第55話 落とし穴

「ところで、レディ・リリアーナ?」


 ノワゼット公爵は至極機嫌が良さそうに鳶色の瞳を細め、わたしに微笑みかけた。


「はい、公爵様」


 名を呼ばれて、わたしも微笑み返す。


(このわたしに、こんな幸福な日が訪れるなんて)


 ――夢を見ているような、幸せな一日だった。


 ブランシュの結婚するお相手がノワゼット公爵のような優しい方で、本当に良かった。ノワゼット公爵とウェイン卿達には、感謝してもしきれない。


 公爵は整った顔に美しい微笑を浮かべ、ゆっくりと口を開いた。

 


「そろそろ、例の毒入り夕食事件の種明かしをしてくれるかい?」



 ばくん、と心臓が跳ね上がった。


 視線は、公爵と合わせたままだ。


 全てを見透かすような鳶色の瞳は、わたしの顔を食い入るように見つめていた。


(――しまった)


 今は、顔を隠していない。


 気付かれたに違いない。



 、ということを。



 慌てて、公爵の後ろに控える騎士達の顔を見回す。どの顔も、もう笑っていなかった。オデイエ卿もキャリエール卿もラッド卿も――ウェイン卿も、この顔をじっと探るように見つめている。


 頭の中で声が響く。


『ドブネズミは、始末しておきます』


 (そうだった)


 ――最初から、そうだったじゃない。


 昨日から急に、人が変わったように親切になった態度。優しく細められた瞳。温かみを帯びた声。


 何もかも、この時の為だったのだ。


 膝の上で握りしめた指先がすうっと冷えて、力が入らない。きっと、この顔はひどく青ざめているだろう。


「リリアーナ?」


「リリアーナ、大丈夫か?」


 血の気を失ったわたしに気付いたブランシュとランブラーが、手を差し伸べて腕に触れる。ウィリアム・ロブ卿が気遣わし気な視線をこちらに向けていた。


「……やっぱり、君は何か知っているんだね」


 ノワゼット公爵の悲しげな声が届く。


「今日、友人の少年の為に君が取っていた行動を知り、思った。

 君のような子が、ブランシュが毒を盛られたというのに真相を知らずにいられるものだろうか、と。

 きっと、探り出そうとするだろう。だが、君は何もしなかった。

 それはつまり、君が、からだ、を」


 わたしは、黙って目を伏せた。自分が犯した失敗に気付き、目の前がじわりと滲む。


「リリアーナ、聞いてほしい。今朝、わたしが君に言ったこと、あれは本心だよ。君がブランシュの敵じゃないなら、わたしは君の敵じゃない。しかし……もし、あの毒事件に何か、関わっているなら……」


 ――もう、言い逃れはできまい。


 洗いざらい、包み隠さず、話すべきなのだろう。

 先程までと違って、ひんやりと冷えた公爵の声が、続ける。


「真相を隠し通すことはもうできない、リリアーナ。……僕の王位継承順位を知っているかい?」


「アラン、何なの? やめて――」


 ブランシュが何か言いかけたのをノワゼット公爵が手を上げて制止し、続けて口を開く。


「八位だ。低いようでいて、無視はできない。どんな事情があろうとも、僕に毒を盛ったやつには必ず報いを受けさせる。君は聡い子だ、もう言い逃れはできないとわかっているだろう?」


 何もかも、わかっている……だけど、言えない、これだけは。


「……申し上げられません」


 口から出てきた声は、自分でもびっくりするほど震えていた。


「……正直に話してほしい。そうでなければ、わたしは君の味方にはなれない」


 ノワゼット公爵の声は、悲しそうだった。


 ブランシュを深く愛しているのだから、当然だろう。愛する人が傷つけられて、何もしないでいられる人ではない。


 わたしが甘かった。このまま、有耶無耶にできるのではないかと、簡単に考えてしまった。


(……だけど、もう無理だろう……)


 覚悟を決め、口を開いた。


「では……明日に……、明日までに、気持ちの整理をいたします。明日、お話しさせていただいても、よろしいでしょうか?」



「……わかった」


 顔を上げると、ノワゼット公爵は、瞳を厳しく眇めていた。



 その後ろに立つウェイン卿の赤い瞳もまた、険しく光っていた。



 §



 その夜、部屋に下がった後も、覚悟を決めた筈なのに、わたしは迷っていた。


(今から、何とかする方法は……?)


 考えても考えても、何も思いつかぬまま、時計の針だけが進む。


 昨日から始まった、ウェイン卿ら騎士達の違和感たっぷりの一連の言動は、わたしのフードを取らせるための作戦であったと思われた。


 おかしいとは思っていたのだ。あれほど嫌われていたのに、突然優しくされて、微笑みかけられて、おかしい、変だ、きっと何かの作戦に違いないと思っていたのに……つい、嬉しくて、有頂天になって、信じてしまった己の不甲斐なさが悔やまれた。



 ノワゼット公爵は、あの毒を盛られた事件の真相を何が何でも暴きたかった。

 わたしが秘密を抱えていると、どこかの時点で気付いた公爵は真相究明の為、作戦を立てたに違いない。



 顔が見えなければ、表情が見えない。感情も探れない。隠し事も探り出せない。

 海千山千の公爵や騎士達にとって、小娘を信じ込ませフードを取らせることなど、容易かっただろう。


(……だけど、あれは、全部が演技だったのかな……?)


 ――もし、本当のことも混じっていたなら、どんなに幸せだろう……?



(……期待なんて、しちゃ駄目だ……)


 ……期待するのは愚かなこと。もう、知っているから。


(期待なんてしない。……わたしに味方なんていない)


 ――そうだ、そう思った方がいい。


 期待をしたら、傷付くから。優しい場所は、どうせすぐに消えるのだから。そうしないと、胸が潰れて、生きられなくなってしまうから。


 頭を振って、くだらない希望は振り払って捨てる。

 


 明日、告白しなければならない真実を思うと心が乱れて、息が苦しい。


『もっと、欲を張ったって、良かったんだよ』


 思い遣りに満ちた目をしたあの優しい老人なら、何を言ってくれるだろう?


 何もかも、上手く行く方法を教えてくれただろうか。


 外はもうすっかり、夜のとばりが降りていた。


 こんな時間にあの林に行けば、もう一度、会えそうな気がする。



 ――いや、会える筈がない。



 幻覚と夢で逢っただけの人なのだから。


 だけど――


 わたしは外套を肩に羽織り、夜の闇に向かって、そっと部屋のドアを開けた。




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