結婚が自由意思でできる隣国の教会で式をあげちゃうのだ。それを新聞で堂々発表。――既成事実を作っちゃえば、あの腹の内の読めない従兄も手出しできない。
「ねえ、ロウブリッター。あなた、おいくつ?」
「今年、七十になります。お嬢様」
先月、この屋敷に赴任したばかりの老執事は背筋をぴんと伸ばして、一部の隙もない所作で紅茶を注ぐ。
テラスの椅子に腰かけて、風に流されて形を変えてゆく雲をぼんやり見ながら、呟いてみる。
「……そう。……ねえ、貴方、わたしと結婚してくれない?」
ぼちゃん、とポットの蓋がカップの中に落ちた。紅茶が跳ねて、老執事の袖を濡らす。
「あら、大丈夫? 火傷してない?」
ロウブリッターは珍しく、慌てた様子で蓋を拾った。ナプキンを手渡すと濡れた袖を拭って、咳払いして、居住まいを正す。
「……お嬢様には、素晴らしいお相手がおいででございましょう?」
「それがそうでもないの。人生は何もかも、ままならないわ」
「……左様でございますか?」
「さようでございますのよ。母は顔も覚えてない。父は廃人の後、帰らず。妹は筋金入りの引き籠り。従兄の伯爵はわたしを嫌ってる。寄って来るのは害虫みたいな男ばっかり。せっかく美人に生まれたのに、なかなか最悪でしょう?」
ふと、ほんの少しだけ、ロウブリッターのお堅い空気が和らいだ気がした。
「害虫ばかりとは、困りましたね」
「全くよねぇ」
「ですが、お嬢様でしたらいつか、素晴らしいお相手と出会われるかと」
「……ロウブリッター、貴方、いい人ねえ……」
しみじみと言うと、老執事の白眉の下に隠れた目が、少し狼狽えたように感じた。
「……光栄でございます。お嬢様」
「さっきのセクハラ発言は、忘れてちょうだい。働きにくい点があったら、遠慮なく言ってね。改善できることはするから」
「はい。承知いたしました」
「まるっとハッピーエンド、どっかから転がり込んでこないかしらねぇ……」
良くできた老執事はわたしの弱音を黙って聞いて、新しいカップに温かい紅茶を淹れ直してくれた。
§
その後数ヶ月は、誠につつがなく、平穏な日々が続いた。
相変わらず、契約結婚の相手は見つけられなかった。
しかしある日、友人令嬢たちがきゃっきゃっと交わす姦しい噂を耳に挟んだ。
それによると、従兄は当初の印象に反し、「イケメンかつフェミニスト」という希少種であるという。
わたしが参加するパーティーには徹底して現れない従兄は、別の集まりには時折、気まぐれに顔を出しているらしい。
そこで彼に会ったという令嬢たちが、興奮気味に褒めそやす。「あんな素敵な方が後見人なんですって?」「貴女ったら、なんてラッキーなの!」
――もしかしたら……猟奇的な高位貴族に売り飛ばされない?
よくよく考えれば、ドーン公爵とノワゼット公爵は、この国有数の高位貴族。
従兄が野心家なら、とっくにどっちかに売られていそうである。実に意外なことだけど――
……のんびり構えていても何とかなるかも……?
一旦、契約結婚の相手探しは保留にして、サロン経営の勉強を優先することにした。
賃貸や売りに出そうな良い土地があったら見て回った。
コネを広げる為、社交界の集まりにはできるだけ多く顔を出す。
「社交界の華」とか「女神」とか呼ばれて、たびたび新聞に写真付きで載った。
我ながら、なかなかうまく立ち回っていると思えた。
同じ王都の社交界にいるノワゼット公爵とドーン公爵とは、夜会で顔を合わせることもあったけど、会釈するだけ。
二人とも、もう近付いてこなかった。
――ふーん、周りに貴婦人を侍らせるのは、やめたのね。
わたしには関係ないけど。
良かった良かった。ほーんと、すっきりしたわ。
ところで……?
――あの人、なーんか、行く先々で見かけない……?
平凡な、覚えにくい顔立ちの人だった。だから、初めのうち気付かなかった。
中肉中背。灰色のジャケットの袖を捲って、シャツの胸元は開きすぎてる。
くたっとした帽子に、磨かれていない底のすり減った靴。
道を歩けばよく見かける、労働階級の人。
はたと気づくと、いつも、薄暗い木陰や物陰に佇んで、瞬きもせずこっちを見ている。
よく行くサロン。お気に入りの菓子店。ビアンカと出掛けたカフェ。この前なんて、屋敷の前でも。
日を追うごとに、じとりと湿り気を帯びてゆく視線。
……ストーカー……?
――いやだ、まさか。
そんなに何回もストーカー被害に遭ってたまるかっての。
ノワゼット公爵一人で充分。気のせい気のせい。わたしったら自意識過剰ね。
ところが、コンスタンスと訪れた歌劇の帰り。
友人と別れて、馬車に乗ろうとしていたら、纏わりつくような視線を感じた。
――何なの!?
こういうの、すごく苛々する。
だから、物陰に立つ男につかつか近付いてって、声を掛けた。
ちなみにこの時、友人のコンスタンスには護衛の騎士が二人も付いていた。さすが侯爵家。ちゃっかり、迫力をお借りする魂胆である。
毅然とした態度で、強い口調で言ってやった。
「失礼ですけれど、どこかでお会いしました? わたくしに何か御用ですか?」
男は湿った目を、びっくりしたように瞠った。そして――
――――にたり、と嗤った。
その瞬間、わたしは自分が「良識」という世界で守られた、甘ちゃんであったと悟った。
予定では、この男は怯んで謝るはずだったのだ。
「ごめんなさい。わたしは実はタブロイドの記者でして――」とかなんとか、そんな風に言うはずだった。
遠目には、ひょろっとして見えた男の体は、近づいてみるとわたしよりもずっと大きかった。
この距離で、捲ったジャケットから覗く骨ばった腕を伸ばされたら、きっと避けられない。
掴まれて、悲鳴を上げて、押し倒されて、バルビエ侯爵家の騎士が止めに入ってくれるまで、何秒かかる――?
その僅かな間に、この男はわたしの心に恐怖の楔を打ち込むことができるだろう。一生かけても癒えないほど、致命的な――――
思い至った途端、胸がすうっと冷えた。氷の塊を呑み込んだみたいに。思わず一歩後ずさる。
それを見て、男は満足そうに目を細めた。
怯んだことを見透かされた気がして、悔しくて、唇を噛んだ。
男が一歩踏みだした。ねばつく視線が、わたしの全身を這う。わたしよりも大きな歩幅。
腕を上げて――大きな掌が、わたしの胸に迫る。慌てて胸を両手で庇うと、掌に何かねじ込まれた。
そのまま、踵を返して走り去る。
声は、全く――出せなかった。
「おい、待て!」
バルビエ侯爵家の護衛騎士が気付いてくれて叫んだけど、男はあっという間に夜の闇に消えた。
手に残されたのは、封筒だった。
バルビエ侯爵家の馬車に乗せてもらって、コンスタンスと侍女と一緒に、おそるおそる分厚い封筒を開いた。
「馬車の外に、護衛騎士がいるから」
気遣うように言うコンスタンスに背を撫でられて、自分が震えていることに気が付いた。
十三枚もの便箋にびっしり。スペルミスの目立つ、ミミズがのたくったような字。
読まなきゃいいのに、読まないのも怖くて――――
結局、最後まで読んじゃった。内容は、愛の言葉と――――
「アイシテルアイシテルアイシテルアイシテル。キミヲ――――――」
吐き気を催す、卑猥な単語の羅列。
――ああ、わたしの周りに寄ってくるのって、ほんっと、ロクでもない……!
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