第4話 困りごと

 十三歳になった頃。

 北東の国境付近の領土を巡り、小競り合いが絶えなかった隣国、ハイドランジアとの本格的な戦争が起こり、武官だった父も出征した。


 屋根裏の窓から、騎士を引き連れて戦地に赴く父を見送った。

 無事を祈る日々が、しばらく続いた。

 本当の父でなかったとしても、どれほど厭われても、わたしは父を愛していた。 


 ずっとずっと、空想していた。

 いつか、わたしは父の役に立つ。

 その為なら、命を掛けても、怪我をしたって、構わない。

 父は、わたしを許して言う。


 ――リリアーナ、ありがとう。今日から、お前もわたしの娘だ。


 往々にして、そんな都合の良い願いは叶わない。


 出征から間もなくして、父は帰らぬ人となった。



 §



 父には娘が二人だけ。


 当然ながら、女子は爵位を継ぐことができない。

 父には弟がいたらしいが、その叔父も若くして亡くなっている。

 そこで、今まで会ったこともない、叔父の一人息子だという二十一歳の従兄が爵位を継ぐことになった。


 ロンサール伯爵の称号を継いだあと、従兄のランブラー・ロンサールは初めて屋敷を訪れ、わたしたちに面会した。


「やあ、ブランシュ、リリアーナ。

 僕が伯爵になったからって、この屋敷を改革しようとか、そんなつもりは全くないから、安心して。王宮での仕事が忙しいから、こっちにはほとんど来ないと思う。君たちは今まで通り、好きに暮らしてくれたらいいからね。何か用があったら、執事を通して連絡してくれ。じゃ」


 初めて会った従兄もまた、ロンサール家の一員に相応しく、美しい金髪碧眼を持っていた。

 物腰柔らかい印象の見目麗しい八つ上の従兄はそれだけ言うと、


「ご配慮、痛み入ります」


 お辞儀をする姉妹に向かって、非の打ちどころのない優美な作り笑いを浮かべて見せた。

 そして、何かに急き立てられるように背を向け、屋敷を去った。



 そうして、わたしは今まで通り、ひとりぼっちになった。



 §



 戦争が勝利のうちに終わったのは、それから二年が経ち、わたしが十五歳の時だ。


 その頃、十七歳になった姉のブランシュの美貌は、この世の者とは思えないほどだった。


 太陽の光を受けて輝く滝のように緩やかに波打つ黄金の髪。月が優しく照らす湖のように澄んだ碧い瞳。白磁のように白く透き通った肌。


(美の女神というものがいるとしたら、きっとブランシュとそっくりに違いないわ)


 この目に、狂いはなかった。


 程なくして、屋敷には求婚者らが列をなし始めた。


 新聞には毎日、ブランシュの記事が飾られた。

「社交界の大物であるB氏を袖にした」「王都一のレストランで食事をした時に頼んだメニュー(確か、サーモンとパプリカのエスカベッシュだった)」「公爵邸での夜会で纏ったドレスを仕立てた服飾店と、お気に入りのデザイナー」「親友であるどこどこのやんごとなき令嬢との話題に上ったフレグランス」「近頃は『ブルームーン』のミルフィーユがお気に入り」などなど。


 光溢れる世界に住み、華やかな生活を送るブランシュは、わたしの誇りだ。



 時を同じくして、少しばかり、困ったことが起こり始めた。


 できる限り隠れ暮らし、人に会わない生活を心掛けているにも関わらず、わたしの名もまた、連日のように新聞を賑わせ始めたのである。

 伯爵邸で働くメイドの誰かが情報源なのだろうか。

 関係者の証言、として――


『社交界の女神・ブランシュ姫の実妹リリアーナは恐ろしい容姿を持つ、嫉妬深い魔女!』


『ブランシュ・ロンサールの実妹は稀代の毒婦! 醜い容姿を苦にして屋根裏に引き籠る!』


『魔女リリアーナ、妖力で気に入らない人間を呪殺!? その部屋は、毒と血でまみれ、ところどころに骨らしきものも――』


 内容は少しずつ違ったが、概ね似たようなものだった。

 見目美しい処女を攫ってきて○○している……とか、可愛らしい小動物の○○を○○して収集している……といった、ぎょっとするような内容の記事もあったが、口にするのも恐ろしいので、この場では伏字を用いて割愛しておく。


 こうしてわたしも、ブランシュに負けず劣らず話題に事欠かなかった。

 問題は、『醜い容姿』と『屋根裏に引き籠る』という部分以外、全く身に覚えがないということである。


 ご期待に沿えず大変申し訳なく思うが、わたしにはもちろん魔力などない。

 魔力どころか、幼い頃から引き籠り続けているせいで、人並みの能力すら持ち合わせていない。

 社交に必要な話術も知らなければ、ダンスも踊れない、運動もできないし、馬にも乗れない、色々教えてもらえたのは十歳までだったから、知識だって人よりずっと少ないだろう。


 魔力もなければ、何の力もないのに魔女と呼ばれて、完璧なブランシュの唯一の汚点となっている。

 もし、わたしが本当に魔女であったなら。

 ブランシュに迷惑をかけずに生きることができるのに。


 その頃のわたしはもう、ブランシュという光に群がる蛾の一匹に過ぎなかった。


 迷惑をかけている、ここを離れなければ、と思うのに、その方法すら見出せない。


 大好きなブランシュにだけは、醜い闇色の髪と瞳の呪われた秘密を知られたくなかった。

 わたしが父の子でなく、母の命を奪ったと知ったら、ブランシュも父と同じようにわたしを憎むだろう。

 それだけは、嫌だった。



 朝起きて、孤独に耐えながら長い一日を生き、ようやく迎えた夜にほっとして眠りにつく。そしてまた、朝が始まる。



 屋根裏でひとり、変わり映えしない生活を送りながら、いつしかわたしは十七歳になっていた。

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