第42話 消えた女 (レクター・ウェイン視点)

「そんな話は……誰もしていなかったが……」


 ペネループが皮肉をたっぷりと込めた笑い声を立てる。


「誰もしていなかった! へえ、びっくりしちゃう! マチルダの時もシャーリーの時も、メリルの時だって、あたしたち、治安隊の屯所に行って届けました。そしたら『酒場の女や娼婦のひとりやふたり、ちょっとした家出だろう。そんなことでいちいち来るな』って相手にしなかったのはそっちじゃないですか!?」


「ペネループ、やめなって」


 ニコールが落ち着かせるように声をかけたが、ペネループの剣幕は収まらない。瞳に悔し涙を滲ませ、棘のある声音で言い募る。


「それなのに、貴族のご婦人が事件に巻き込まれた途端に、治安兵士どころか今まで見たこともない数の騎士がやってきて、あれこれ偉そうに聞きだして! こっちだって、貴族のご婦人なんて、知ったこっちゃないんだから!!」


 この二週間余りの聞き込みで感じた、町全体から拒絶されているような、不穏な空気の正体が、すとん、と飲み込めた。


「……それは、申し訳なかった」


 頭を下げると、ペネループは、はっとしたように瞬き、俯いて毛先に指を絡ませながら、しどろもどろで口を開く。


「まあ、お嬢さんとお知り合いみたいだし、別に、もう、いいんですけど……」


 その顔はまだ幼く、三つの子を持つ母親には見えない。この地区にいる女達は、したたかで逞しいのだろうと勝手に想像していた。同情しても、きりがないことは承知していたが、哀れみが湧く。

 ニコールが涙目で俯くペネループを見やりながら、口を開く。


「それから、お嬢さんも何かおかしいから、とおっしゃって、治安隊の方に掛け合ってくださったんですが……」


『子どもに、希望ホープ、という名をつけるようなお母様が、子どもを残していくなどとは、どうしても思えません。どうか、探していただけませんか』

 と治安隊兵士に頼んだ。


 リリアーナの話し方と立ち居振る舞いから、どこかの令嬢だろうと察した兵士は、ニコールやペネループに対するほど、無礼な態度はとらなかったものの、探す相手が酒場で働く女と知るや、

『それじゃ、何かわかったら、連絡しますから。ここに連絡先書いといてください』

 とだけ言った。


 ――絶対に何もしていない、と確信できた。


「わかりました。その担当の治安兵士は、あたしが後で、責任もって抹殺しときます。社会的に……」


 ふふふ、とオデイエが不穏な笑い声をあげる。


「マチルダとシャーリーとメリル。その三人に、何か共通点はある? いなくなるまえに、何かあったとか」


 キャリエールに問われて、ニコールとペネループが揃って頷いた。


「その三人、ぱっと見じゃ見分けがつかないくらい、よく似ていました。ストロベリーブロンドの髪に、エメラルドグリーンの瞳。それから……そんな話、怪しいからやめとけって、言ったのに……」


 ペネループが唇をぎゅっと噛む。


「メリルはいなくなる前、ひどく喜んでいました。お金持ちの、すごくいい人と……知り合ったって」


『ちゃんとした仕事を紹介してくれるって言ってくれたの! これでやっと、ホープとここを抜け出して、ホープにちゃんとした暮らしをさせて、教育もつけてやれるわ。もしうまく行ったら、あの人にニコールとペネループのことも頼むからね。ほんとに、すごくいい人で、すごく気前がいいんだから!』


 そう言って出かけて、それっきり。

 帰らなかった。


「一度ここに落ちたら、もう戻れないってことは……メリルにだって、この地区で生きる者なら誰だって、わかってたはずなんですけどねぇ……」


 目を伏せたニコールが、そっと呟く。

 その口元には現実を受け入れ、諦観した微笑が浮かぶ。


 この国で私生児を産んだ女が辿る道は誰もが知っている。だから、女たちは子を捨てる。結果、教会の孤児院は誰の子とも知れぬ孤児たちで溢れ返っていた。


 人を使う立場の人間、つまり貴族は何よりも体面を重んじる。その貴族が私生児を産んだ女や、クルチザン地区に関わりのある者を雇うことは、決してない。


 クルチザン地区で私生児として育つホープ達もまた、この先、よほどのことがない限り、いっぱしの仕事に就き、輝かしい未来を行くことは難しい。それが、この国の現実だった。


 ホープの母親は、目の前に決して手の届かぬ夢をちらつかされ、騙されて連れ出されたのだろう。


 三週間……もし、本人の意思に反して連れ去られたのだとしたら、無事である可能性が、果たしてどれほどあるか……?


「その男に心当たりは? 人相だけでも」


 二人は首を横に振る。


 金持ちで人当たりの良い男……と聞いて、王宮の牢に入れられている男の顔が思い浮かぶ。


「それから、この女性には見覚えがないか?」


 ラッドが胸ポケットからマルラン男爵夫人の写真を取り出し、二人に見せた。

 ニコールとペネループが覗き込んで、静かに首を横に振る。


 ――マルラン男爵夫人は亜麻色の髪と瞳だった。


 マルラン男爵夫人の事件とこの失踪事件には、何か関わりがあるのだろうか?



 謎は深まるばかりで、先に進んでいるのかどうかもわからない。



 五里霧中の不透明な先行きに、嘆息が落ちる。



 ――この時はまさか、この事件がたった一日で急転直下の解決に導かれることになろうとは、知る由もなかった。




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