第102話 恋のから騒ぎ・前編(トマス・カマユー視点)

「ありがとう!! トマス! これ今、なかなか手に入んないのよねぇ」


 透明なガラス瓶のなかで、黄金色がふるりと揺れた。

 王都で流行りの菓子店『ブルームーン』の『特製こだわりプリン』に向けるマリアの瞳は、歓喜に潤んでいる。


 金の髪をさらりと後ろに流してから、マリアは銀のスプーンを突き刺した。


 俺は、そんなマリアを見つめて、そっと目を細める。


「うん、朝の五時から並んだから」


「トマスってば……、ほんと、優しいんだから! 愛してる……!」


 ぱちん、とウィンクが飛んでくる。

 いや、それほどでも――と返す前に、ヘザーとシェリーの声に遮られた。


「やだ、これ美味しい! さすが限定!!」

「濃厚~! あれ? あんたは食べないの? トマス」


 プリンに舌鼓を打つ、自身そっくりの金色の髪と空色の瞳を持つ三人の姉たちに、にこりと笑いかけた。


「うん、おひとり様、限定三個だったから」


「やあだ! 早く言いなって! 一口だけならあげるけど? いる?」


「いや……いい」


 あっそ、と言って、三人の姉は限定プリンをぱくりと口に運ぶ。


 あげることはあっても、決して貰ってはならぬ、ということを、トマス・カマユーは誰よりもよく知っている。姉達が限定スイーツに注ぐ情熱を侮ると、必ず痛い目を見る。


 姉達が幸せそうに頬を緩めてプリンを堪能する様を、手持ち無沙汰に眺める。


(……俺、なんでここにいるんだろう?)


「それにしても、どこにいんのかしらね? フランシーヌは」


 すぐ上の姉、シェリー・カマユーが呟いた言葉に、ひやり、とするが、顔には出さない。


「本当、うちの団長にも困ったもんよね。メイドに一目惚れしたはいいけど、連絡先聞いてないって」


「昨日も一日中、クルチザン地区まで訪ね回って……足が棒。こんだけ探してもいないんじゃ、もう王都にいないんじゃない?」


「トマス、あんた、何か知って……るわけないか!」


 あはははは、と大きく笑う浅葱色の制服に身を包む三人の姉に合わせ、へらっと笑う。


「トマスも第三騎士団に入れば良かったのに」

「お姉ちゃんたちが虐められないように守ってあげたのに」

「虐められたら言いなさいよ。お姉ちゃんがやっつけてやるから」


 甘く優しい声で、姉達は口々に囁く。

 限定プリンの効果である。


「うん、ありがと」


 ――絶対に嫌だ。


 なんて言ったら、地獄を見る。手合わせと称して投げ飛ばされ、蹴り飛ばされ、抑え込まれ、固め技、絞め技のフルコースをお見舞いされてから、『ごめんごめん、ちょっとやりすぎたぁ?』で軽く済ませられる、ということを、トマスはこの世の誰よりも知っていた。


 戦後、怪我など様々な理由で、先輩騎士たちは、ごっそりと引退してしまった。これでも第二騎士団では立派な中堅である。パシリに使うのは姉たちくらいである。


 カマユー家は代々、騎士の家系であった。引退した父が騎士であるのはもちろん、母も元騎士。七人の姉も騎士。


 絶対相手いねぇだろ……と心配していた上の四人は、あっさりと恋愛結婚し、引退した。

 四人とも、傍から見ても甘々な結婚生活を送っている。甥姪は天使である。めちゃくちゃ可愛い。

 喜ばしいことだが、世の男たちの好みは理解し難い。


 父母及び引退した四人の姉も含め、いずれも皆、第三騎士団所属であった。


 時折、姉達は気紛れに王宮の第三騎士団詰所に、こうしてトマスを呼び出す。

『最近話題の〇〇の△△、手土産に買ってきて』という指令付きで。


 周りは浅葱の制服ばかり。


「おっ、黒鷹が混じってると思ったら、カマユー家の末っ子か!」


 なんかヤジっぽいのも飛んでくる。


 居心地の悪いこと、この上ないが、「そっちが第二の詰所に来れば?」なんてことは、言わない。


 口が裂けても、決して言わない。



「ああ! そう言えば! あんたんとこの副団長、婚約したってマジ?」


 こう見えて、姉たちは人前ではぴしっ背筋を伸ばし、きりっとキメている。恐ろしいことに、卒のない美人騎士として名高かったりする。

 口汚いのは、同じ釜の飯を食う浅葱の騎士と弟の前だけである。


『よそ行きは もてはやされる 美人でも 家に帰れば 暴力ゴリラ』

 とは、トマス・カマユーが幼少のみぎり、部屋でひとり、嗚咽を噛み殺しながら詠んだ歌だ。


「ああ、うん、そうだよ」


 にこりと笑って応えながら、この呼び出しの意図に気付く。そう、姉とは、


 ――三度の飯より恋バナを好む生き物。


「しかも、相手はあのリリアーナ・ロンサールらしいじゃない! 大丈夫なの?(恋バナ!)」


「噂では、なかなか性格悪いって聞いたけど?(恋バナ)」


「レディ・ブランシュのご機嫌取りたいノワゼット公爵から、無理やり押し付けられたんじゃないかって、うちの団長が心配してたわ。(恋バナ!)」


「ああ……そう」


 台詞の裏に潜む、恋バナを求める隠しきれぬ渇望に気付かぬ振りをして、曖昧に頷く。


 まさか、そのリリアーナ・ロンサールこそ、第三騎士団団長ハミルトン公爵が恋焦がれ、姉達が探し回っている美貌の『フランシーヌ』その人であるとは――

 ――言えない……言ったら殺される……。


 ――『知らなかった』を一生貫き通すしかない……!


「いや、たぶん……ていうか、絶対大丈夫。ウェイン卿はレディ・リリアーナに首ったけだから」


 ええー! うそだー! あの無表情騎士が!? 想像できん!! 馴れ初めは!? 写真撮ってきて証拠見せて!! と飢えたゾンビの如く恋バナを渇望する姉達に、また、へらっと笑って見せた。



 §



「……ってことで、俺はもう、結婚とか諦めようかなって……」


「……そうか……大変だな」


 騎馬に跨り、ぱっかぱっかとロンサール邸にのんびり向かっている。遠い目をする俺の隣を往くのは、第二騎士団副団長レクター・ウェイン卿。


 副団長は愛しの婚約者に会うため。

 俺の方は、もうすぐ公爵夫人となるレディ・ブランシュの護衛任務の為である。


「賑やかで、楽しそうに見えるけどな」


「楽しい……って言えるんですかね? 弟なんてもんは、永遠に従順なペット。姉には逆らえないよう、DNAに組み込まれてるんです。それが七人……女性に対する夢や憧れは、大昔にドブに捨てました……」


「なるほど、そんなもんか」


「そんなもんですよ。ウェイン卿のとこ、お兄さんでしたっけ?」


「……兄は兄で、いい思い出はないけどな」


「結局、末っ子は虐げられる運命なんですかね。上に女騎士七人……オデイエ卿が家に七人いる感じです」


 それは、大変そうだな……と目を細め微笑する副団長の姿には、何度見ても「おおうっ!」と内心驚く。


(まー、丸くなったなあ……触れると切れる刃物みたいだったのに)


 初めてレディ・リリアーナがフードを取り、顔を見せた時の衝撃は、今も覚えている。


(……天使だ……)


 女性に心震わすことは、生涯なかろうと思っていた自身の体に、衝撃が走った。


 天を衝く可憐さ。怒涛の清楚さであった。


(……そっかー、俺って、こういうタイプが好みだったのか……)


 華奢で、大人しそうで、心細そうに揺らぐ瞳。そう、それは、


 ――姉達とは、真逆のタイプ。


(……傍にいて、守りたい……)


 沸き上がった想いは、すぐさま打ち砕かれた。


 レディ・リリアーナの縋るように潤んだ眼差しは、ウェイン卿に真っ直ぐ向けられていた。

 馬鹿みたいに強えけど、感情のない冷凍人間だと思い込んでいた副団長の眼差しは、完全に恋に落ちた男のもの。


 ――好みのタイプ、一緒か。しかも、どうみたって両想いじゃないか。


 しょうがない、と諦めた途端、まさかのドブネズミ暗殺未遂事件が発覚。あれには目がテンになった。



(……なんだよ……それなら、)



『……あのう、姉が、ブランシュが、体調を壊していると聞きまして。会わせていただけませんか?』


 護衛の最中、レディ・ブランシュの部屋の前にやって来た、魔女みたいな恰好した女の子は、間近に見ると華奢で、声だって可愛いかった。


 目元はフードに隠れて見えなかったが、唇は不安げに引き結ばれ、固く握りしめた両手は、血の気が失せ白くなっていた。


 女性にはすべからく優しくすべし、労わるべしと姉達から刷り込まれていた。


 ……どうしよっかな……この子も容疑者って話だったか……命令だしな……。


『決して、どなたもレディ・ブランシュのお部屋に入れてはならない、という指示を受けておりますので』


(……あんな言い方、しなきゃ良かった……)


 厳しい声で言いながら、内心で、ごめんね、と思った。


 レディ・リリアーナは、しばらく「あのう」とか、「でも」とか、弱々しい声で言った後、ぺこりと頭を下げ、戻って行った。寂しそうな背中を見て、ちくちく胸が痛んだ。


 部屋には通せないまでも、話聞いて、相談に乗ってあげたら良かったかな……。



 それから暫く経ったある朝、鍛練場でウェイン卿が音もなく、すうっと近付いて来た。

 いつも通り無表情で、いつも通り刃物みたいな目付きで、いつも通り冷然とした口調で言った。


『ロンサール邸の例の妹、目を離すな』


 はい、気を付けときます、と応えた後、あの子、そこまで用心するほど悪い子には見えなかったけどな、とその場にいたエルガーとアイルと話した。


『そうだな、レディ・ブランシュに近付けないようにしとけば、充分だと思う』

『念のため、用心はするけど、付きまとうのはなぁ』

『……怖がらせるだろ……流石に可哀想だ……』


 俺達、女性を傷付けたくない質なのだ。



 それからまた暫くして、ウェイン卿はレディ・リリアーナを連れ、伯爵邸の書斎にやって来た。俺は公爵の護衛中であり、厳しく周囲に気を配っていた。


 何しろ、わりとしょっちゅう、「天誅!!」って叫びながら物陰から刺客飛び出してくる。しかも、ほぼ間違いなく、うちの上司に非がある。怪我させないように取り押さえ、代わりに謝って諭し、家まで送って行く羽目になる。


 人の恨みを買いまくる性格悪い上司を持つと、苦労するのだ。


 書斎に現れたウェイン卿は、いつものことだけど機嫌が悪そうだった。


『トマス・カマユー。君にも、(護衛を)頼んだと思うが?』


 …………ん?


 …………えっ?


 ――『ロンサール邸の例の妹、目を離すな』


 ……あの時の、あれ……


 ……護衛、……の命令だったの……!?



(……………いやいやいやいや、あんた)




 ――言い方……っ!!




 言葉足らずで無表情な上司を持つと、苦労するのだ。




(そういうことなら、護衛しときゃ良かったなー……)



 ――そうしていたら、



 ――もしかしたら、


 

 あの縋るような眼差しは、俺に向けられていただろうか?




 

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