第99話 両想い(レクター・ウェイン視点)

(しまった、押しすぎた)


『愛してます』


 言った途端、リリアーナは大きな目を零れ落ちそうなほど見開いた。愕然として、青くなったり赤くなったりしている。


(しまった)



『令嬢、俺は、貴女が好きです』


 以前、先走って想いを伝えた時、同じように愕然としていた。……どん引かれ、エスコートを断られたことが脳裏を過る。



 勢いで押して、何とか承諾に漕ぎつけた。

 思い直され、「やっぱりやめます」と言われるのだけは、嫌だ。無理だ。


 リリアーナは、はたと我に返った様子で、口を開く。


「あ、あ、あのう」


 ぎくり、と胸が鳴る。

 

「行きましょう。遅くなると心配されますから」


(やっぱりやめた――だけはやめてくれ)


 リリアーナの細い指の間に自身の指を差し込んで絡め、立ち上がって歩き始める。華奢でふわりと柔らかい掌の感触に、幸福感が胸に溢れる。


 ここまで来たからには、この指に触れる権利は誰にも譲らない。


 幸福で埋まる胸に湧き上がるのは、不安と焦り。とにかく、今、何よりも優先すべきことは、急ぐことである。


(ずるくたって、いい……!)


 中身はどうでも、婚約の了承をもらったのだ。

 気迫で押して無理やりでも、流されてうっかりであっても、卑怯でも、何だっていい。


 必要なんだ、どうしても。


 ――例え、必要とされていなくとも。



『婚約なんて、一生、どなたともするつもりはありませんが……?』


 何、言ってんだ。


 それであっさり退く男が、いるはずない。

 世間の男が放っといてくれるはずない。そういうことなら、言い方は悪くとも、要は、


 ――押した者勝ち。


 まずは、ロンサール伯爵とノワゼット公爵に婚約の報告をして、外堀を埋める。


 後はゆっくり、時間をかけて、隙間を埋める。毎日会いに来て、大切にして、優しくして、行きたい場所に連れ出して、幸せだと思わせてみせる。他の男を近づけない。それから――


 繋いでいた手が、ぐいっと引かれて、ぎょっとして振り返る。


 リリアーナが躓いて転びかけていた。

 膝が地面に触れる前に、脇に腕を差し込み抱き留める。ふわりと柔らかい身体の重みが腕に乗る。


「すみません」

「いえ、急ぎ過ぎました。歩くのが早すぎたでしょう」


(……失敗した。歩幅が違うこと、わかっていたのに)


 焦り過ぎである。


「あのう、ウェイン卿……」


「はい」


 ぎくり、としながら応える。


(さっきのはナシにしてください、って言われたら、どうしたらいい?)


 一度、見てしまった夢は、捨てられない。


(愛してほしい、なんて望まないから)


(恋に落ちてくれ、なんて願わないから)



 ――傍にいて。ただ、それだけでいいから。



 リリアーナは転びかけたまま、自身の腕で支えられている。この状態では、聞かずに流すのは難しい。

 こっちの気を知ってか知らずか、リリアーナは、おっとりとした口調で話し出す。


「……もっと早く、申し上げるべきだったようにも思いますが、申し上げるのが、遅くなりました」


「はい」


「あのう……先ほどの、お話ですが……、少しばかり、誤解と申しますか、勘違いがあったような気がいたします」


「……」


 打とうとした相槌は喉の奥でひっかかる。ひやり、と背筋と指先が冷え、冷たい汗がじわりと滲む。息が詰まり、心臓がぐっと圧し潰される。


 リリアーナは、真剣な表情を浮かべ、こっちを覗き込む。


「あのー、わたくしも、ウェイン卿のことが……わりと大分前から、その、大好きです」






「…………は?」



 何て?





 絡めていた指をほどき、細い腰に両手をかける。軽く力を入れると、華奢な身体は、驚くほど簡単にすいっと持ち上がる。


「……はい?」


 リリアーナがさらに愕然と目を見開く。

 そのまま、一番近いベンチにどさっと座り、膝の上にリリアーナを乗せて、腕で囲うと、天使みたいな顔が、ちょうど目の前になった。


「……はい?」


 脳内で、混乱が渦を巻く。


「…………大分前から、何だって、仰いました?」


 腕の中、至近距離で大きな瞳を縁どる長い睫を瞬かせる。上気した肌は滑らかに輝いていた。膝に柔らかな重みを感じる。

 

 ふわふわと、宙に浮いているような心地だった。夢の中にいるような。


「……大好きです……それで、あのう……? これは?」


「ちょっと、気が遠くなりそうで」


 はあ……? と月の妖精は訝しげに首を傾げる。頬と耳はみるみる朱に染まっていく。


「大分前って、いつです?」


 腕の中で、リリアーナはむうっと細い眉を寄せ、唇を尖らせて引き結んだ。


 ――言いたくない。


 って顔である。


(……わけが、わからん)


 なら、なんで、婚約したくないって言った? 

 なんで、さよならしようとした? 

 なんで、話したくなさそうだった?

 大体、大分前っていつだ? 


 疑問が果てしなく湧く。しかし、それを訊くのは、今ではない。


(これが現実なら、そんなの、これから先、いつでも訊ける)


 指で梳いて、一筋掬い、さらりとした黒髪に口づける。リリアーナはぎょっとして頭を引こうとしたが、背にしっかり腕を回している。


「はい!?」

「嫌ですか?」


「……いえ、い、嫌では、ありませんが」


 膝の上で身動ぎする力は、びっくりするほど弱い。


「……これは?」


 上気して艶めく頬に、そっと唇を寄せた。腕の中で、華奢な身体がふるっと震える。


 柔らかな感触を確かめ、掠めただけで離すと、顔を真っ赤に染めて、夜を呑み込んだ瞳を潤ませている。


「いや……ではありませんが、……す、すこし、……逃げ出したくは、なります」


 眉尻を下げて、頬を薔薇色に染めて、瞳を潤ませて、こっちを睨む。


(嫌じゃ、ない)


 どくんと、自身の身体の深い場所で音が鳴るのがわかった。


「……可愛い」

「はいっ!?」


 囲う腕に力を込める。ぎゅうぎゅうと、壊さないように加減しながら抱き締めて、白い首筋に顔を埋めると、ふわりと甘い、花のような香り。息を吸い込むと、くすぐったそうに身をよじる。


「……さっき、大事なことを言い忘れてました」

「は……はあ……」


「……俺は、令嬢の、何を考えているのか読めない、わけのわからない可愛いところが好きです」

「は、はぃ……?」


 震える甘い声が応える。


「……ですが、そのうち、理路整然と理解できるようになったとしても、気持ちは変わりません」

「……はあ」


 首筋に顔を埋めたまま、話す。頬に触れる柔らかな黒髪を、囚えていない方の手で梳く。さらりとした感触の心地好さに、胸が震えた。


「馬に乗れず、ダンスが踊れないところも可愛くて好きですが、馬に乗れるようになり、ダンスが上手くなっても、やはり好きです」

「……はい」


「誰にでも優しくお人好しなところが大好きですが、たまにイライラして、俺に八つ当たりしてくれたとしても、やはり大好きです」

「……はい……」


「見た目はめちゃくちゃ弱そうなのに、中身は我慢強く、何でも自分で何とかしようとするところが好きですが、そうでなくなり、俺に頼ってくれるようになっても、やっぱり好きです」

「……は、はあ……」


「つまり、……何が言いたいかと言うと、貴女の何がどうなっても、この先も魂まるごと、ずっと、永遠に愛し続ける自信があります」


 顔を上げると、頬を真っ赤に染めたリリアーナは、優しく頷いた。


「……は、は、は、はい、わかりました。……で、では、わたくしも……」

「はい」


「えっと、ウェイン卿のお強いところが好きですが、弱いところがあったって、大好きです」

「はい」


 ふわりと、胸が浮き立つ。


「ウェイン卿が無表情で冷静でも好きですが、色んな表情を見せてくださるウェイン卿は、もっと好きです」

「はい」


「弱いものを放っておけないお優しいところが好きですが、少し意地悪でも、大好きです」

「はい」


「いつもきちっとされているところが好きですが、だらっとしたウェイン卿も、きっと好きです」

「はい」


 抱き締める片腕に力を込めて引き寄せる。片手で、真っ赤になった優しい頬に触れ、熱っぽく潤んだ瞳の下のまぶたを親指でなぞる。腕の中で、また小さな体がふるっと震える。


「ええと、要するに、この先、何がどうなっても、ウェイン卿のぜんぶまるごと、だいす――」


 最後まで聞くのは、もう無理だった。



 甘い果実のような唇を、引き寄せて塞いだ。






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