第34話 春のピクニック

「さ、リリアーナ様、ここならもう誰もいませんよ!」


「アリスタったら、ほんとに面白い子ね」


 暑苦しいフードを外すと、額と首筋にひんやりと春の爽やかな風を感じる。


 アリスタに笑いかけると、瞳を煌めかせ、わたしを見つめていた。


 昨日、怪我をしているのだから、入浴の準備をどうしても手伝いたいと懇願され、迷った末、帽子を取って顔を見せた。

 この顔を初めて目にしたアリスタは、目を見開いて口を開け、放心したようにしばらく黙っていた。


 そして、うわあ、まあ、嘘でしょ、信じられない、とかなんとか呟いてから、これからはフードを外して顔を見せていてほしい、それが無理なら、せめて二人だけの時には、フードもベールも被らないで、顔を見せていてほしい、と手を握り合わせて懇願されたのである。


 父からも忌み嫌われた、不吉で醜い顔を見せてほしいと言うなんて、なんて風変わりな、と驚き、


『一体、何故……?』


 と思わず疑問が口をついて出ると、アリスタはもっとびっくりした顔をして、言った。


『何故って……、あたしがリリアーナ様のお顔を見ていたいからです!』


 アリスタがそう言うのなら、特に断る必要もないように思えた。

 決して誰にも、この髪と瞳の話をしない約束もしてくれたので、今後はそうすることで落ち着いたのである。




 今日は天気が良いので、庭の木立の奥にある東屋で昼食にしませんか? とアリスタがバスケットにサンドイッチや果物を詰めて持ってきてくれた。

 十歳の時、それまで親切にしてくれていた最後の使用人が辞めてしまって以降、ほとんどずっとスープとパンだけだったわたしの食事は、アリスタのお陰で劇的に改善されたと言って良いだろう。


「それにしても、怪我が大したことなくて良かったです。腫れも冷やしたらすぐに引いたし」


「ありがとう。アリスタのお陰よ」


 昨日、アリスタは、とても甲斐甲斐しく世話をしてくれた。

 わたしの為に湯を沸かして風呂に入れさせたあと、腕の傷を消毒して、ガーゼで押さえてくれた。

 汚れたドレスを自分で洗濯すると言っても、


『これはわたしの仕事ですから! リリアーナ様は休んでいてください!』


 と頑なに譲らなかった。


 お陰で、昨夜はぐっすり眠れて、今朝はとても気分が良かった。

 例の公爵とブランシュの食事に毒が入っていた事件のことを思うと気持ちは沈むけれど、今日はウェイン卿をはじめとする、ドブネズミ退治を命じられている騎士達の姿も見かけない。


 できるなら、昨日のあれで、うやむやにならないだろうか。騎士達だって、忙しい身の上だろう。わたしのことなど、そろそろどうでも良いと思ってくれても良さそうに思う。


 ……いや、そんな都合の良い願い、叶うはずがない。油断禁物である。今日だって、庭にいる間はアリスタと決して離れるまい。



 思わず溜め息をつきそうになると、アリスタが子リスを思わせるぱっちりした可愛い目を見開いて、ぷりぷりと血色の良い頬を膨らませ、怒り心頭の様子で口を開く。


「それにしても、ノワゼット公爵も酷いですよね! ブランシュ様が大事だか何だか知りませんが、リリアーナ様にも、ちゃんと守ってくれる騎士を付けてくれなくちゃ! まさか、昨日、酷いことされたんじゃないですよね?」


 アリスタは昨日からずっとこの調子で、『リリアーナ様に一筋でも傷を付けるなんて、騎士失格です!』と、騎士を見かけたら噛み付きそうな勢いで言い続けている。


 優しい子だな、と思う。わたしを心配してくれているのだろう。


『やだ、アリスタったら。あの四人は本当は護衛じゃなくて、ドブネズミを退治しようとしている刺客なのよ。わたしのことを守ってくれる筈ないでしょう?』


 とは言えないので、適当に話を合わせておく。


「何もされていないわよ。公爵様はお姉様をとても大事に思ってらっしゃるのよ。それって、すごくいいことだわ」


 アリスタは我慢できない、と言った風に、ポニーテールに束ねた髪をふわふわと振った。


「リリアーナ様は、ちょっと人が良すぎます! あの人たち、感じ悪くないですか?

 ブランシュ様付きの騎士達はニコニコしてて愛想がいいけど、リリアーナ様付きの騎士はいっつも殺し屋みたいにむすっとして不愛想。

 それで有能ならまだしも、リリアーナ様に怪我させるし。何なんでしょう? あれ?」


『ブランシュの騎士は護衛だけど、こっちはホントに殺し屋だもの、仕方ないわ。あの人たちだって、わたし相手じゃなければ、良い人なんだと思うわよ』


 とウェイン卿を擁護して差し上げたくなったが、もちろん言えないので、また適当に相槌を打つ。

 

「そうかしらね、ただの人見知りか何かじゃない? それより、アリスタの今日の髪型、とても可愛いわね。よく似合ってるわ」


 アリスタは、ぽっと顔を赤らめ、恥ずかしそうに笑う。そうですかー? などと言いながら、しばらく頭を可愛らしく振っていたが、ぜんぜん言い足りない、といった様子で、再び話し出した。


「……だけど、よりによって、あの四人じゃなくたって! キャリエール卿って、あの恐ろしい事件を起こしたキャリエール男爵の次男だっていうじゃないですか。オデイエ卿のルナ族特有の髪も、ラッド卿の異国の肌もぞっとするし、中でもあの北方の赤い悪魔の生き残りって言われてるウェイン卿の目ときたら――」


「アリスタ!」


 アリスタは、はっとしたようにこちらを見た。

 どういう訳か、胸に悲しみがこみあげて、思わず涙声になってしまう。


「そんな、そんなこと、あなたの口から言わないで。わたしたちが今ここで平和に暮らせているのは、騎士の方々が命を懸けてくださったお陰なのよ。キャリエール卿のお父様がなさったことはキャリエール卿とは関係ないし、オデイエ卿がルナ族の方だから、ラッド卿が異国の方だから、なんだって言うの。ウェイン卿の赤い瞳だって、わたしはとても綺麗だと思うわ」


 びっくりしたように目を見開いたアリスタは、おどおどと口を開く。


「ごめんなさい……リリアーナ様、あたし……、」


 項垂れて涙を浮かべるアリスタを見て、はっと我に返った。


「あの……わたしこそ、わたしを心配して言ってくれたのに、ごめんなさい。だけど、アリスタは、わたしが今まで出会った人の中で、一番優しくて素敵な子だわ。わたしのせいで、アリスタの綺麗な心を曇らせないでほしくて……」


 きっと、本気で言ったことじゃない。


 優しいアリスタのことだから、わたしを元気付けようとして、軽口を叩いただだった。

 それなのに、偉そうなことを言ってしまって、たまらなく後ろめたい気持ちになる。


「リリアーナ様……! あたし、これから気を付けます!」


 顔を輝かせ、うるうると瞳を潤ませながら、続ける。


「でも、そうですよね! あの人たち、見た目はイケメンですもんね!」


「そうね」


 ケロリと元気になったアリスタを見て、心からほっとした。


 アリスタといると、楽しい。もし妹がいたなら、こんな感じだろうか。


「リリアーナ様は、あの四人の中では誰が一番かっこいいと思いますか? あたしはやっぱりラッド卿かなー。包容力ありそうなとこがいいですよねー」


「そうね、わたしはやっぱり……オデイエ卿かしらね。あの方、『フュリュイテ物語』に出てくるサラマンドラの女戦士みたいで素敵じゃない?」


「あー、わかります!『わたしの炎の前に、ひざまずきなさい』って台詞が似合いそうですよね!

 ちなみに、制服はどの騎士団がいいと思います? 第二騎士団の黒もいいですけど、第一騎士団の白も爽やか萌えですし、一番人気の第三騎士団の浅葱色も……」



 §



「…………なんか、出そびれましたね」


 キャリエールが、ぽつりと呟いた。

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