第64話 毒舌な伯爵(レクター・ウェイン視点)


「ちょっと待ってください」


 気迫に押され、よろよろと立ち上がる公爵と四人の騎士を見やり、カマユーが眉根を寄せた。


「目付きの悪い威圧的な五人組……怖がらせ、逆効果となる恐れがあります。ここは、公爵とウェイン卿が代表して行きましょう」


 エルガーが大きく同意した。


「そうですね。二人とも人相と日頃の行いは最悪ですが、五人で行くよりはまだマシです。

 ほら、花言葉的にも完璧な花束、用意しときましたから。間違いなく突き返されますが『受け取っていただけなければ、愛でられぬまま枯れてしまいます。花に罪はありません。どうかお美しい方のお手元に』とか何とか言って、ちゃんと謝って来るんですよ!」


「ほらほらーもう、この世の終わりみたいな顔しない。俺の見たところ、まだ希望はあります。雀の涙くらいですけど。許してもらえなくても、グスグズごねて縋り付いたりしないように。もっと嫌われます。今日のところは、謝罪済ませたら、さらりと帰って来てください。追わば逃げ、逃げれば追うのが恋心ってもんですから」


 もはや脱帽ものの、アメとムチっぷりであった。


 肩を落とし、言葉もなく、こくこくと頷く公爵と俺に謝罪のためにと用意してくれた花束を手渡す金髪ブロンド三人組は、女性誌の『抱かれたいイケメン騎士ランキング』で毎年、上位に名を連ねる強者の風格を纏う。


「くれぐれも油断は禁物です。今日のロンサール邸は、昨日までのピクニック感覚のロンサール邸とは全くの別物。四方八方敵だらけ」


「その通り。一瞬の気の緩みが命取り。メイド達は第二騎士団を『お嬢様の敵』と認識しています。今から向かうのは、天下分け目の主戦場」


「女同士は、妬み合うだとか足を引っ張り合うだとか言われているのは、すべて真の敵を欺き油断させる為の単なるお遊戯。ひとたび、共通の『女の敵』を見出し、連帯した女性達は、完膚なきまでに『女の敵』を叩きのめすまで、攻撃の手を緩めません」


「え……マ、マジで……?」


 愕然と目を瞠る公爵に向かって、三人は、激戦地に赴く出来の悪い弟子を見送る老師の如く達観した眼差しで、こくり、と頷いた。


 トマス・カマユー。女系家族の末っ子長男。七人の姉を持つ男は、全てを知り尽くした空色の瞳をすっと細める。


「雑巾の絞り汁入り紅茶を呑む覚悟もなく、女性を泣かせるべからず……、っていう話です」



 §



「ブランシュお嬢様とリリアーナお嬢様は、お二方とはお会いになりません」


 老執事ロウブリッターから、折り目正しく丁重にそう言われた公爵と俺は、主戦場には辿り着くこともできず、伯爵邸の執務室に通されていた。


 執務室のゆったりとした革張りのソファに腰掛け、公爵は目の前のティーカップを持ち上げた。じっと見つめたかと思うと、遠い目をして、そっとソーサーにそれを戻す。



「ていうか、僕、通していいって言った覚え、ないんですけど」


 言いながら、ロンサール伯爵は机上に置かれた大量の書類に次々と目を通し、処理してゆく。噂通り、有能な人物らしい。


「うん、勝手に通ったからね。そんなことより……」


 沈痛な面持ちで、頭を抱えた公爵が続けた。


「どうしよう……ブランシュが……ブランシュとリリアーナが……会ってくれない……!」


 公爵が悲壮な声を出し頭を抱えたが、ロンサール伯爵は表情を変えぬまま、書類から、ちらと視線をあげただけだった。


「知りませんよ、もー。自業自得でしょう。僕もマジで引きました。それから、アリスタは今まで通りメイドとして雇いますけど、文句ありませんよね」


「もちろん! ただのちょっとした間違いじゃないか! 罰するなんて言うわけないだろう!」


 公爵が慌てたように叫ぶと、ランブラー・ロンサールは、じろり、と冷ややかな眼差しを公爵と俺に向けた。


「言っときますけど、メイドに暗殺者を差し向けるとか……なしですよ?」


「わかってる! そんなことしない!……いや、たまーにすることもあるけど、今回はしない! 絶対にしない!」


 公爵と共にぶんぶんと首を横に振った。


「はい、じゃあ、もう、僕、ほったらかしだった伯爵邸の仕事まとめてやってるから忙しいんで。……チッ、バカ伯父め……またこんな底意地の悪い真似を……」


 書類に向き直ると、ぶつぶつと文句を言いながら、何か書きつけている。


「どうしたらいいんだ……? ブランシュと結婚できなかったら、……もう生きていけない」


 公爵は頭を抱え、悲愴な声を出した。


「あー、まー、そりゃもう無理でしょ? 昨夜のブランシュの怒りは凄まじかったですからね。妹を殺されかけたんですから当然ですけど。ここは男らしくきっぱり諦めて、他を当たったらどうです?」


 あっさり言われて、「そんな!!」と叫び、絶望的な表情を浮かべる公爵を見て、面倒そうに大きなため息をつくと、ランブラー・ロンサールは手に持っていた書類を机に置いた。


「まあ、確かに、ノワゼット公爵と第二騎士団には、男爵夫人の件で助けてもらったという借りがある。僕に関しては、チャラにしますよ。そもそも、僕が伯爵邸のことをちゃんとしてれば、こうはならなかったわけですし。その点に関しては、僕も深く反省してる」


 毒舌だが、物凄く、いい奴だった。ロンサール伯爵は続ける。


「それで? ブランシュとリリアーナに会わせてくれってことですよね?」


 公爵は、ネジを廻し過ぎたぜんまい人形のように激しく、こくこくと頷いた。


「じゃあ、再来週、近しい友人集めて、リリアーナのお披露目かねてちょっとしたパーティ開くつもりなんで、招待状あげますよ。それでいいですか?……えっと、確かこの辺に……」


 公爵が立ち上がり、目を輝かせながら伯爵にずいっと近付く。


「ありがとう! 恩に着る!」


「はいはい。……あ、あった、これだ。はい、じゃ、これ差しあげるんで、とっとと帰ってください。ほんとに忙しいんで」


 そう言うと、また書類に目を戻し、ぶつぶつと何か呟きながら没頭し始めた。


「あ、そうそう、この屋敷、何か変な奴が紛れ込んでる気配するんだよね。うちの騎士、何人か置いていってもいい?」


 公爵がそう言うと、ランブラー・ロンサールは書類から視線を上げ、『王宮一美しい政務官』と称される至極整った顔をにっこりと綻ばせた。


「いや、ふつーに駄目ですけど? 調子に乗らないでください。」


「え、いや、本当なんだって! 何か変な悪意、感じるんだよ。たまにだけど、な?」


 振られて、頷いて答える。


「はい、本当です。てっきり、そいつが毒を盛ったのだと思っていました」


 あの悪意の主を、リリアーナだと思い込んでいたことを思い出す。


「そう! それもあって、こんなことになったんだよ! いくら性格悪い僕でも、うっかりミスの食中毒って分かってたら、暗殺とか報いとか病んだ悪役みたいなこと言い出さないからね!」


 ふうん、と言って、ランブラー・ロンサールは碧い瞳を眇めた。ペンを指で器用にくるくると回転させる。


「新しく使用人を雇った時の身上書には、一応目は通してましたけどね。まあ、気を付けときますよ。何にしても、ロブ侯爵家の護衛騎士を何人か貸してもらえることになってますから。うちの専属の護衛騎士は、これから探して正式に雇います」


「えっ、そんな他人行儀な! 護衛騎士雇うなら、僕が紹介するから—―」


「それも、ふつーに結構です」


「……じゃあ、外の公道に馬車止めて、何人かの騎士と一緒にいるから、何かあったら呼んでくれ」


 ランブラー・ロンサールは、再びにっこりと口許を綻ばせた。


「ノワゼット公爵、それもう、ストーカー犯罪の一歩手前です。ブランシュに引かれますよ?」


 公爵は、愕然と目を見開き、固まった。


「えっ、そうかな……?」


 ロンサール伯爵は、大きく頷いた。


「完全に、ぎりぎりです」



 去り際、公爵が「あ、それから、くれぐれも他の騎士団だけは呼ばないでくれよ」と言うと、ロンサール伯爵は「わかった」とも「しっしっ」とも取れる仕草で、片手をひらひらと振った。


 それから、ふと何か思い出したかのように、こっちを見る。


「ああ、それから、ウェイン卿?」


 はい、と立ち止まると、公爵は、「先に行ってるよ、ブランシュが通りかかるかもしれないし……」と肩を落とし、とぼとぼとドアに向かった。


 公爵が部屋を出たのを見送ってから、ロンサール伯爵は瞳を眇めて口を開いた。


「……リリアーナが、君に顔を隠していた理由を話したみたいだけど、口外無用でお願いします」


「わかっています。誰にも言うつもりはありません」


「そうですか。じゃ、そういうことで、」


 それだけ言うと、また書類に視線を落とす。

 早く出ていけ、と言う意味だとわかったが、どうしても確認しておきたかった。


「それで、伯爵はどうされるおつもりですか?」


 リリアーナが伯爵の実子でないということは、ランブラー・ロンサールとは血の繋がりがないということだ。ロンサール伯爵は今のところ善人に見えるが、油断はできない。大抵の人間は、欲に目が眩むものだ。


 まさか、とは思うが、追い出したり閉じ込めたり、望まない結婚をさせて不幸にするような真似だけはさせまい。


 永遠に会えないとしても、行く末の幸せだけは守りたかった。


 ランブラー・ロンサールは、不信をたっぷり込めた視線をこちらに向けた。


「君には関係ないだろう」


 貴族というものが、美しい娘をどう扱うかは知っている。貴族達は皆、娘達を美しく飾り立てる。

 美しい娘は、権力ある男とのパイプ作りに何よりも役立つ駒だ。

 リリアーナほど美しい娘なら、例え伯爵の実子でなくとも、手に入れたいと願う男は五万といるだろう。

 もし、ロンサール伯爵が彼女を利用するつもりなら――


「利用して、意に添わないことをさせるつもりなら、」


「はあ? だいたい何を想像してるのかわかるけど、僕はそんなことしない。まったく、どんだけ荒んだ人生送ったら、そんな風に世の中、斜めに見るようになるんだよ」


 ランブラー・ロンサールは呆れたようにそう言うと、こちらを伺うように目を細め、ぽつりと言った。


「……意外だなあ……」


「……? 何ですか?」


「最初に見た時、君はてっきり、リリアーナを大事にしているんだと思った。命を狙ってたってのも仰天したけど、あんな風に追い詰めるとは、全く意外だったよ」


 肘掛け椅子の背もたれに深く背をつき、両手の指先を合わせながら、ランブラー・ロンサールは冷たい口調で言った。


 何も言い返せず、視線を下げた俺に向かって、さらに続ける。


「本人の意に添うようにってことだけど、リリアーナは、もう王都にいたくないそうだ。北の国境沿いの修道院に行って、残りの人生は神に捧げたいってさ」


 心臓がぞくりと凍えた。


 ――北の修道院? 嘘だろう?


 その修道院なら何度か近くを通ったことがある。雪を被り氷の膜で覆われた、冷たい灰色の石造りの建物。修道女たちの無気力な眼差しと病的に青白い顔。どこにも行く場所がなく、希望を失った女たちの墓場。


 あの華奢な体で、一冬たりとも無事に越せるとは思えなかった。


「まさか、行かせたりは、」


 ロンサール伯爵は追い討ちをかけるように言い募った。


「行かせるわけないだろう。ホープの件がなければ、もっと早く姿を消すつもりだったらしい。長々とお世話になってごめんなさいって言われたよ。君らに命を狙われてると知って、誰にも見つからないように王都を離れて修道院に行くつもりだったってさ。よっぽど怖かったんだろう。可哀そうに」


 その言葉は、胸に突き刺さった。

 死神のような俺の存在に怯え、一人でひっそりと王都を抜け出す彼女の姿と、消えたと知って気が触れたように探し回る自分の様子が脳裏を過る。


 そうなっていたら、俺は彼女が無事なうちに探し出すことができただろうか?

 王都と違って地方は、特に北方は治安が悪い。若い女の一人旅など、襲ってくれと言っているようなものだ。

 きっと、取り返しの付かぬ事態になっていたに違いない。


「……申し訳ないことをしたと、思っています」


 喉の奥から言葉を絞り出す。謝って済むことではなく、卑劣漢がと詰られる覚悟でいたが、ランブラー・ロンサールはあっさりと怒りが解けた様子で、呆れたように口を開いた。


「そんな真っ青になるくらいなら、普通に優しくして花でも贈っとけば良いものを。何だってこんな盛大に拗れたんだ?」


 返す言葉もなく、ただ俯く俺を見て、ランブラー・ロンサールは考えるように少し黙った。

 そして、ポケットから何かを取り出すと、俺に向けて見せた。


「ま、もういいよ。何か知らないけど、その様子じゃ、行き違いがあったんだろ? 今度会ったら、直接ちゃんと謝っとけよ。……ところで、ちょっと腑に落ちないことがある……。これ、おかしいと思わないか?」


 それを見て、俺は目を見開いた。



 §



 伯爵邸から出たところで、ちょうど着いたばかりのウィリアム・ロブと鉢合わせた。

 ロブ侯爵家の紋章入りの二頭立て馬車から、洗練された身のこなしでタラップを降りてくる。


「馬を繋いできます」


 ロンサール伯爵が、先ほどロブ侯爵家から借りる、と言っていた護衛騎士達だろう。ちらほらと知った顔もあり、怪我で引退した元王宮騎士の姿まである。流石は侯爵家と言うべきか、強者揃いだった。見知った騎士は目が合うと目礼し、馬を引いて厩の方へと向かう。


 騎士達に向かって、ああ頼むよ、と柔らかく頷いてから、ウィリアム・ロブはこちらを向いた。桃色の系統の花でまとめられた花束とケーキの箱を持ち、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ノワゼット公爵閣下、ウェイン卿、ごきげんよう」


 物腰柔らかな貴公子、というのはこういう男のことを指すのだろう、と思う。

 王宮でランブラー・ロンサール伯爵と並ぶ人気があると聞いたことがあった。


 ロブ侯爵家の次男だか三男だったかで、伯爵と同じく実力で王宮政務官の難関試験を突破した秀才らしい。その有能さから、長兄が侯爵家を継ぐ際、何らかの叙爵をされる予定だと耳にした。



「……やあ、ロブ卿。……令嬢にご用事かい?」


 ノワゼット公爵が、ウィリアム・ロブの手元の花束とケーキの箱に視線を向けて問いかけた。


「はい。『ブルームーン』の新作ケーキ、令嬢方がまだ召し上がっていないとお聞きしましたので、お持ちしました」


 菓子店の名前など知らないが、王都の中心街にそんな名の看板のかかった店があるのは知っていた。昼間、店の前を通ると、ドレス姿の長い行列が目に入る。


 大きな箱が、ブルーのリボンで巻かれている。おそらく、中には色とりどりのケーキが所狭しと並んでいるのだろう。



 ――箱を開けたリリアーナは、あの春の日差しみたいな笑みを浮かべるだろうか。


 公爵がわざとらしく咳払いを落としながら、口を開く。


「……令嬢方は、お元気そうかい?」


「はい。ご姉妹でずっと一緒に過ごされています。レディ・ブランシュがレディ・リリアーナを大変大切になさっていますので、もう、大丈夫だと思いますよ」


 それを聞いて、ほっとする。会えなくとも、ずっと優しい世界で笑っていてほしかった。


 そうか……と引き攣った笑みを作り、肩を落とした公爵とすれ違う間際、ウィリアム・ロブが振り返った。


「ああ、それから、公爵閣下、ご安心ください。私の目当ては、ブランシュ姫ではありませんから」


 公爵が、そ、そうか、と目を輝かせ、嬉しそうな声で返した。



 ――突然、心が重い鉛を抱えたように沈む。



 取次ぎのメイドに、にこやかに応対されながら奥へと案内されるウィリアム・ロブの背に目をやる。



 ――ついこの前、隣を歩いて、その手を取ったのは、俺だった。



 書斎で向けられた縋るように潤んだ瞳は、星空の様に輝いていた。


 あの時、隠された美しい顔を知る者は僅かで、リリアーナは孤独の海で溺れかけ、ただ藁をも掴む思いだったとしても、手を伸ばせば掴んでくれるかも知れないと、そう思っていた。


 ずっと、怯えさせ追い詰めていたことに気付きもせず。



 ――全く、救いようのない馬鹿だった。



 (この黒い騎士服は、死神のように映っていただろうか……)


 もう何をやっても、取り返しがつかない。

 どれほど望んでも、この手だけは掴まない。

 贈り物を手渡し、花が零れるような笑みを向けられる機会は、もう二度と、巡ってこないのだ。


『直接ちゃんと謝っとけよ』


 ロンサール伯爵に言われた通り、せめてそれだけはしよう。

 

 王都でこの制服を目にする度、思い出させて、怯えることのないように。


 王都を出て行こう、と思わずに済むように。



 ――次に会えたら、謝罪だけは。







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