第27話 帽子

「命に別状はないでしょう」


 ラッド卿が驚異的な早さで連れ帰って来た医師は、担架に乗せられているセシリアを診ながら言った。


 セシリアの顔はまだ青ざめてはいたが、医師が解毒剤を打ったせいか、先程より幾分ましになったように見える。


「ほとんど吐き出したようだし、牛乳のおかげで、毒の吸収が遅れたようですな。殺鼠剤の空瓶のお陰で解毒剤が早く処方できたのも良かった。しばらく入院することにはなりますが、じきに良くなるでしょう」


 人の良さそうな老年の医師は、白い口髭を蓄えたまん丸い顔をにっこり綻ばせて言った。

 その言葉に、ようやく息をつける気分になり、胸を撫でおろす。


 子供達は、この家のどこに毒入りクッキーの破片が転がっているかわからないので、先ほどキャリエール卿が牛乳を譲ってもらった斜め向かいの家の老夫婦の家の庭先で預かってもらっているらしい。


 老夫婦と子供達がポーチのベンチに腰掛けて並び、心配そうにこちらを見ている様子が、窓から見て取れた。


「良かったです」


 担架に寝かされたシリアの横に跪き、顔を寄せてそっと言った。


「…………っ」


 セシリアの目から涙が零れ、わたしの手をぎゅっと握り返す。

 力強い温もりには生きる力が溢れていて、安堵の溜め息が漏れた。


「……わたし、酷いことを……」


「まあ! 分かっております。あんなの、ご本心ではございませんでしょう? セシリア様は、騎士様に助けていただきたかったのですよね。助けを求めて、お呼びになったのでしょう? わたくしには、ちゃあんと、わかりましたよ。」


 念のため、心持ち、大きな声で返事をしておく。

 

 さっきの様子を見る限り、騎士達はセシリアのことは大切に思っている。

 悪いようにはしなさそうだが、万が一、セシリアに王宮正騎士への毒殺容疑などかけられるのは、避けたかった。


 あんなの、わたしが妙な動きをして、興奮させてしまったせいで、咄嗟に口から飛び出してしまっただけ。きっと本心でも何でもない。


 自慢じゃないが、人の顔色だけは伺い慣れているから、分かる。


 医師の助手達の手で担架が持ち上げられたので、セシリアと繋いでいた手をそっと離した。担架はそのまま、外で待つ病院の馬車まで運ばれて行く。


 最後に、騎士達の方へ向き直る。


「では、わたくしはこれで失礼いたしますので、皆様は、セシリア様について差し上げてください。それから、あの……差し出がましいことをお聞きしますが……、あの……セシリア様は……この後、どうなりますか?」


「大丈夫です。セシリアのことは、悪いようにはしません。そうならぬよう尽力します」


 しどろもどろで問うと、あっさりと意図をくみ取ってくれたのは、ラッド卿だった。


 長身のがっしりした体躯と、整った彫りの深い強面こわもてとも言える顔立ちには、これまで恐怖しか覚えなかったが、今だけは、なんだか柔らかく見えた。


 馬車に運ばれていくセシリアに向けられる、思い遣り深い瞳を見ると、胸のつかえが下りる。


「お子様達は、どうされるのでしょうか?」


「公爵と相談して、うまく取り計らってもらいます。公爵邸には人手が有り余っていますから、あの子たちをしばらく面倒みるくらい、どうということはないでしょう。……ところで、令嬢にお聞きしても?」


「……はい?」


 ラッド卿は日に焼けた顎を撫でながら、不思議そうに問うた。


「令嬢は、クッキーに毒が入っていることをご存じだったのですか?」


 わたしは慌てて、首を振った。


「いいえ!……あのう、ちょっとだけ、そんな気がしたというだけで……。先日、図書館の前で初めてお会いした時のセシリア様のご様子が気になったのと、エバが……カント卿に会うために買い物に行ったというのを聞いて、セシリア様がお持ちだった園芸店の紙袋を目を凝らして見ると、黄色と黒の色がうっすらと透けて見えました。」


「ほう……?」


「黄色と黒は、蜂と同じ色、生き物の本能に危険を訴える警告色です。ですから、危険を知らせる表示に、よく使われますよね? 紙袋に入っているのは、もしかしたら毒物の容器かもしれないと思ったものですから。それで……無理を申して押し掛けさせていただきました」


「なるほど……」


「それから、今日、お宅にお邪魔させていただいた時から、クッキーの焼ける香ばしい匂いに混じって、もっと甘い香りがいたしました。わたくしは幼い頃、その香りを知る機会がありました。あまりに昔のことでしたので、初めは思い出せませんでしたが、オデイエ卿がトラヴィスに向かって、危ないから、と仰ったのを聞いて、思い出しました」


 父に屋根裏で暮らすように命じられてすぐ、優しい使用人たちは、屋根裏部屋にやって来た。


『リリアーナ様をこんな場所に……! いくらなんでも、ひどすぎます!』


『しっ! やめなさい。旦那様に聞こえるわよ』


『仕方ないわ、わたしたちにできることをしましょう』


『お嬢様、しばらく、部屋の隅にこれを置いておきますが、絶対に触らないでくださいね。危ないですから』


『これは、甘い香りがして、舌がとろけるように甘い味がするそうですよ』


『だって、そうでないと、あれは意外と賢くて、用心させてしまいますから』


『大丈夫、しばらく置いておけば、きれいさっぱりいなくなります』


『あの、気味の悪い、ねずみたちなんて』


 あの時、こんな香りがしていた。



 だけど、五歳の頃の記憶など、あやふやだ。間違っている可能性もある。だから、確かめる為にほんの少し、齧らせてもらおうと思った。


 他の誰かが、口にする前に。



 もちろん、死ぬほどの量を食べるつもりはなかったし、おかしいと感じたら、すぐに吐き出すつもりだった。


 万が一、毒など入っていなくとも、わたしの頭がおかしいと思われただけだ。今更、悪い噂が一つや二つ増えたって、どうってことはない。



「あの……、早くお伝えするべきでしたのに、申し上げるのが遅くなってしまい、大事に至るところでした。申し訳ありませんでした」


 ラッド卿は大きく頷き、にやりと笑った。


 そして、わたしの肩をポンポン、と叩く。

 びっくりして肩を見ると、くっついていたクッキーの破片を払ってくれたらしい。


 ぽかんと見上げるわたしと残りの騎士を見回しながら、口を開く。


「やっぱり、最初からどうもおかしいと思っていました。では、私はセシリアに付き添いますので、あとは頼みます」


 何がどうおかしいのかは分からないが、さすが年長者の貫禄。ラッド卿はすっかり落ち着き払った様子で、きびきびとセシリアの乗せられた医者の馬車に乗り込んで行った。


 他の三人の騎士を見ると、三人とも、ぼんやりとこちらを見つめている。

 

 キャリエール卿とオデイエ卿は、先程の動揺からは回復した様子で、顔色はいつも通りに戻っている。しかし、二人とも、ぽかんと呆けたような顔をしている。


 ウェイン卿は、こちらをじっと見つめたまま、いつも氷の彫像みたいに無表情な顔が、ほんのり赤く染まって、こちらもやはり、ぼうっとしてとして見えた。


 珍しく、騎士達の顔に「いつでも斬り倒す準備万端整っています」と書いていない。


 そう言えば、この三人は先ほどから一言も言葉を発していなかった。さっきの状況がよっぽど衝撃的だったのだろうか。


(あ、少し時間が経ってからショックが押し寄せてきて、しばらく放心しちゃって、的なあれかな?)



 そこまで考えて、違和感を覚えた。


 ……やけに、顔のあたりを凝視されているような……?


 ――あれ……?


 その時、ようやく、何かがおかしいことに気が付いた。



 ハッとして頭に手を伸ばす。



 ――帽子が、なかった。




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