第63話 とぐろを巻く(レクター・ウェイン視点)
「……と言う訳で、伯爵邸の庭師達に聞いたところ、確かに菜園の辺りに群生していた水仙がある日、なくなっていたそうです。
生育旺盛に広がっていたので、庭師仲間の誰かが処分したんだろう、と皆が皆、思ったとか。
料理人のモーリーと、あのアリスタってメイドにもそれとなく尋ねましたが、レディ・リリアーナの言う通りだと思われます」
ノワゼット公爵邸の執務室で、執務机の前に姿勢を正して立つトマス・カマユーが、公爵に向かって報告を上げている。
公爵は執務机の奥で肘掛け椅子に深くもたれ、報告を聞いていた。
「……ああ、そう……」
「医師にも確認したところ、水仙による中毒症状は、頭痛及び、吐き気。症状もぴったり合うそうです。
香草と似ていることから、度々、誤食事故が起きるそうですが、成人があの量で死ぬことは、まずあり得ないとか。公爵とレディ・ブランシュが軽症だったのも頷ける、と言っていました」
「……うん……」
カマユーが眉根を寄せ、思い詰めた様子で問う。
「それで、……えーと? ちょっと、整理させてもらってもいいですか?」
「……だめだ」
「いや、夕べの話、嘘ですよね? レディ・リリアーナを……暗殺? しかも、しかも
……ドブ、ネズミって……?」
公爵は無言だった。
「……馬鹿だ、うわぁ、やっぱり、馬鹿だったんだ、この人……!」
カマユーが目を見開き、青ざめて後ずさる。
執務室のソファに、俺だけでなく、オデイエ、ラッド、キャリエールも頭を抱えるように項垂れ座っていた。
カマユーの隣で、エルガーも驚愕の表情を浮かべた。
「え? しかも、ウェイン卿だけじゃなくて、ラッド卿もオデイエ卿もキャリエール卿もグルだったんですか? 信っじられない。第二騎士団の精鋭が揃いも揃って、あんなか弱い女性を……入る騎士団、間違えた……」
「レディ・リリアーナ、可哀そうで見ていられなかった。涙を浮かべて、打ちひしがれて……! 俺は全く関係ありません! 悪いのは全部、この馬鹿どもです! って駆け寄れば良かった。いや本当、馬鹿が過ぎる人達を目にすると、人って言葉失うもんなんですね」
アイルもまた、微塵も容赦しなかった。弱った心臓にグサリグサリと、とどめの追い打ちをかける。
沈痛な面持ちで目を閉じていた公爵が、こめかみをひくひくと痙攣させた。
「……ちょっと、黙っててくれない? 今、自分で自分を責めているところだから……」
「いいえ、黙れません。さっき伯爵邸を辞する時、後ろを振り返ったら、可愛いメイドの子達が、『リリアーナ様を泣かせたらしいわよ!』『最低!』つって、俺が立ってたとこに塩撒いてました。
『最低なのは、うちの上司と同僚なんです!』って叫びたいのを耐え忍び、逃げ帰ってきました。
俺……俺は……、憧れの眼差しを向けられることは、すごーくよくあっても、あんな、あんな……ナメクジ扱いされたこと、生まれてこの方、一度もないのに……っ!」
よほど傷付いたと思われる様子で、カマユーが瞳を閉じ、両拳を握りしめ震える。その横に立つエルガー、アイユが続けて口を開いた。
「……え? これでもう終わり? 出禁? 嘘でしょ?
俺、ロンサール邸の警護が、一番好きな仕事だったのに……! 美人で優しいレディ・ブランシュの周りは美人で溢れていた。いわゆる類友。友人令嬢も美人、侍女も美人、右見ても美人、左見ても美人、夢とロマンの王国だった……!」
「美人から『ご苦労様です』って、労いの言葉を掛けてもらえない仕事なんて……働く理由が見出だせません。
むさくるしい男に囲まれた職場と自宅を往復する人生なんて、俺は嫌です。生きている意味がない!」
通夜の如く沈痛な空気に支配されるこの場において、突っ込む気力がある騎士は誰もいなかった。
エルガーとアイルの空色の瞳が、ゆらりと怒りに揺らいで、こちらを睥睨する。
「……で?……何を呑気に、こんなとこで項垂れてんですか?」
「好きで、呑気に項垂れているわけじゃない……」
大きな体で、がっくりと項垂れたラッドが、答えた。
「そうよ、今更、どの面さげて、のこのこ会いに行くのよ。まさか、初めから全部知ってて、何もかもお見通しだったなんて……。完っ全に嫌われてる。心の底から軽蔑されてる。顔も見たくないに決まってる。もう終わりよ……」
オデイエがソファの背もたれに顔を埋めて呟く。
「俺達の顔見る度に、怖い思いしてたんだろうな……護衛してやろうとか上から目線で思ってて、笑わせるよ」
キャリエールが青白い顔で俯きながら自嘲した。
――何もかも、初めから間違えていた。
くだらない理由で自分を殺そうとした上、見下げ果てた態度を取り続けた者を許せる人間などいない。
最初からずっと、リリアーナにとって俺は卑劣な人殺しで、心の底から軽蔑し、顔も見たくない相手だった。周りをウロチョロされて、さぞ目障りだったろう。
「……もう、消えたい……」
頭を抱えてぼそっと呟くと、カマユーが冷たい視線を向けてきた。
「はいはい、もー……全員暗い! それから、さっき、伯爵邸に、第一騎士団の連中が来ていました」
はっとして、全員が顔を上げた。
「なんで!?」
公爵が叫ぶ。
「公爵が自分で、グラハム・ドーン団長にロンサール伯爵に謝りに行けっていったんでしょーが! どうすんですか?
ドーン公爵って、レディ・ブランシュに熱を上げてましたよね。やばくないですか? 婚約解消のことが知られたら……」
公爵が愕然と目を見開き、青ざめた。
「しかも、俺は昨日、マルラン男爵邸で衝撃的な話を小耳に挟みました。第三騎士団の連中が、男爵邸で働くフランシーヌってメイドを血眼で探してたんです。なんでも、見慣れないメイドがいたから顔を見せろと言って眼鏡を外させたら、この世に二人といない清楚系美少女で、団長のハミルトン公爵が一目惚れしたとかなんとか。貴賤結婚も辞さない、と騒いでいるそうです」
アイルが言ったのを聞き、全員が目を見開いた。
「…………」
「マジか………」
「どうしよう……」
「白獅子と、青竜……?」
「イヤだ、無理だ、それだけは我慢できない……」
カマユーが、切れ長の目をすうっと細めて、俺たちを見回した。
「どうするもこうするもありません。わかってますか? ロンサール家に嫌われたら、公爵も第二騎士団も終わりです。レディ・ブランシュは言わずと知れた国一番の美女で社交界の頂点。社交界の子女はほぼ全て、レディ・ブランシュに心酔する取り巻き。
一方、ランブラー・ロンサール伯爵は王宮の侍女たちの『白馬の王子様』。マルラン男爵夫人事件の時、伯爵は表向きは牢にいることになっていましたが、実際は王宮の自室に軟禁されていただけでした。
第一騎士団のドーン公爵ですら、噂では王妃殿下と王女殿下も会員だと言われている伯爵のファンクラブに逆らえず手荒に扱えなかったそうです」
常日頃、落ち着き払っているエルガーが、氷のように冷えた目を眇めて、きりりとした口調で続ける。
「しかも、レディ・リリアーナのあの顔。どこをどう遠慮がちに見ても……可愛かった。めちゃくちゃ、可愛かった。優しげ、儚げ、清楚系の正統派。
あれは駄目です。最強です。『可愛いは正義』です。少なくとも俺は、万一、中身が魔女でも、全く気になりません。むしろ、ミステリアスもまた最高です。
あんな目も眩むような美人をドブネズミ呼ばわりして暗殺しようとしたと世間に知られたら、評判も日頃の行いも悪い公爵と、目つきも人相も悪いウェイン卿達に味方するものはいません。国中……いや、世界中から『ドブネズミはてめえだ』と後ろ指指されることになるでしょう」
家名の知られた子爵家の三男で、騎士団一、温厚な男といわれるアイルが、そこはかとなく気品の漂う顔を苦渋に歪め、口を開いた。
「今はまだ、伯爵邸のメイド達にそこまで気付かれていませんが、真相を知られるのは時間の問題です。メイドの情報収集能力はそこらへんの間諜では太刀打ちできません。しかも、彼女たちは話を盛る!!
……そうなったら、俺たち、第二騎士団の他の騎士も道連れです。
これから一生、王宮の侍女にも、行きつけのベーカリーの娘さんにも、無視される……っ!」
果てしなくどうでもよかったが、三人の気迫は鬼気迫るものがあった。
三人の青い瞳が揃って眇められ、ぎらりと光る。『普段、温厚で穏やかなヤツほど、キレるとヤバい』説がまさに今、目の前で実証されていた。
「というわけで、……こんなところでグダグダとぐろ巻いて、頭からキノコ生やしてないで、今すぐ行って、土下座でもバク宙でも台上前転首跳ね飛びでもなんでもかまして、まず謝罪!」
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