第58話 直談判

「……は?……アリスタというと、あの、令嬢とよく一緒にいる、若いメイドですか?」


 暫く沈黙が流れたあと、怪訝な声が届く。


 俯いたまま頷く。


「……はい、あの日……わたくしは公爵様と姉との晩餐に遅れました。ホールに遅れて入った時、公爵様と姉はもうお食事を始めていらっしゃいました。

 覚えていらっしゃいますか? あの、海老とキャビアとハーブの前菜です。彩りがとても綺麗でした。

 お二人をお待たせしてはいけないと思い、わたくしは前菜には手を付けませんでした。

 毒は、あの前菜の皿に入っていました」


 ウェイン卿は、静かに頷いた。あの日のことを思い出しているのだろう。


「あの日は……帽子を、取りに戻ったのです。以前お尋ねになられた、顔を隠す理由ですが、……わたくしが五つになった時、父は言いました。これから先、決して、この髪と瞳を人に見せてはならないと。……わたくしは、父の娘ではないからです。両親は共に、ブランシュと同じ美しい金髪でした。それなのに、この髪は黒いのです。

 わたくしの存在は伯爵家に醜聞を呼び、汚名となるので、これから一生、誰とも関わらず隠れて暮らすようにと、父は命じました。

 そして、最近までそれを守って生きてきました」


 ウェイン卿の目が見開かれたが、もういいや、という気持ちだった。


 わたしは伯爵令嬢ですらなかった。きっと、騙されたと思われたと思う。それとも、それほど驚いていないところを見ると、薄々勘付かれていたのだろうか。


 ――でももう、どっちだっていい。


 もうすぐ、何もかも終わるのだから――



「……その日の夜、公爵様と姉は、中毒で苦しまれました。

 わたくしには、その時はどうしてそんなことになったのか、さっぱりわかりませんでした。

 でも、後になって、アリスタがその日にあったことを詳しく話してくれて、気付きました。

 あの日、料理人たちは目が回るほど忙しく、手が足りていなかったそうです。

 後になって思えば、わたくしが急に晩餐に出るなどと言ってしまったのが、いけなかったのでしょう」


 あの日、モーリーはたまたま通り掛かったアリスタに命じた。


『ちょっと畑まで行って、彩りや風味付けに良さそうな香草を見繕って、何種類か取ってきてくれ』


  薄暗い中、菜園に出たアリスタは門をくぐってきた公爵の一団に気を取られながら、命じられた通り、ハーブを適当に見繕って摘んだ。


 同じ日の早朝、わたしは庭の片隅に広がり群生している水仙を見た。

 こんなにあるなら、一輪くらい構わないだろうと、部屋に飾るため一輪手折り、窓際に飾ったから、よく覚えている。



 ――そのすぐ隣に、菜園があったことも。



「……アリスタは、ハーブと間違えて……猛毒のリコリンを含む、水仙の葉を摘んでしまったことなど、自分でも知りませんでした。

 今でも、気付いてはいません。水仙の葉は、香草とほとんど見分けがつきませんから」


 公爵とウェイン卿が交わしていた、わたしを始末するという恐ろしい話を聞いた時、もしかしたら、これはアリスタが犯した失敗かもしれない、と薄々思っていた。


 ――夜明け前。


 嵐の過ぎ去った後の菜園で、わたしは見た。セージやリーキに混じって、切り取られた水仙の葉。アリスタが間違えて摘んでしまったのだと、わかった。


 公爵とウェイン卿は、わたしだけを疑っている。他の容疑者の名は、一人も上がっていなかった。


 ――それなら、やるべきことはひとつしかない。


 このまま、わたしを疑わせておけばいい。


 わたしが疑われている間は、アリスタに疑いの目は向かない。


「……ですから、アリスタのしてしまったことが誰にも知られないよう、嵐の去ったあと、まだ土の緩んだ庭に行き、増えすぎて菜園にまで生えた水仙を全部、球根から掘り出しました」


 菜園に生えた水仙の証拠は、わたしが消した。


 嵐によって泥濘ぬかるみ、緩んだ土は柔らかく、非力なわたしにも簡単に掘ることができた。

 水仙はもうないのだから、同じ間違いは、もう起きない。

 黙っていても、問題はない。


 誰もが、わたしを疑っている。

 疑いの目を自分に向けたまま、上手く隠れて逃げ延びれば、何もかも上手く行く。その時は、それしかないと思った。



 ウェイン卿は眉を顰めていたが、黙ったままだった。

 最後に、どうしても聞いてもらいたい頼みがあった。


「それで……それで、ウェイン卿に、お願いがあります」


 ウェイン卿の顔を見上げると、意外にも、いつもの冷たく怒っているような目をしていなかった。絶対に激怒すると思っていたのに。


「はい」


「アリスタは……まだ十四歳で、お父様と妹さんはご病気で、ここを辞めさせられたら、ご家族の暮らしは成り立たず、生きていけないのだと言っていました。

 公爵様に誤ってとはいえ毒を盛ってしまった者とその家族を、もう雇ってくれる者はいないでしょう。これが明るみになったら、アリスタとご家族はお終いです」


 公爵の冷たい声が、頭の中で響く。


『どんな事情があろうとも、僕に毒を盛ったやつには、必ず報いを受けさせる』



 ――アリスタだけが、悪いんじゃない。



 水仙だと見抜けず、料理に入れたモーリーも、菜園にまで水仙を生やしたままにしていた庭師達にも咎はある。


『父さんと妹のステラの薬代が高くて、こうなったら、もう娘を身売りするしかない、って言ってたんですけど――』


 だけど、確かなことは、これが発覚したら、アリスタは屋敷を頸になる。

 紹介状だって、書いてもらえないだろう。王位継承権を持つ人に毒を盛ってしまったのだ。もう、まっとうな仕事には就けない。妹のステラと父親の薬代は払えなくなる。


 そうして、困窮のあまり、アリスタはクルチザン地区の店に売られるのだ。アリスタと両親と六人の弟妹、九人もの善良な人達を地獄に突き落とすことになる。


 ――そんなことだけは、させられない。



「ですから……わたくしが毒を入れたことにして、わたくしを始末して、それで、お終いにしていただきたいのです」



 どうせもう、嘘は通じない。

 それなら、全て打ち明けた上で、交渉した方がいい。

 これは、誰も損をしない話なのだから。



 ――わたしは、生きたい。



 今も、その気持ちに変わりはない。


 だけど、アリスタは恩人だ。

 あの深くて暗い、救いのない孤独の世界から連れ出してくれた、優しい友達。


 あの時、熱に浮かされて意識を失い、辿り着いた光の先でさえ、わたしはひとりぼっちだった。

 澄んだ川底に映る元いた世界では、ブランシュ以外、誰も悲しんではくれなかった。

 それは、今もきっと大して変わらない。


 だけど、違うこともある。



 川面を覗いたその先で、アリスタが笑っている。



 わたしもそれを見て、微笑むことができる。


 それならそれは、それほど悪くないように思えた。



 ウェイン卿は、何も言わなかった。

 長い沈黙に耐えきれず、おそるおそる顔を上げた。

 見開かれたウェイン卿の瞳は赤く煌めいて、震えるほどの感情が満ちていた。


「……は? 何を言って……? 俺が、そんなことを、するわけが……」


 やっぱり、怒らせてしまったか、と思う。

 ウェイン卿が「俺」と言っているのを初めて聞いた。

 

 それほど、怒らせたということだろう。


 それはそうだろう。とんでもないことを言っているとわかっている。


 けれど、他に方法などあるだろうか。

 公爵が毒を盛られたら、誰かが責任を取らなければならない。



 ――ならばそれは、わたしがいい。



 わたしがいなくなっても、誰も困らないのだから。


 昂る感情を湛えた赤い瞳から、目を逸らす。

 自分でも不思議なことに、頭は熱くなっているようで、冷えているようでもあった。


「するわけがない、なんて、仰らないでしょう? グラミス伯爵夫人の馬車があの場所で停まっていなければ、あの日、わたくしを始末なさって、終わりになる筈だったではないですか」

 

 言った途端、ウェイン卿が息を呑んだ気配がした。


 わたしは、気の弱い自分が、大嫌いだった。


 何も言い返せず、人の言いなりになってばかり。


 ――だけど、これだけは。


 絶対に譲れない。


「嵐の夜、言っていらしたではありませんか。公爵様とお二人で、きっとわたくしが毒を入れたのだと。『毒を入れた者が誰で、どんな事情があろうとも、生まれてきたことを後悔させる』と。わたくしのような妹は、ブランシュの為にはいない方が良いから、ドブネズミを始末すると」


『もっと欲を張ったって、良かったんだよ』


 あの時、あの老人は言った。


 ここで欲を張らず、どこで張る場所があるだろう。


 ずっと人の言うことを聞いて、ずっと流されて生きてきた。


 だけど、ここだけは。


 ウェイン卿の怒りをどれだけ買ったとしても、わたしは引くつもりはなかった。


 アリスタだけは、傷付けさせたりしない。


「ウェイン卿にとっても、公爵様にとっても、それが最良の結末でしょう?……本当は、真実なんてどうでも良かったのですから」


 公爵とブランシュが毒を盛られたことを、王都で知らない者はいない。人の口に戸は立てられない。使用人の誰かが話したのか、新聞にまで載ってしまった。


「誰もが、犯人はリリアーナだと噂しています。騎士団団長が毒を盛られたのに何もしなければ、沽券に関わります。

 だから、わたくしを消して、噂を立てようと思われたのですよね。

 必要もないのに、四人もの騎士を差し向け、紋章付きの馬車に乗せたのは、その為でしょう?

 若いメイドのちょっとした間違いだったというよりも、リリアーナ・ロンサールが人知れず消える方が、世間は喜ぶでしょう?

 その方が、公爵様とウェイン卿にとっても――」


 都合が良いでしょう? と言おうとして、顔を上げ、言葉を失った。


 ウェイン卿の顔は、信じられないくらい真っ青で、その上、まるで、まるで……



 ――途方に暮れているみたい……



 悲しそうにすら見えるその顔を見て、途端に後悔の波が、胸に押し寄せた。

 

(……困らせるつもりなんて、なかったのに……)


 ――なぜ、わたし一人を消すために、四人もの騎士が必要だったのか、ずっとずっと、不思議だった。でも、公爵の顔を見て話している時、気が付いた。



 あえて、のだ。



 でも、グラミス伯爵夫人に見られてしまったような、はっきりした証拠を残してはいけない。万が一、真実が別のところにあった場合、それが明るみになると困ることになる。


『ロンサール伯爵邸の裏口から、第二騎士団の連中が取り囲んだ騎士団の馬車が、ひっそりと出て行ったらしい』


『その日から、魔女の姿が見えなくなったってさ』


『リリアーナ・ロンサールが、ノワゼット公爵に毒を盛ったらしいよ』


『ああ、それで……』


 そんな噂が広まれば、ノワゼット公爵に敵対しようとする者は、きっと恐れをなす。公爵を傷付ければ、報復を受けることになると、誰もが思うだろう。


 そんな噂を立てたいなら、今からだって遅くはない。当のわたしが協力すると言っているのだから、何の問題もない……はず、だったのに。


 ――それなのに、どうして、悲しい顔をするの?


 わたしのことが、嫌いでしょう?

 ついさっき、冷たく蔑んだ目をしてわたしを見下ろしていたでしょう?


 アリスタを助けられて、この人の手柄にもなる、むしろ、喜ばれるだろうと思った。



 だけど、どこかで、何か、間違えたのだ。


 

「……あの、無理を言って、申し訳ありませんでした。お忘れください。直接、公爵様にお願いしますから――」


 屋敷に戻ろうと立ち上がった途端、突然、手首を掴まれた。


 驚いて見上げると、ウェイン卿の顔はかつてないほど蒼褪めて、その唇は震えていた。


「……俺は……」



 その時、思ってもみない方向から、鋭い声が響いた。



「ウェイン卿、妹から、リリアーナから離れてください」



 ぎょっとして見上げると、ブランシュが蒼白な顔をして、二階のバルコニーからわたしたちを見下ろしていた。




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