第33話 不在(レクター・ウェイン視点)

 ロンサール伯爵邸の玄関ホール。出迎えたロウブリッター執事にリリアーナへの取次ぎを願い出た。


「お呼びして参りますので、どうぞこちらでお待ちください」


 庭に面したラウンジに通されたものの、一向に取次ぎの使用人は戻ってこず、苛立つ気持ちを抑えながら、老執事が手慣れた手つきで淹れた紅茶のカップに口を付ける。


 ――何故、これほど時間がかかる?


 ――用意に手間取っているんだろうか?



 ……それなら良いが、もしかしたら、昨日の傷が痛み、寝付いているんじゃないか?


 あのか細い令嬢にとって、昨日のあれは相当ショックな出来事だったはずだ。皿やらフォークやら、その気になれば、容易に払い落とせた。背に庇うこともできた。


 目を瞑るたび、白い肌にくっきりと赤い線を引いた傷が頭を掠め、気が滅入った。


 ロウブリッター執事の一分の隙もない、執事の鑑のような所作を眺める。


「……ロウブリッターと言ったか? ここでの勤めは、長いのか?」


 七十代に手が届くのではなかろうかという老執事は、背筋をピンと伸ばし、その眉と同じく真っ白な口髭をピクリとも動かさずに答える。


「いえ、わたくしがこちらに参りましてから、一年程でございます。前任者の体調が優れず、故郷に帰ることになりましたので、伯爵家の所領のひとつであるストランドの邸宅で、長年、家令を務めさせていただいておりましたわたくしが、代わりとして呼ばれた次第でございます」


「なるほど……。君は、レディ・リリアーナが屋根裏に住むようになった事情を知っているのか?」


 ラッドが尋ねた。

 執事は数秒、沈黙したが、表情はまったく変えないままだった。


「わたくしが前任者から引き継いだ範囲でなら、存じております。レディ・リリアーナは幼い頃に重い病の床に就かれて以来、使用人のみならず、御父上や姉君とも距離をお取りになるようになり、お一人でいらっしゃることを好まれるようになられた。と聞いております」


 これまで聞いていた話と、だいたい同じ内容だった。


「ところで、執事は、公爵とレディ・ブランシュの食事に毒を入れたのは、誰だと思う?」


 キャリエールが朗かに尋ねる。


 おそらく、以前にも他の騎士が尋ねただろうが、その時とは、狙いが異なる。

 ロウブリッター執事は、考えるように少し黙った後、執事の鑑のごとき返事をした。


「以前にもお答え致しました通り、わたくしには、見当もつかぬことでございます」


「そうか……わかった。もう下がっていい。ありがとう」


 ロウブリッター執事が完璧な角度の礼をして退出した後すぐ、ほとんど入れ替わるように、取次ぎのメイドが恐る恐る、という体で入ってきた。


「申し訳ございません。リリアーナ様は、お部屋においでになりませんでした……」


「どこかにお出かけか? 戻る時間は?」


「いえ……申し訳ございません。わかりません……」



 ――まさか、また一人でどこかに出かけたのか?

 昨日の怪我は大丈夫だったのか? いつも一人で出歩いているようだが、危ない目に遭ったりしていないだろうな……。


 同じことを考えているのか、厳しい表情を浮かべる騎士達の顔色をハラハラと見比べながら、メイドが怯えた表情を浮かべている。


「じゃ、しょうがないね。……ところで、君は、公爵とレディ・ブランシュの食事に毒を入れたのは、誰だと思う?」


 キャリエールが明るく笑って尋ねると、メイドはほっとしたような顔をした。


 言いたいが、言っても良いかどうか、迷っているような顔をしながら、もじもじと俯く。


「知ってることがあったら、教えてもらえると助かる。心配しなくても大丈夫、何を聞いても、ここだけの話にするよ。」


 キャリエールの一見、人が良さそうに見えるその顔は、こういった場面で役立つ。

 己の事は別にして、この三人の中で、実際の腹の中は最も黒いように思う。


 だが、その優し気に整った顔でにっこり笑って話しかけると、大抵の者が警戒を解き、ぺらぺらと喋り出した。


「……あのう、……わたくしは、……リリアーナ様だと思います」


「へえ……、どうしてそう思うの?」


 キャリエールの薄い茶色の瞳の奥が冷たく光ったことには気付かぬまま、メイドは話し始めた。


「だって……、みんな、そう言ってます。リリアーナ様の顔はそれはそれは醜くって、そのせいでお美しいブランシュ様を妬んでるんです。

 それに、屋根裏部屋に籠もって、可哀そうなウサギや猫に毒を飲ませて実験したり、町から若い女の子を攫ってきて、生き血を飲んだりしてるんですよ。

 あたしたち、何かされるんじゃないかって、ほんとに怖くって……。だから、あたしたちみーんな、あの人とは口も利かないし、近付かないようにしてるんです」


 メイドは愉快そうに顔を輝かせながら、そう言った。


「なるほどねぇ……、それで、使用人の中に、実際にレディ・リリアーナがそれをしてるところを見たり、何か言われたり、されたりした人はいるの?」


 メイドは考えた後、言いにくそうに口を開いた。


「……いえ、それは、知りません。だけど、みんな、そう言ってるから……。

 リリアーナ様の部屋に行くのは、アリスタだけだし……。あの子は何も言わないけど、だけど、あの子、ちょっと変わってて、浮いてるから」


「変わってる?」


「はい。あの子、ほんとだったら、貴族様のお屋敷で働けるような子じゃないんです。だって……あの、コンフリー通り出身の子なんですよ?……ほら、おわかりでしょう?」


 メイドは声を潜めて、嬉しそうに目を煌めかせた。

 キャリエールの瞳の奥は、より冷ややかに光っていたが、その顔は笑みを浮かべたままだった。


「なるほどね、よく分かるよ。ところで、この屋敷で、何か変わったことって起きてないかな? どんな小さなことでもいいんだ。もしあったら、教えてくれるかい?」


「……変わったこと、ですか?……そうですね、あのう……」


 メイドはもじもじとまた俯いた後、口を開いた。


「あの、ほんとに取るに足らないような、些細なことなんですけど、……二年くらい前、応接室の暖炉の上に置いてあった、銀細工の小物入れが、無くなりました」


 よくあるそういった類の話か、という落胆を顏に出さず、キャリエールが頷いて先を続けさせる。


「珍しくて高価なものだったから、皆で探し回ったんですけど、結局、見つかりませんでした。

 ……そしたら、翌朝、メイド仲間の一人が、名乗り出たんです。わたしが盗りました、って言って」


「へえ……」


 話の雲行きが変わったことに気付き、顔を上げて続きを待つ。


「それで、侍女頭と執事……あの、前の執事ですけど、その二人にこっぴどく叱られていました。それから、何で自分から名乗り出る気になったんだって訊かれたら、手紙が届いたって言うんです」


「手紙?」


「はい。……それが、わたしも読ませてもらいましたが、何て言うか、読むと胸の辺りがふわって温かくなるような手紙で……

『貴女がしたことは、病気の弟さんの為なのだから、告白したって誰も責めないだろう。何故なら、侍女長も執事も、普段は厳しいけれども、その実、心の底ではメイドたちのことを我が子のように思って心配しているのだから。

 だから、名乗り出て、全てを包み隠さず話し、あの二人を頼った方がきっと貴女の為になると思う。

 その誠実な心をこんな風に汚して、一生、思い悩むようなことにならないだろうかと心配している。

 けれど、もし貴女が告白しない道を選んだなら、私もこのことは胸にしまって、生涯、口にしないと誓うから、安心してほしい。

 何と言っても、ただの置物と貴女の弟さん、どちらが大切かと問われたら、貴女の弟さんであることは、間違いないのだから。』

 ……みたいなことが書いてありました」


「へえ……」


「それで、その子は名乗り出ることにしたらしいんです。

 侍女長と執事もその手紙を読んで、初めは渋々って感じでしたけど、品物も返したんだし、今回だけは大目に見る、ってことになりました。

 それで、執事に給金を前借りして、弟さんは元気になりました。

 しばらくして、その子は辞めましたけど、働き者でしたから、その時にも退職金を弾んでもらって、今は地元の幼馴染と結婚して、幸せにやってます。

 ……だけど、変なのは、そんな手紙を書いたのが誰なのか、ぜんぜんわからないってことなんです」


「なるほどね……」


「他にも色々あって――」


 ―― 一昨年の春頃、あたし、同僚のリジーと大喧嘩をして、ずっと口を利かないことがありました。

 それで、使用人部屋の空気が悪いから、侍女頭はあたし達のどっちかを辞めさせるつもりだったらしいんです。

 ある朝、ドアの下にカードと白いビオラの花が一輪、置いてありました。カードには『友情に』って書いてあって、それで、あたしたち、仲直りしました。

 話をしたら、あの……使用人仲間のベンジャミンのことで、ちょっとした誤解があっただけ、ってことがわかって。

 変なのは、リジーの部屋にもその朝、同じカードが挟んであったんですけど、あたしたち二人とも、そんなカード、書いてないんです。

 結局、メイド仲間の誰かが気を利かせてくれたんだろう、ってことになりました。

 あたし達、お礼を言おうと思って、みんなに訊きました。

 だけど、誰も知らないって言うんですよ。不思議でしょう?



 ―― それから、ブランシュ様の四頭立ての馬車を玄関のところに停めてたら、御者がちょっと離れた隙に、馬が一頭、外されて別のところに繋がれてたことがありました。

 御者はその時、誰の悪戯だ! って言ってすっごく怒ってたんですけど、よく様子を見たら、その馬、その日は具合が悪かったみたいなんです。

 これも、誰に聞いても皆、知らないって言いました。


『……他にも、ここでは言い切れないくらい、失くした物が勝手に戻って来るとか、誰にも言えずに悩んでることがあると、励ますように花とカードがドアの下に置いてあったりとか、ちょっとした不思議なことが沢山あって、この屋敷には幸せを運ぶ妖精がいるんじゃないかって言ってる子もいるくらいで。

 この屋敷で働くと幸せになれる、ってジンクスまであって、ここで働けるのって、すごくラッキーって言われてるんです。

 屋根裏の魔……リリアーナ様さえいなかったら、ほんと、完璧なのにって、みんな言ってます」


 そう言って、メイドはそのあどけない顔に、誇らしげな笑みを浮かべた。



「……わかった。……君の話、すごく役に立ったよ。ありがとう」


 キャリエールがそう言うと、メイドは満足そうに微笑んでから、ぺこりと頭を下げ、足早に部屋を出て行った。


「…………」



 四人とも、考え込むように押し黙ったままだった。



 ――誰が、毒を入れたと思う?



 つい一週間前にも、その答えを、使用人たちから聞いた。



 ――それは、リリアーナ様です。

 


 殆どの使用人が答えた内容は、たった今聞いた話と相違なく、俺達はそれを真に受けた。


 これまで見知った貴族達の多くは、使用人を人間扱いしていなかった。


 屋敷の使用人にこれほど嫌われるからには、リリアーナもまた、常日頃から使用人に対して非道な仕打ちを繰り返しているに違いない、そう思い込んだ。


 ところが、昨日の様子や今の話を聞く限り、完全に逆である。

 胸に苦いものがこみ上げ、言い様のない後悔が立つ。


 キャリエールが一番先に口を開いた。


「それで……どうします?」


「……とりあえず、次に会ったら、謝りましょう」


 オデイエが沈痛な面持ちで呟いた。


「そうだな……。はっきり言って、これまでの態度は感じが悪すぎた。蛇蝎のごとく嫌われていると思っておいて、間違いないだろう」


 ラッドの言葉に全員が眉を顰め、青ざめながらコクリと頷いた。


 しょうがない、一旦帰って、また来ましょうか、とキャリエールが立ち上がろうとしたところで、オデイエが窓の外を指す。


「ねえ、あれ、噂をすれば……お目当ての令嬢じゃない?」


 窓を覗くと、昨日のアリスタとかいうメイドと連れ立って、リリアーナらしき黒ずくめのフードを被った人物が、庭の木立の方に向かって歩いていた。



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