第28話 乗りたくない

 

「……っ!……わたくし……その、お見苦しいものを……」


 部屋を見回して床に落ちている帽子を見つけると、あたふたと拾い上げ、手で汚れを簡単に払うと、素早く頭にのせ、ベールで髪と瞳を隠す。



 ――な、な、な、なんということでしょう……!



 ノワゼット公爵の騎士達に、顔を見られてしまった。


 (ど・ど・ど・どうしよう……!)



 頭の中で、ゴシップ誌の見出しが踊る。


『ロンサール伯爵家の醜聞! 夫人の浮気? リリアーナの瞳と髪は黒かった!!』


 慌てて三人を見やると、ぽかんとこっちを見ているが、特に何か気付いたようでもなければ、不快そうでもない。


『あれあれー? なんで前ロンサール伯爵の娘が、黒髪と黒い瞳なんだ?』

『おかしい。伯爵夫妻は、金髪碧眼だったのに』

『さては、伯爵の娘じゃないな! 騙しやがって!』


 ……などと、思われている様子は見て取れなかった。



 よくよく考えれば、騎士達はこの二年ばかり、ノワゼット公爵に付き従って、ときどき屋敷に出入りしていたに過ぎない。


 とうに亡くなったわたしの両親のことなど、知る由もなければ、興味もないだろう。


(……見られてしまったものはしょうがない。開き直って、何事もなかったかのようにやり過ごそう……!)



 ――そして、今度こそ、これっきり。



 この怖い騎士達とは、金輪際、一生、永遠に、遭遇しないように隠れまくって逃げ延びて、長生きしてみせる……!


「……ええと、それでは、わたくしは、これで失礼致しますので、」


 言い終わらぬうちに、ウェイン卿がはっとしたように目を見張ると、つかつかと歩み寄ってきて、わたしの左腕をがしっと掴んだ。



 ものすごく、ぎょっとする。


 ――ま、ま、ま、まさか、今? い、今ですか? 考えてること、ばれましたか!?


 ――いやいやいや、こんな、ドアも開けっ放しの、近所に声も音も駄々洩れな状況で、う、嘘でしょ――――!?



 人生のピリオドを覚悟して、目を瞑った。



 数秒待ってみても、剣を抜く音は聞こえない。


 恐る恐る目を開け、恐怖に引き攣りながら見上げると、ウェイン卿は眉根を寄せ、何かをじっと見つめていた。


 視線の先はわたしの左腕だった。さっきセシリアが投げた皿の破片が当たって少し切れ、赤く血が滲んでいる。


 今の今まで忘れていたくらいなので、大した傷ではなない。

 むしろ、たった今、寿命が三年縮んだことの方が問題だった。


 掴んでいた手は、すっと離された。


「……令嬢を屋敷までお送りしてくる。オデイエは、クリス達を公爵邸に送って行ってくれ。キャリエールは、人を集めてここの後始末を頼む」


 ウェイン卿が低い声で言うと、オデイエ卿とキャリエール卿が呆けた顔のまま答えた。

 

「わかりました。馬車はもう呼んでありますので、子ども達はわたしが責任持って、ちゃんと送っときます。あの……伯爵令嬢、お気をつけて」


「俺も、了解です。あの……伯爵令嬢、今日は、ゆっくり休んでください」


 意外すぎる優しい声かけに、また仰天する。


 ――ど……どうかしたんだろうか?


 これはこれで、逆に心臓に悪かった。

 さっきの衝撃がまだ冷めやらず、思わず、素が現れてしまっているのかも知れない。


(二人とも、根は優しい人だったんだろうな……)


 ――もう金輪際、二度と会わない予定だが、最後の印象が僅かでも好意的に絞め括られて、良かった。


「ありがとうございます。皆様も、どうかお気を付けて。ですが、これでは馬車を汚してしまいますから、一人で歩いて帰ります。図書館も近く、すぐそこは歩き慣れた通りですから、どうぞ、お気遣いありませんように」


 自分のドレスを見ると、生ごみと吐しゃ物の飛沫にまみれて、ひどい有り様である。

 これでは誰だって、あの塵一つないピカピカの馬車に乗せるのを躊躇うだろう。

 

 何より、自分を仕留めようとしている人と一緒に帰りたくなどない。


 少し前なら、送ってやるなどと言われたら天にも昇れるほど喜んだだろうが、流石に、そこまで愚かじゃない。


 どれほど素敵な相手でも、天敵と一緒にいたいと願うドブネズミはいない。


 しかし、普段通りの無表情に戻ったウェイン卿は、そう述べたわたしに向かって、眉を顰めた。


「それでは、失礼いたします」


 踵を返してさっさと戸口に向かおうとすると、ウェイン卿がさっと立ちはだかる。


 ぎくりとしたが、ドブネズミだって、命は惜しい。


 知らんぷりして避けて通ろうとすると、ウェイン卿も同じように移動して、また立ちはだかる。何度かそれを繰り返す。


 観念して、恐る恐る顔を上げると、眉を顰め、怒りを湛えた瞳で睨まれていた。


 蛇に睨まれたカエルならぬドブネズミのように身が竦み、「ひっ」と咽喉から出かかった声を必死に呑み込む。


 ウェイン卿は、何やら怒っている様子で、口早に言った。



「急ぎますので」



 嫌です! 乗りたくありません! と言いたいのに、口からは違う言葉が出た。


「……そ、そうですよねー、申し訳ありません……」


 ――己の、己の気弱さが、憎い……!


 思いとは裏腹に、促されるまま、急ぎ足で馬車に乗り込んだ。








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