第103話 恋のから騒ぎ・後編(トマス・カマユー視点)

「話変わりますけど、あのレオンって奴の消息、さっぱり掴めませんね」


 その名を出した途端、ウェイン卿は苦いお茶を飲んだように唇の端を歪めた。

 似顔絵を作り、密かに手配をかけてから随分日が経つ。国中の港や入り江を中心に、潜伏できそうな場所を治安隊に探させているにも関わらず、ロウブリッター一味は影も形も見つけられない。煙突から立ち昇る煙のように、雲と混じって消えてしまったみたいだ。


「公爵にも困ったもんですね。言い出したら聞かないんだから」


「まったくだ」


 嘆息交じりに言い、ウェイン卿は深く頷いた。ロウブリッターことレオンは、相当気に食わない相手であるらしい。最愛のレディ・リリアーナを誘拐されたわけだから、気持ちはわかる。


 ノワゼット公爵が、「仲間に引き込みたいと思う」と明るく言い出した時には、その場にいた騎士全員が呆気に取られて言葉を失った。

「だってさ、この男、なかなか使いでがあると思わない?」と上機嫌で尋ねられたウェイン卿は、珍しくめちゃくちゃ嫌そうな顔をしていた。


「これだけ探して見付からないんじゃ、もう、海の外に出たんじゃないですかね?」


「そんなとこだろう。王都の出入りや伯爵邸に近づく男には極めて用心しているが、今までのところ、怪しい奴はいなかった。おそらく、もうこの王都には居ない」


「公爵は残念がるでしょうけど、向こうは自分達がお尋ね者のままだと思ってるでしょうから、ずるずる留まる理由もないでしょう。……ところで、今日は、お二人でお出掛けですか?」


「いや、今日は渡したいものがあるだけだ。何度も図書館で借りている詩集があると聞いたから」


 そう言って、鞍に引っかけた中身は詩集らしい袋に向ける副団長の眼差しは、びっくりするほど柔らかい。レディ・リリアーナの喜ぶ顔でも想像しているんだろう。


「……幸せそうですねえ」


 ……いいなあ。

 なんて想いは、早いうちに消してしまおう。

 俺は、昔からこの不器用極まる副団長のこともわりと尊敬していて、こうやって、しょうもない世間話ができるようになったことを、心の底から喜んでもいるのだ。

 この気持ちは、恋と呼ぶにはまだ小さい。この芽は根っこから抜いて、踏みしめて、きれいに均してしまえばいい。


 ――そうしていつか、俺も出逢えるだろうか。


 清楚で、可憐で、守ってあげたくなるような、運命の女性ひとに。



 §



「ウェイン卿! 来てくださったんですか? 今日はお忙しいとばかり。あ、カマユー卿、ごきげんよう」


 庭園の一角で侍女達に囲まれていたレディ・リリアーナは、ウェイン卿の顔を見るなり、ぱあっと顔を輝かせた。こちらに向かって、美しい礼をしてくれる。相変わらず、一幅の絵画のようなひとだ。


 リンゴの木の下、初夏らしい水色のクロスが掛けられたテーブルでは、アフタヌーンティーの準備が進行中だった。三段トレイの下段に小さなサンドイッチ、上段にはプチフールがスタンバイしている。スコーンと焼き菓子の焼き上がり待ち、といったところだろうか。木洩れ日が、蝶々のようにゆらゆら揺れている。


 俺はいったい何故、こんなとこまでついて来ているんだろう。レディ・ブランシュの護衛に直接向かえば良いものを。引継ぎまで時間があるからって、つい一緒に来てしまった。


「どうしても、今日も顔が見たくなって」


 副団長から熱っぽい眼差しで見つめられ、天使そのものの美貌は、ぽうっと薔薇色に染まった。


「わたしも、お会いできて嬉しいです」


 レディ・リリアーナの柔らかそうな髪を、ウェイン卿は優しい手つきで耳にかける。

 可憐に頬を染めたレディ・リリアーナが、瞳を潤ませてウェイン卿を見上げている。

 レディ・リリアーナの小さな手を、硝子細工に触れるようにとって、ウェイン卿は愛おしそうに目を細めた。


「少し、散歩でもしますか?」

「はい」


 そして、うっとりと見つめ合う。

 色々あった二人は、数々の困難を乗り越え、紆余曲折を経て、晴れて両想いとなり、婚約する運びとなりました。めでたしめでたし。


 散歩に向かう、幸せそうな二人の背中に軽く手を上げて見せると、ウェイン卿が軽く手を振り返した。レディ・リリアーナは、ちょこんと頭を下げる。


 俺は微笑み、そっと瞼を閉じた。初夏の明るすぎる光が、瞼の裏に、強い残像を結ぶ。爽やかな風が吹きぬけて、ライラックの甘い香りをどこからか運んできた。


(うん、甘いな……)


「カマユー卿、交代までお時間おありなら、紅茶か珈琲でもお淹れしましょうか?」


「……濃い目のブラック、お願いできますか?」


 ウェイン卿とレディ・リリアーナの幸せそうな姿を見ても、あまりショックを受けていない自分に気づいた。そうか、俺はどうやら、それを確かめに来たんだな。

 何もかも、これで良かったのだ。あのウェイン卿が、こんな風に凪ぐ日が来ることを、一体誰が想像できただろう。


「どうぞ、モカです。お好みでクリームを入れてブラウナーにしてくださいね。ここに置いておきますから」


 このてきぱきと気の利く彼女は、レディ・リリアーナが最近、新しく雇い入れた住み込みの侍女の一人だ。

 知性的な魅力のある人で、どことなく大物の気配を漂わせている。レディ・リリアーナは、これから社交界デビューの準備を始める。アリスタ一人では、手が足りず大変だろうからと、ロンサール伯爵がレディ・ブランシュの侍女と同じ五人になるよう、新たに雇い入れることにした四人のうちの一人。


「今日は、娘さんのジュリアは?」

「学校が終わる時間だから、メリルが迎えに行ってます。もうすぐ、ホープと一緒に帰って来ますよ」


「なんだ、言っといてくれたら、来るついでに迎えに行ったのに」


「やだ、王宮騎士様が学校に迎えになんか行ったら、大騒ぎになっちゃいますよ」


 ニコールは、あっけらかんと笑った。

 白磁のカップに鼻先を寄せると、熱い湯気に温められて、目頭がじんとした。香ばしい豆の香を思い切り吸い込む。


 いつか、できるならば、自分もあんな風に、誰かに恋をしてみよう。


 子ども達を迎えに出ているというメリルもまた、新しい侍女の一人だ。ストベリーブロンドの髪とエメラルドグリーンの瞳をした、ホープの母親である。マルラン男爵の事件ではひどい目に遭わされたが、今は元気に逞しく、この屋敷で住み込みで働いている。


「あらカマユー卿、ご苦労様です」


 もう一人の新しい侍女、ペネループから通りすがりに挨拶される。


「あら、ペネループ、それ、エルガー卿からの贈り物?」


「うん、まあ……」


 ニコールに肘でつつかれて、頬を染めたペネループは、さっと素朴な花束を背に隠した。

 そう言えば、エルガーのやつ、任務じゃない時もせっせと伯爵邸に通っているらしい。一度、天上の女神に向けるような蕩けた目をペネループに向けているところを見かけた。三歳の男の子が喜びそうなことを、甥っ子がいるから詳しいだろう、と訊かれたこともある。


「あ、ジェームスのことみててくれて、ありがとう」


 片手をジェームスの手と繋ぎ、もう片手に籠を下げ、木陰からこちらに向かってくるお仕着せ姿の侍女に向かって、ペネループが声を掛ける。


「いいえ。ジェームスが手伝ってくれて、すごく助かりました。ジェームスはブルーベリー摘みがすごく得意なんですね」


「ねーっ! ぼく、こーんなにいっぱいつめた!! めいじんだって!!」


 ぺネループが目を細めて笑いながら、籠を覗き込んだ。フレーズが気に入ったのか、ジェームスが「めいじん、めいじん」と繰り返しながら跳び跳ねている。

……そう言えば、新しい侍女はいるはずだ。ニコール、メリル、ペネループ……もう一人は、誰だろう。


 ジェームスに微笑みかけていた侍女が、顔を上げた。途端に――


 ――世界は真っ白に輝いた。



「あ、カマユー卿とは、初めて会われるんでした? ニコール、ペネループ、メリルに続いてもう一人、新しく入った侍女です。リリアーナ様のお知り合いが、たまたま働き口を探していたらしくて。……すごく綺麗な、できそうな人でしょう? リリアーナ様にぴったりだと思いません?」


 最近、しっかりさに磨きがかかってきたアリスタが、誇らしげに囁いた。

 ちなみに、下働きから侍女に昇格し、給金がぐっと上がったらしい。お陰で、王立病院で診てもらえることになった父親と妹は、快方に向かっているとか。


「……ああ……うん……」


「お初にお目にかかります。……トマス・カマユー卿」


 名前を呼ばれ、どきっと心臓が跳ねた。きれいに爪を切り揃えた清潔感のある指先で、その侍女は髪を耳にかけた。俺の名前、どうして知っているんだろう。

 もしや、と思う。自分で言うのも何だけれど、こう見えて、『イケメン騎士特集』などという気恥ずかしい題名で、以前、タブロイドに取り上げられたことがある。もしかしたら自分は、わりあい異性から憎からず思われる容姿をしているのかもしれない。


「お見知りおきください」


 声もかわいい。その侍女はお仕着せの裾をつまみ、細い腰を折った。雪の妖精がふわっと舞ったみたいだった。完璧に美しい、淑女の礼だった。

 

「……ふあっ……」


 間抜けな声を上げた俺に、アリスタとニコールとペネループが訝しそうに眉を顰めた。

 どうした……? って顔をしている。


「やっぱり、モカって苦過ぎます? 生クリームありますよ。浮かべてアインシュペナーにしますか」

「あら濃すぎました? このお屋敷は紅茶派ばかりだから、淹れ慣れなくて。ご遠慮なさらず、お砂糖とクリーム、たっぷりどうぞ」


「あ、ああ……どうも……」


 ――どうしたって……? 


 この世に、こんなにきれいな人がいるだろうか?


 新雪みたいな肌。強く触れると折れてしまいそうな、ほっそりした体つき。眼差しは柔らかいのに、どこか惹きつけられるような力強さがある。

 誰かに似ているな、と思って、教会の天井画に描かれた天使とそっくりだと思い出した。微笑み方が、とにかく慈愛に満ちている。


 ――荒事とは無縁の、やさしい人生を送って来たんだろう。


 彼女の白い手はきっと、羽虫一匹も殺したことがないに違いない。

 片割れを見つけた魂の核が、震えるような感覚に襲われた。ぐるぐると、自分が落ちてゆくのがわかる。心臓が外に飛び出してしまうような気がして、思わず胸を押さえた。


「あ、あ、ああのっ! お名前をお聞きしても!?」


 剣を振り回し、平気で男を投げ飛ばす気の強い女騎士に囲まれて生きるのは、もう懲り懲りだと、ずっと思っていた。

 か弱くも心優しい恋人に頼られ、そのひとを守りながら、愛に満ちた平穏な生活を育みたいと。


 運命の女性ひとは、うっすらと微笑んだ。やはり天使だな――と俺は確信した。


 海色の瞳は柔らかく細められ、白銀の髪は煌めく。




「アナベルと申します」







 

 ――屋根裏の魔女、恋を忍ぶ・番外編――



 おしまい




 長い話にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


 このあと、波乱の第二部へと続いております。


 お時間ございましたら、そちらもぜひ! よろしくお願いいたします。

 

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