第43話 さようなら (レクター・ウェイン視点)
いなくなった女性達についてもっと詳しく聞きたいと言うと、ニコールが『フローラ』『粉粧楼』『夕霧亭』に付き添ってくれることになった。
「わたしが紹介します。じゃないと騎士様達だけじゃ、けんもほろろって感じだったでしょ?」
最初の印象とがらりと変わり、知慮に長けた目を細めて、にやりと笑う。
正直、とても助かる。
「令嬢はもうお帰りになってくださいね。これ以上は遅くなります。後のことは、我々三人でやっときます。ウェイン卿が伯爵邸まで送って行きますから」
キャリエールが言うと、そうそう、とオデイエも続けた。
「ついでに、ウェイン卿が伯爵邸の護衛騎士たちに地獄を見せますからね」
ふふふ、とまた琥珀の瞳を三日月型に細め、不穏な笑みを浮かべる。
去り際、リリアーナがニコールとペネループに近付き、
「また参ります」
と言った後、ニコールがリリアーナの手を取って、話しているのが聞こえた。
「お嬢さん、もう来てはいけませんよ。わたしたち、お嬢さんに甘えていました。本当は、最初にはっきり断るべきだったのに。
ここは、この世界の掃きだめの、汚いものを集めたようなところです。そこに、お嬢さんみたいな人が現れて、……こんなわたし達のことを、立派だって……子どもを愛して、育てて生きてるんだから、それはすごいことだって、言ってくださいました。
薄暗かった世界に、ぱっと光が差したみたいになって、この世界ももしかしたら、そんなに悪くないのかもって思わせてもらいました。
だけどやっぱり、お嬢さんはあっちの世界の人です。何か事情があるのかもしれないと思ってましたけど、今日の様子じゃ……心配ないみたいだし。ここは、……本当は、お嬢さんみたいな人が足を踏み入れちゃ、いけないところですから。
だからもう、これっきりです。ホープには、わたしから良く言って聞かせます。こっちのことは、心配しなくていいですからね。わたしたちは前の暮らしに戻るけど、お嬢さんのこと思い出して、そうやって、これからも生きていきますから」
リリアーナは、ニコールの話を黙って聞いていた。
やがて、そっと微笑んで、静かに腰を折り、頭を深く下げた。
「短い間でしたが、お世話になりました。お二人にいただいたご恩は、一生忘れません」
クルチザン地区に住まうニコールとペネループに向かってされたのは、以前、晩餐の席で公爵に向かって見せたのと変わりない、非の打ちどころのない、最上級の敬意が込められた礼だった。
リリアーナと別れの抱擁をするペネループが瞳に涙の膜を張り、ひっそりと言った。
「さようなら、お嬢さん、……優しい時間を、ありがとう」
§
「……………」
伯爵邸に戻る道中は、水を打ったように静かだった。
リリアーナは再び黒い外套のフードを目深にかぶり、何か考え込むように俯いている。
治安隊屯所で馬車を借りる、と言うと、
「馬鹿なんですか? 馬鹿でしょ?」
「絶対に歩いて送って下さい」
「俺もその方が良いと思う」
オデイエ、キャリエール、ラッドに矢継ぎ早に言われ、伯爵邸までの長い道のりを歩いて帰る羽目になった。
これまで、俺とは遠巻きに接するだけで、必要事項以外の会話を交わすこともなかったあいつらが最近やたら親し気に話しかけてくるのも気になるし、事件の進捗も気になるが、目下、最も気になるのは、今、隣を歩く伯爵令嬢の問題である。
――なぜ、いつも顔を隠しているのか?
――なぜ、伯爵邸であのような扱いを受けているのか?
訊きたいことは山ほどあったが、その沈み込んでいるような様子を見ると、どれも口に出せない。
黒いフードを目深に被り、俯き加減で隣を歩く彼女を見る。その表情は見えず、何を考えているのか、察しようもない。
――思えば、最初に馬車に乗せた時、何か話しかけられた。
後にも先にも、リリアーナが俺に興味らしきものを示したのは、あれっきりだった。
あの時、自分が取った態度を思い出す。
せめて今からでも答えられたらと、内容を思い出そうとしても、ちゃんと耳を傾けていなかった俺は、何を訊かれたのか思い出せない。
もう一度、訊いてはくれないかと、僅かな期待を込めてリリアーナの横顔を見やっても、こちらから話しかけた時の他、こちらを向きもしないその様子から、もう、今更なのだと分かった。
問いかければ、丁重に返される。怒っているわけではないのだろう。
――ただ、もう興味を失った、といったところだろうか?
どうしてか、嘆息が零れる。
そこで、ふと思う。
危険があるのは本当だ。あの屋敷の誰かが、妙な悪意を発している。公爵とブランシュの食事には、毒が入っていた。リリアーナの食事には入っていなかったが、だからと言って安全とは言えない。だいたい、ふらふらと独り歩きしていることも断じて看過できない。何かあってからでは遅いのだ。
(――しかし、問題がある。)
こっちは勝手に守るつもりでいるが、リリアーナはそれをどう思うだろう?
――もしかしなくとも、喜ばないのではないか?
彼女にしてみれば、俺はたまに屋敷に出入りする姉の婚約者のただの部下。
先日は送りたいと言われ仕方なく馬車に乗った。気を遣って話し掛けたらまさかの無視。
セシリアの家では、終始、やたらと睨みつけてきた上、腕を掴まれた。
――この上なく失礼で、感じの悪い男。
そんな奴が、護衛……つまり、側に付きたい、などと申し出たら……?
おそらく、こちらを向いて、そっと優しく微笑む。次に、丁寧に礼の言葉を述べてから、柔らかな言葉遣いで続ける。
――ですが、わたくしのことは、どうぞお気遣いありませんように。
……言われそうな気がする。ものすごく、言われそうな気がする。
――あのふわりとした微笑に向かって、反論できるか、と自問自答してみる。
最初に馬車に乗せた時、断られたが脅しつけるようにして、ほとんど無理やり乗せた。
今、同じことができるとは、到底思えない。
(……というか、よくあんな真似できたな、怖いもの知らずにも程があるだろう……?)
……次は、断られたら、そこで仕舞いだ。
(周到に準備し、完璧なタイミングを見計らって、言うしかない)
また、勝手に嘆息が落ちた。
(いっそ、詫びるか……?)
『先日は殺し屋の如く睨みつけ、失礼な態度を取り、申し訳ありませんでした。少々、誤解がありまして』
と言ってみたら、どうなるだろう? と考えてみる。
おそらく、優しく微笑んで許しの言葉をくれるだろう。
『いいえ。気にしておりません。ところで、誤解、と申しますと?』
『てっきり、貴女が毒を盛った犯人かと思い、暗殺するつもりでした』
『まあ! そうでしたか。誤解が解けて何よりです。これからは仲良くしてくださいね!』
………とは、なるまい。
――嫌われる。絶っ対に、もっと嫌われる。
思いっきり引かれ、盛大に怖がられ、最悪、泣かれる。
――泣かれるのは、駄目だ……!
数々の死線を潜り抜けさせた本能が、それだけは避けろ、と警鐘を鳴らしていた。
(駄目だ。泣かれるのだけは、何が何でも避けねばならない)
――知られたら、終わりだ。
『人見知りか何かじゃない?』とあの時、アリスタとかいうメイドに向かって言っていた。
――ならば、そういうことにしておく方が無難だ。
(今日この時から、俺は『人見知りの激しい騎士』ということにしておこう)
内心で、深く大きく、頷いた。
このまま、屋敷に着くまで沈黙が続くかと思われた時、リリアーナが口を開いた。
「……あのう、ウェイン卿……?」
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