第51話 真っ赤な嘘
ブランシュは色白の顔をさらに白くしているし、先ほどまで冷然と眇められていた公爵の鳶色の目はまん丸。
騎士の面々は目を見開いたまま固まり、ウェイン卿に至っては、信じられないほど青ざめた様子で立ち竦んでいる。
生まれてこの方、これほど、人を驚かせたことはあるまい、と思われた。
「あのう……?」
恐る恐る声を出そうとしたところで、同じく愕然とした風に目を見開いていたランブラーが、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
「リ、リリアーナ、ちょっと!」
言うなり、わたしの腕を引っ張り、隅のカーテンの方に急ぐ。
なるほど、同じホールの中なので、周りから丸見えではあるけれど声は届きにくいと思われる。
「どういうことだよ!」
ランブラーが周囲に気を配りつつ、声を潜めて問う。
わたしも同じくらい声を潜め、囁き返す。
「大丈夫です。お従兄様、わたくし、だいたいの事情は察していると存じます。この場はこうでも言わないと、収まらなかったでしょう?」
ランブラーは美しい碧い瞳を見開いた。
「だいたいの、事情って……?」
わたしはちらりとウィリアム・ロブ卿の方へ視線を送る。
はっとしたように息を呑み、ランブラーはみるみる頬を上気させた。
「安心なさってください。わたくし、決して誰にも申しません」
微笑んで頷く。
わたしは幼い頃から、人の顔色を伺い続けていた。だから、何となくわかった。二人の纏う雰囲気。おそらく、間違いあるまい。
ランブラーは数秒、唖然とした風にわたしの顔を見つめていたが、苦悩したように眉根を寄せ、嘲るように呟いた。
「それで……それで、君は、僕を軽蔑したわけだ?」
心の底から驚いた。声を潜めて、ランブラーの耳元で、そっと囁く。
「なぜですか? とても素敵なお方のようにお見受けしました。お従兄様を心配されて、駆けつけてくださって、ご自分のことのようにやつれていらっしゃいます。わたくしは、お従兄様がお幸せそうで、安心いたしました。従兄妹なのですから、お従兄様の幸せを願わないはずがありません」
ランブラーは顔を上げると、不思議な生き物を見つけた子どもみたいに、目を瞬かせた。
「どうも……僕は、君を勘違いしてたかもしれないな……。だけど、これじゃ、君の名誉が傷つく。結婚にも差し障るじゃないか……」
ランブラーが心配そうに瞳を陰らせるので、笑ってしまいそうになる。
「お従兄様ったら、わたくしの悪名をご存じでしょう? もうこれ以上、悪くなりようがありません。第一、結婚なんて、もとから諦めています。お従兄様は、そんなことより、まずこの濡れ衣を晴らすことをお考えください。わたくしも、できる限りお手伝いいたします」
そう囁いた途端、ランブラーは突然両手を広げ、わたしを包み込むようにぎゅっと抱擁した。
「……ありがとう……リリアーナ」
耳元で、小さくそっと囁く。
わたしは弱っている従兄の背中に手をまわし、励ますようにさすった。
不思議なことに、それは、とても暖かくて心地よい抱擁だった。
わたしをこんな風に抱き締めてくれる人は、今まで誰もいなかったことを思い出す。きっと、普通に家族というものに恵まれていたら、こんな風に抱き締めてもらえたのだろう。
――そう思わせる、優しい抱擁だった。
残念なことに、ランブラーとわたしは、血が繋がっていない。
それが何かの間違いで、本当の従妹であれたなら、どれほど良かっただろうとこの時、心からそう思った。
しばらくして抱擁を解くと、わたしたちは視線を合わせて、微笑み合って頷いた。
穏やかで満ち足りた気持ちで、ホールの方に視線を移すと、さっきと同じ『愕然』のまま、時は止まっていた。
ブランシュは、ますます真っ青になって唇を戦慄かせながら、
「お従兄様……よくも……妹を……」
と呟き、公爵と騎士達は、目を真ん丸に見開いて固まったままだった。
ウェイン卿に至っては、呆然自失といった体で青ざめ、今にも倒れそうなほど体調が悪そうだ。流石に心配になった。
「あの……、ウェイン卿? お顔の色が優れませんが、ご気分が――」
優れないのですか? と言おうとしたら、ウェイン卿は青い顔のまま、ふらふらと口を開く。
「……いや、……知りませんでした。てっきり……まさか、貴女が、伯爵と、」
驚いて、慌てて顔の前で手を振る。
「はい。それはもう、真っ赤な嘘ですから」
再び、ホールに『驚愕』の時間が数秒流れる。
「う、うそ? 嘘なんですか?」
最初に声を出したのは、アルフレッド・キャリエール卿である。
「はい、もちろん嘘です。あの場は、ああでも言わなければ収まらないと思ったものですから。皆様まで驚かせてしまって申し訳――」
謝ろうとしたら、がばっとブランシュがすっ飛んできて、首に抱きつかれる。
「よ、良かった! リリアーナ! わたくし、わたくし……もう少しで、お従兄さまを撃ち殺して、
…………ん? あれー?
美しくて優しくて可憐なブランシュの口から、そこはかとなく恐ろしい台詞が発せられたような気がした。そんなわけない。幻聴だわ。
ウェイン卿はやはり体調が優れないのだろう。大きく息を吐くと、脱力したようによろめき、壁に手をついて俯いてしまった。
ひととき、ホールにほっとしたような和やかな空気が流れる。
居並ぶ黒い騎士達は、良かった良かった、という風に、柔らかな微笑を浮かべて頷き合っている。
「……………」
同じく、良かった良かったという風に頷いていた公爵が、はた、と気付いたように、重い口を開いた。
「いや、第一騎士団を追い返しただけで、事態は何も好転していない。とにかく、ロンサール伯爵――」
ランブラーがまた詰め寄られそうなのを遮って、わたしは慌てて口を開く。
「あっ、あのう………その件に関しましては、わたくし、たぶん、真犯人を知っていると思うのです」
そして再び、その場に謎の沈黙が訪れた。
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