第53話 虚ろな瞳

「ホープのお母様達がいるのでは、と思いましたが……そこには、誰もいませんでした」


 あの時のがっかりした気持ちが思い出され、嘆息が落ちる。


「でも、そこには……」


 ――人形が、びっしりと並べられていた。


 非常に精巧な、人と見間違いそうなほどよくできた人形達が、窓もない暗い地下室のそこかしこに座らされていた。

 着ているドレスの色や形は様々で、百体近くがあったと思う。


 廊下からランプの薄明かりが僅かに差し込んでいた。ガラスでできた空虚な瞳がドアを開けて入ってきたわたしを、無感情な微笑をたたえてじっと見つめていた。


 あの時感じた、身の毛のよだつような不気味さは、あの場にいた者でなければわかるまい。



「しかも、その人形たちはどれも、髪はストロベリーブロンドで瞳はエメラルドグリーンでした」


 公爵と騎士達が眉を顰めたのがわかった。


「それで……わたくしは、一連の事件は全て、マルラン男爵が起こしたのではないか、と思いました。

 でも、それだとわからないのは、夫人に毒を飲ませた方法です。

 男爵邸の使用人達の話によると、男爵は事件のあった日は早朝から王宮に出られていて、常にどなたかと一緒におられた。

 そして、男爵邸に帰宅したのは夜になってからだったのですよね?

 朝食も一緒に取らず、屋敷で顔を合わせることもなかった夫人に、どうやって毒を飲ませたのでしょう?」


 時間通りに飲む持病の薬や、口紅などの化粧品に毒を仕込んだ可能性もある。


 しかし、ロレーヌや他の使用人たちが言うには、夫人は持病もなければ、薬など飲んでいなかった。化粧品も第三騎士団が全て回収して行ったが、異常はなかったと全て返却されたという。


「混乱したまま、ともかく、鍵を返しに書斎に行きました。

 鍵束を引き出しに戻し、何とか鍵を掛け直そうとしましたが、開けるときは簡単だったのに、閉めるのはなかなか上手くできませんでした。

 最後には諦めて、鍵を掛け忘れたのだと思ってくれることを期待して、引き出しだけ戻し、鍵は開けたまま書斎を出ようとしたところで、……ドアが外側から開いて、マルラン男爵と鉢合わせしてしまいました」


「……なんですって……?」


 ブランシュとランブラーまで青ざめ始めたが、わたしは構わず続けた。


「マルラン男爵は、ドアを開けると見慣れないメイドがいたのですから、驚いたようでしたが、わたくしは努めて冷静を装って、『新しく臨時で雇われた下働きでございます』と挨拶しました。

 こんなときの為に、ハタキなどの掃除道具は手に持っておりましたので、何とか切り抜けられるかと思ったのですが……。

 男爵は、後ろ手にドアを閉めて、ドアの鍵をかけました。そして、低い声で、

『この部屋は、立ち入りを禁じているのだがね』と言いました」


 あの時の声と目つき……。ぬらりと蠢き、舌なめずりする毒蛇のような。

 人から聞く、マルラン男爵の善人だとか言う評判とはずいぶん違うように思った。


「『新しく入ったもので、存じませんでした。申し訳ありません』

 と申しますと、

『帽子を取りなさい』

 と言いました。

 帽子というのは、メイドが被っている、頭をすっぽり覆う埃避けの白いメイド帽のことですが、わたくしは、言われたとおりに取りました。

 すると、男爵は急に興味を失ったようになって、もう行ってもいい、今後ここには近付かないように、と言ってドアを開けました。

 わたくしはもう一度謝って、急いで書斎を出ました。

 それで……もう、だいたいのことは全部わかったように思いました」


 顔を上げると、皆が青ざめて黙ってこちらを見ていた。

 ウェイン卿などは、さきほどまで青い顔だったのが、今は赤い顔になって、唇が戦慄いている。

 本当に相当、体調が悪そうに見える。大丈夫だろうか?


「全部わかった、とは?」


 ノワゼット公爵が、真剣な顔をして先を促した。

 言いにくいことだったが、意を決して、続ける。



「男爵に毒を盛る機会がなかったのなら、他に手を貸した者がいるに違いありません。

 ですが、三人もの女性を誘拐して、夫人に毒を盛る、などという恐ろしい犯罪に手を染める人間が、男爵の近くにもう一人いる、などということが、あり得るとは思えません。

 発覚すれば、絞首刑です。

 誘ったところで、手を貸すどころか、普通は逆に密告されてしまうでしょう?」 


 わたしは一呼吸置き、大きく息を吸ってから続けた。


「……ですが、脅されているなら、話は別です。夫人の付き添いメイドなら、一緒に『花のさえずり』に行って、夫人に毒入りのお茶を飲ませ、お従兄様が到着したのを見計らって、騒ぎ立てて通りすがりの誰かに治安隊を呼びに行かせることができます」


 男爵夫人がランブラー・ロンサール伯爵を好きなことを知っていて、手紙を書くよう唆すこともできた。

 夫人は彼女を可愛がっていたという。まさか、夫が彼女に手を出し、脅しているなどと疑いもしなかっただろう。



「……彼女は、夫人の付添メイドのロレーヌは、ストロベリーブロンドの髪で、エメラルドグリーンの瞳なのです。

 それから、いつもどこか怯えているようで、ずっと具合が悪そうでした。

 ……あれは、あれは、……おそらく……」


「……わかった、もう十分だ」


 言われて顔を上げると、ノワゼット公爵が気遣うような眼差しで、わたしの顔を見ていた。


 自分でも気付かぬうちに、頬が濡れていた。


 ―――心細そうな、あの優しい笑顔を、思い出す。


『フランシーヌ、ありがとね。あんたってほんと、手際がいいのね』


 ――かわいそうなロレーヌ。


 お腹に子どもができて、途方に暮れたに違いない。


 ――その時、悪魔が囁いた。


 言う通りにしなければ、ここから追い出す、とでも言われたのだろうか?


 この国で、身重の体で追い出された女性の行き着く先は、誰もが知っている。


 絶望の中、ロレーヌは悪魔の手を取った。


 これから、彼女はどうなるのだろう?



「でも、証拠は何もありません。

 ですから今日、ロレーヌのところに行って、はっきり訊いてみるつもりでした。

 本当は、もっと早くに尋ねるつもりだったのですが、一昨日、第三騎士団の方に見咎められてしまいまして……」

 

 そこの見慣れないメイド、顔を見せろ、と言われ眼鏡を取ったら、よほど怪しく思われたのだろう。

 目を見開いて固まり、顔を真っ赤にしたかと思うと、その後、ずっと付き纏われてしまい、ロレーヌに訊く機会を逸してしまった。

 最後には、家まで送って行く、とまで言い張るのを何とか撒いて帰ってきた。


「それだけ分かれば、あとはこちらで何とかします。令嬢はここで待っていてください。行くぞ」


 公爵は、そう言うと立ち上がった。


 騎士達もぞろぞろと動き出す。


 わたしも慌てて立ち上がる。


「あの……早くお伝えしようかとも思ったのですが、証拠を手に入れてからの方が良いだろうと思いまして……、申し訳ありませんでした」


 頭を下げると、こちらを振り向いたウェイン卿が頭が痛そうに額を押さえながら、ため息混じりに頷く。

 体調不良で、頭痛もするのかもしれない。


「……とにかく、我々が戻るまでどこにも出掛けず、ここでじっとしていてください。必ず、絶対です」


「……はい」



 ――本当は今日、ロレーヌを説得してマルラン男爵邸にいる第三騎士団に自首させた後、修道院に向けて発つつもりだった。


 人生とは、時に思いもよらない方角に突き動かされることがあるらしい。


(ずいぶん、予定が変わってしまったなぁ……)


 思いながら、黒い背中を見送った。




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