第10話 移り行くものー01(ブランシュ・ロンサール視点)

 王都から馬車に揺られていた身体を長椅子に横たえると、ほっとして息が零れた。

 アランが跪いて、わたしの髪を撫でる。


「寒くない? ブランシュ」


「寒いはずないわ。もう夏じゃない」


 嫌味な言い方になっちゃった。だけど、アランは嬉しそうに鳶色の瞳を細める。


「そっか」


 包み込むように絹の肌掛けを掛けてくれる。それを口元まで引き上げて、わたしは言う。


「……ねえ、覚えてる? わたしが初めて、あなたと夜会に行ってあげるって言った日のこと」


「忘れる筈ない。僕、あの日君にプロポーズしたんだ。……気が変わったっていうのは、なしで頼むよ……?」


 急に不安そうに顔を曇らせるから、可笑しくなった。


「今は言わない」


「……そうか、じゃあ、これからも言われないように気を付ける」


「そうね。そうして」


「うんわかった」と優しく笑って、アランはさっきほどいたわたしの髪を一筋取る。それにそっと口づける。


 されるがまま、自分でも不思議な心地になる。


 ――まさか、こんな風になるとは思わなかったわ。




『まあ、公爵様ったら』

『本当ですよ。僕は嘘をつけない性格なんです。今夜もまた、花や宝石を霞ませるお美しさですね。――夫人』


 うふふ、と扇子の隙間から艶っぽい流し目を覗かせる世慣れた貴婦人たちに囲まれて、甘ったるい台詞をまき散らす気障男。


 ――……あれが、噂のアラン・ノワゼット公爵かー……顔はわりといいけど、ないわー。


 遠目に見た第一印象は、そんな感じ。


 こちとら、遊び人の色男と恋の駆け引きを楽しんでいる暇はないのだ。

 イケメン無罪? なにそれ? わたしには通用しない。


 わたしの周りには、ロクな人間がいなかった。

 世間から有能だと思われていた父親は家では廃人同然で、いつも上の空だった。出征する背中を見送ったとき、泣いてるわたしを振り返りもしなかった。

 予感がした。「ああ、お父様、わたしを一人にするつもりなんだわ――」

 案の定、戦争から帰らなかった。あの時は泣き暮らした。泣きすぎて、身体が溶けてなくなっちゃうんじゃないかと思った。


 命よりも大事にしていた可愛い妹は、病気になった日を境に口を利いてくれなくなった。

 まあとにかく、屋根裏に閉じ籠って信じられないくらい出てこない。

 ごくたまにばったり屋敷で出くわすと、猫に遭ったネズミみたいに怯えて逃げ出しちゃう。

 あれは流石に、ちょっと傷つく。だから、こっちからはもう近付かない。……これ以上、嫌われたくないし。


 母代わりと慕っていた侍女たちは、もっといい稼ぎ先が見つかったとかで、挨拶もなく辞めていった。


 後を継いだのは、会ったこともない従兄のランブラー・ロンサール。おとぎ話の王子様みたいな整った顔して、腹の内の読めない不気味な奴。一目会った瞬間、ピンときた。

 わたしとリリアーナをめちゃくちゃ嫌ってる。あんな男には絶対に頼らない。足元を掬われる危険なんて冒せないんだから。


 世の中は冷たい。信じられるのは自分だけ。自力で生きてゆくしかない。


 天はわたしから色んなものを奪っていったけど、唯一にして最高の武器を与えてくれた。


 ずばり、この顔である。


 外見を売りにはしたくない……なんて、腹の足しにもならない矜持はとっくに捨てた。

 あの腹の内の読めない従兄がいつ何時、『後添いの話があるんだけど、どうかな? 奥方が次々と早世されて、気の毒な方なんだ。君に一目惚れしたらしい。ぜひ、十五人目の妻にってさ。いい人だよ、前世紀をその目で見てきた経験豊富な公爵閣下で、何より大金持ちだ。話、進めとくからね』なんてふざけたこと言い出さないとも限らないんだから。



 そうなる前に、なんとかしなきゃ。



「ねえ、レディ・ブランシュ。今日のヘアスタイルも素敵ね。どちらかのサロンに通ってらっしゃるの?」

「ねえ、レディ・ブランシュ。そのルージュ、どちらのをお使いですの?」

「レディ・ブランシュ。あなたのフレグランスって――」


 この容姿が魅了するのは、異性ばかりじゃなかった。


 社交界にデビューして、実は男性でなく女性の方が、美しさを切実に追い求めていると知った。異性を虜にしたいからなんかじゃない。多くの女性は、自身の為に美を磨く。


「レディ・ビアンカ。貴女の情熱的な赤い髪、とても素敵だわ。この辺りをこうしたら、……ほら、ルビーの精みたいに綺麗。わたくしの通っているサロンは――」


 美しくなりたいと願う友人達に、助言を真摯にしていたら、あっという間にそこそこ人気者になった。

 ごくたまに、足を引っかけようとしたり、ワインぶっかけてくる『ザ・悪役令嬢』みたいな女もいたけど、正拳突きで壁ドンを一発お見舞いして、耳元でドスの利いた声でぼそっと囁いたら、真っ青になって大人しくなる。

 恵まれた温室育ちのくせに、自分から死角に引き込んでくれるんだから、彼女たちみたいなタイプは一番チョロい。

 壁ドンの後には、『一生ついて行きます!』って言うし。……リリアーナも言ってくれないかしら……?


 今のところ、計画は順調に進んでいる。


 わたしには、野望がある。


 天から与えられたこの顔は、時と共に陰り行く。愛だの恋だの、移り行くものに身を任せる余裕なんかない。

 自立する。自分のサロンを持つ。女性達が美しくなる手助けをするサロンの経営者になる。


 そのための計画は、こうだ。


 一、気の弱そうな下級貴族の青年に穏便に話を持ち掛けて契約結婚。

 二、従兄が管理している信託財産を手に入れる。

 三、すぐに手切れ金を払って(できるとこまで値切っておく)、穏便に離婚。

 四、王都のそれなりの一等地に土地と家を買って(下調べ段階)、経営者になる(既に勉強済み)。

 五、社交界で育んだ伝手を駆使して、朝から晩まで馬車馬のように働いて、王都一の人気サロンにする――してみせる。


 でもって、従兄が猟奇的趣味のある貴族にリリアーナを売ろうとしたら、わたしが助ける。

 そうしたら、リリアーナも心を開いてくれるかも。また、前みたいに「ブランシュがいちばんすき」って笑ってくれるかも。


 ――ってことで、公爵なんかの相手をしている場合じゃない。


 ドーン公爵とノワゼット公爵、二人してこっち見てくるわ。ああ、めんどくさい。気づかないふりしとこう。


「ねえ、レディ・ビアンカ。今度、お宅に伺ってもよろしくて?」


「ええっ!! あ、あのう、でも、わたくしの家は、王都の外れの、……あの、しがない男爵家ですから、おもてなしが……あまり……」

「そうですわ! ぜひ、家にいらして。レディ・ブランシュ、我が家はマジェンダ地区にございますの」

「ねえ、レディ・ブランシュ。ぜひ我が家にも。枢密顧問官の父にも紹介いたしますわ」


「ありがとう。バルビエ侯爵令嬢。ビシャール伯爵令嬢。ですけど、わたくし、レディ・ビアンカのお宅に伺いたいの」


「まあ……! 家格などという、みみっちいものに囚われなくていらっしゃるのね……」

「お姿だけじゃなくて、お心まで澄んでいらっしゃるわ……」


「レディ・ブランシュ……。そこまで仰ってくださるなんて……! ぜひいらしてくださいませ!」


 なんか感動してる温室育ちの令嬢達に囲まれて、わたしは最上の笑みを浮かべて問いかける。


「ありがとう。レディ・ビアンカ。……ところで、貴女、未婚のお兄さま、いらしたわよね?」



 §



「レディ・ブランシュ!!」


 うえっ! と叫びたい気持ちを顔に出さないようにするためには、渾身の努力を要した。


 フォーティナイナー男爵家の素朴だけれど温かみのある応接室で、一緒にお茶を楽しんでいた令嬢たちが、彼が登場した途端、ぱっと顔を明るくする。

 瞳を潤ませて、きゃっ、と口許を押さえる。そわそわと浮き足立ってる。


「……ごきげんよう。ノワゼット公爵閣下」


「どうも! 奇遇ですね!!」


「……まったくもって、そうですわね。レディ・ビアンカと……フォーティナイナー男爵家とノワゼット公爵様にお付き合いがおありとは、存じませんでした」


 すっとぼけて言ってやる。この男、あの夜会で顔を真っ赤にして声を掛けてきて以来、ずっと付き纏ってくるのだ。完っ全にストーカー。野望の邪魔ったらない。


「はい! フォーティナイナー男爵令息と僕、実は親友なんです!! そうだよね?」


 公爵にむんずと肩を組まれたビアンカの兄は、真っ青である。完全に怯えている。


「はッ! 仰る通りでございます!! ノワゼット公爵閣下っ!!」


 どんな親友だよ、と内心で突っ込む。

 公爵の後ろでは、お付きの黒い騎士達が半眼である。どうやら、彼らも同じ気持ちらしい。


「そうですか……。わたくしと男爵令息も仲良しですの。ねえ、二人きりでお庭を案内してくださる? ビアンカのお兄さま」


 フォーティナイナー男爵子息に向けて、婀娜っぽい視線を送る。よしよし、ぽうっと頬を染め――たと思ったら、真っ青になって震えあがった。ぎりぎりと、肩を掴まれている。


「ひっ!! いえ!! 僕はッ! お腹のお調子がお悪いですのでッ!! ノワゼット公爵閣下が!! 僕の代わりにっ!!」


「そうかそうかお大事に。ゆっくり休んでおいで」


 公爵に手を離された途端、足を縺れさせながら、男爵子息は走り去った。


 ……計画、丸つぶれである。あれでは、公爵を恐れてわたしと口を利くのも嫌がるに違いない。理想的な相手だったのに。


「さ、レディ・ブランシュ、僕と散歩いたしましょう」


 洗練された動きですっと差し出された手を、じっと見やる。

 きゃあきゃあと、周りの令嬢たちが騒ぎ出す。お似合いね、とか言っている。


 いやいや、マジで。冗談じゃない。


 ――こうなったら、これしかない。


 にっこりと、嫣然とした笑みを浮かべて見せる。こうして微笑むと、わたしは傾国の美女に見えるらしい。

 アラン・ノワゼットの顔が、みるみる朱色に染まる。


「わたくしも、お腹の調子がお悪くなりましたわ。生理的に無理な人の顔を見ちゃったからかしらねえ?」


 ぴしっ、と空気が凍った。



 ――何がなんでも、嫌われてやるんだから。





 

 

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