第7話 襲撃犯(レクター・ウェイン視点)
雨上がりの石畳は、黒く色を変えている。夏を迎えた林の木々が枝葉を鬱陶しいほど長く伸ばし、曇天と相まって、辺りを薄暗く染めていた。
急襲には、おあつらえ向きの状況ってとこか。
「動けはしないが、だいたいまだ生きてる。そこのは、もう無理だ。流れ弾に当たった。まったく、慌てて銃なんか使うから……」
呆れて言うと、ぐたりと伸びている男の肩を仰向けになるよう足で蹴って転がしながら、キャリエールが「わあ」と感嘆の声をあげた。
「うわー。マジだ。マジでウェイン卿が急所外してる……。丸くなりましたねー。愛の力っすか」
茶化すように明るい声で言いながら、足元の男の頭部に手を伸ばし、覆面をびりっと乱暴に剥がす。
勢いで、男の首ががくりと跳ねて、石畳に打ち付けられた。
「ただの破落戸の類だ。騎士が一人でもいれば問題ないレベルだった」
統制もなにも取れていなかった動き。気配も殺気も駄々洩れ。陽炎も扱えない、あからさまな雑魚。なんだこいつら。
実際、簡単に終わった。
事切れた男を風下に移動させたりしていないで、さっさと馬車に戻れば良かった。むせかえるような血の臭いが馬車の方に流れると、リリアーナが怖がるかと思ったのだ。
――血の気を失い、雪のように白くなった顔。唇と細い肩を震わせて、俺の身を案じていたと言った。
大きな瞳から、みるみる溢れだした涙。
――――渡せない。誰にも。
「そんなんでロンサール家の馬車を襲うって、命知らずだな……」
「身代金でも取ろうと思ったか……? 命あっての物種だろうに……」
馬から降りたカマユーとアイルが男の横にしゃがみ込んで、しんみりと言った。
ゆっくりと覆面を剥がし、顔を確認すると、カマユーが手を伸ばした。開いたまま虚空を映す眼を閉じさせる。
こいつらのこの感覚は、不思議でしかない。敵にも情けをかけるってやつ。まったく理解できない。
同じように剣の道を歩き、同じ騎士団で同じ戦場を生き延びたのに、こいつらの生きている世界は俺のとは違う。それはきっと、リリアーナとは同じ世界。
そして、ノワゼット公爵は、大事なレディ・ブランシュの傍にはこいつらを置く。適材適所。
馬車のステップを降りてきながら、ノワゼット公爵が悠然と足元を見渡した。
この人は間違いなく、俺と同じ世界の住人である。
「ふーん……八人かぁ……それで……?」
顎先に手をやり、からかうように三日月型に細めた鳶色の瞳をこちらに向ける。
「今日も婚約指輪は買えずか……。残念だったなー。今日の為に、昨日は気合い入れて二倍速プラス昼食抜き、夜遅くまで働いたってのに。謎の男の登場で、焦りまくって」
「焦ってません」
もちろん嘘だ。
カマユーから話を聞いた後、『マーク・エッケナー』をこの世から秘密裏に消す方法を考えながら、伯爵邸に馬を飛ばした。
ちなみに七通り思いついた。
公爵をじろりと睨むと、愉快そうに、ふはっと笑う。
「だからさ、勝手に買っちゃえって言ったのに。指輪のサイズなら、僕が確認してやるよ? 僕は女性の手を握っただけで、指輪のサイズを当てることには自信が――なんだよ? 皆してそんな毛虫でも見るような顔して」
半眼になった部下たちを見回して、公爵は不服そうに眉をしかめる。
「何でもありませんが、絶対に、結構です」
はっきり断ると、公爵はふっと笑いをかみ殺してから、俺の肩に手を置いた。耳元に顔を近づけ、低く囁く。
「ま、謎の男はほっとけ。気持ちはわかるが、叙爵式までは問題起こさないようにな。足元掬おうとしてくる奴らに隙を見せるなよ」
やっぱり、公爵は同じ世界の住人だ。考えを読まれている。
実際、リリアーナとの婚約を正式に発表する前に、爵位を得ておきたいのは本当だ。
爵位のない騎士の妻は、当然、平民となる。
彼女は特権階級たる「レディ」の称号を失くす。それは避けたい。最低でも男爵、できれば子爵――さすがに欲張りすぎか。
「わかってますよ」
応えると、公爵は意味ありげに微笑む。
「ならいい。やるなら正式に叙爵が決まった後にしとけ」
何でもないことのようにさらりとそう言ってから、壊れた馬車に視線を送り、気遣うように眉を寄せた。
「それで? リリアーナは大丈夫か? かわいそうに。ショックを受けてるんじゃ……」
今度は、打ってかわって心から心配そうな声を出す。
「はい、まあ……」
車輪が壊れ傾いた馬車の方を見やり、わざとらしく乾いた咳をして応える。
リリアーナを溺愛しているオデイエが一緒なら、大丈夫だろう。
「ま、残念だったろうが、今日はこのまま屋敷に送って行こう。指輪はまた次回だな」
「……また次回……、今日は、さすがに無理か……」
腕を組んで言い澱むと、カマユーが呆れた眼差しを投げつけてくる。
「……ウェイン卿? まさかとは思いますが、このあと、普通に買い物に行けるかな? とか思ってました?」
「無理ですよ? 女性は襲撃を受けた後、何事もなかったように平常心で婚約指輪を選んだりしません」
エルガーにも諭すように言われて、また溜め息が落ちた。
「……そうか……」
「当たり前です」
額に手を当てて俯くと、カマユーがきっぱりと強く頷く。
「……やっぱり、手加減いらなかったかな……」
邪魔しやがって。舌打ちしたい思いで地面に横たわる男たちを見やりながら、一昨日のリリアーナの声を思い出す。
――『当時は、死ぬほど思い詰めて就職活動しましたが、成果はさっぱりで、絶望しておりました』
真っ暗な海で独りきり。溺れていた彼女に最初に手を差し伸べたのが、たまたま、俺だった。
――『ウェイン卿のことが……わりと大分前から、その、大好きです』
その後、何となく機会を逸して、『大分前』がいつかは聞いていないが、おおよその見当はつく。
クルチザン地区のニコールの家からの帰り路、この林の小径を二人で歩いた。あの時、歩き疲れたリリアーナの手に触れた。初めて、優しく接した日。
――もしも、
職業斡旋所のマーク・エッケナーが、あれより前に、実家の時計店を紹介していたら――――
リリアーナは、伯爵令嬢の地位も屋敷も何もかも捨て、大喜びでマーク・エッケナーが差し出した手に飛びついただろう。
俺は、探して……おそらく――――
雨に濡れたマーク・エッケナーにタオルを手渡し、気遣う言葉をかけるリリアーナを見つける。
光が零れるように笑って、手作りのさくらんぼのファーブルトンをマーク・エッケナーに振る舞っているかもしれない。
あの大きな瞳はマーク・エッケナーにだけ向けられ、その身を案じて潤んでいる。
どうしたって手が届かない場所に行ってしまったものが、何より必要だったことに気付いて、俺は慌てて、戻って欲しいと懇願する。
だけど、もう、どうにもならない。
眩しい笑顔は、最初に手を差し伸べた者のものだから。
リリアーナは俺を見て、誰だっけ? って首を傾げて、眉を寄せてしばらく考えてから、言うのだ。
「ああ! 公爵さまのお供で、たまに屋敷に来られていた方!」
俺は、そうです! と叫んで、必死で、何かあったら頼ってほしいと紙切れを手渡す。それはもう縋るように、その手に押し付ける。
けれど、リリアーナは少し申し訳なさそうに微笑む。
――「でも、今は事情が変わりましたから。もう、必要ありませんわ」
最初か、そうでないか。
違いは、ただそれだけだから。
胸の深いところから、大きな嘆息が落ちる。
さらりと流れる髪。しっとりと吸い付くような滑らかな肌の感触が甦る。
――渡せない。今さら。
――マーク・エッケナーが、俺より先に、彼女を見つけなくて、良かった。
――早く、あの指に、証を嵌めたい。
誰にも、奪われないように。
これは恋じゃなかったと、優しくされて、ただの錯覚だったと気づかれる――――その前に。
寝転がってる男の一人を、キャリエールのように足で転がして仰向けにする。
雨の下、林に潜んで待ち伏せしていたらしき男らの体は、ぐっしょり濡れていた。
ラッドが覗き込んで、濡れて貼り付いた覆面を力任せにはがす。
「見覚えあるような気もするな……どこで見たかな……? 誰か知ってる奴いるか?」
「うーん……。非常によくある悪人面っすね……」
キャリエールが、不思議そうに首を捻って言葉を継ぐ。
「しかし、なんだってまた、よりによってレディ・リリアーナを狙ったんすかね? 王宮騎士が一緒ですよ? 貴族なんて、他にいくらでもいる」
そっち狙う方が効率がいいのに、と片頬を上げて軽い調子で続けるキャリエールを横目に、そう言えば、まだ言ってなかったことに気づく。公爵の方を見やる。
どっちみちそうなるなら、無駄だったな。
「狙いはリリアーナでなく、レディ・ブランシュです。馬車を見て、間違えたようです」
「……へえー……」
鳶色の瞳が、柔らかな弧を描く。奥に宿る冷淡な光の意味を、この場にいる騎士は皆、知っている。
やっぱり手加減する必要、なかったな。寝転がる男たちを見下ろした。
こいつら全部、流れ弾に当たった奴と、どうせ行き先は一緒だ。
「それじゃ、積もる話をゆっくり聞かせてもらわなきゃ。これから伯爵邸……に連れて行ったら……ロンサール伯爵、公正なる司法の手に委ねましょう、とかなんとかって妙なこと言い出すかな?」
公爵が首を傾げ、困ったように眉を下げる。
「そりゃそう言うでしょ。何一つとして、妙じゃありません」
「極めて普通の、一般的な反応です」
「良識ある上司を持つ政務室職員が羨ましいです」
カマユー、エルガー、アイルが口々に呆れた声で言う。
ノワゼット公爵は眉間に皺を寄せ、目を閉じて考え込む素振りを見せた。
「伯爵ってば、穏健派だからな……。血生臭いのは嫌がるよな。いや、だからって、公爵邸まで戻るのも面倒だしなぁ……。ほら、こういうことの真相って、早く知りたいもんだろ? ……よし! そこの林でやっちゃお!」
ちょうど雨もあがって良かった、と曇り空を見上げた公爵が明るい声を響かせると、カマユーらが大袈裟にがっくり肩を落として嘆息をこぼす。
「……あーあ」
キャリエールは平然と、慣れた様子で足元を見回した。
「了解です。どいつが一番知ってそうです? ウェイン卿」
指示を出していたと思われる男を一瞥する。
キャリエールは一つ頷いて見せると、気絶して白目を剥いている黒髪の男の襟首を掴み上げた。そのまま、ズルズルと林に引きずって行く。
林の奥に進みながら、「あ、そうだ」と振り返る。今度は心配そうに、眉を寄せて言う。
「レディ・リリアーナ、先に送ってあげてください。こんなとこで立ち往生じゃ、可哀想だ。あと、適当に片しときますんで」
ああ、と頷くと同時に、近くで大きな嘆息が三つ落ちた。
「……ったく、しょうがねぇなぁ。キャリエール卿、いっつもやり過ぎんだから」
「……やり過ぎたら、止めますからね」
やさぐれたように呟きながら、カマユーとアイルが、キャリエールの後を追って林の暗がりに消えてゆく。
残ったエルガーが諦めを滲ませて口を開く。
「それで、残りはどうします? 公爵邸に運びますか?」
「そうだな、ま、残りには明日、じっくりたっぷり、時間をかけて話を聞こう。今日は久しぶりにブランシュと会えるから、あんまり邪魔されたくないしね」
整った顔に爽やかな笑みを浮かべるノワゼット公爵の横で、ラッドらが慣れた手つきで、伸びた男たちを馬の鞍に括り始めた。
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