第32話 伯爵邸の謎 (レクター・ウェイン視点)

『あの人、まるで……天使みたいだった。声とか、顔もだけど、雰囲気が……。

 あの人が、わたしに向かって、クリスとエバとトラヴィスのことを『とても健やかにすくすくと成長されていますね』って言ってくれた時、ロイが、そう言ってくれた気がしたわ。よくやった、よく頑張ったな、って言ってもらえた気がして……。

 ロイが、生きろって、言うために天国から遣わしてくれたのかもしれない……そう思った……』


 セシリアは、ぼんやりと遠い目をして呟いた。

 その目の淵から、涙がぽろりと零れ落ちた。

 

 ――それから、あの人、腕を怪我してた。あの人のこと、傷つけて、ごめんなさい。皆は、あの人のこと守ってたんでしょう?


 ラッドと俺の沈黙を、無言の肯定だと受け取った様子で、セシリアは続けた。


 ――……それって、すごく、いい仕事ね……。ロイがいた頃は、戦争の準備ばっかりだったけど、そんな仕事も、するようになったのね……。

 あの頃……、ロイは家に帰ってきて、たまにだけど、『今日はちょっと、嫌な仕事だった。』って言って、無理して笑ってた。

 だけど、……あんな人を守れるって、本当に、すごく、いい仕事だわ……。

 ロイが生きてたら、喜んだでしょうねぇ……。



 そう言って、ほんの少し、微笑んだ。


 セシリアの瞳は、白い天井を向いたまま、そこに懐かしいものを見るかのように、澄んでいた。



 §



「セシリアは、しばらく治療を受けることになると思う。心の方も含めて。すぐに子供達と暮らせるようにするのは難しいが、時間をかけて治療をして、いつかまた一緒に暮らせるようになるまで、子供達は公爵邸で面倒をみてもらえることになった。

 公爵邸なら、俺たちもいつでもクリスたちに会えるしな」


 ラッドがそう言うと、オデイエとキャリエールは、ほっとした表情をみせた。


「それにしても……まさか、セシリアがなぁ……。後から考えたら、子どもたちは元気がなかったし、セシリアはちょっと陽気過ぎたし、様子がおかしかった。あの時は、令嬢の方に集中してたからなぁ……」


 落ち込んだように呟くキャリエールに、頷いて口を開いた。


「それは、俺も同じだ。あの家に着いてから、何度か違和感は覚えたが、まさか殺鼠剤とは……思いもしなかった」


 あの時、もっと早く気付いていれば。

 白い腕に残る赤い傷跡が瞼の裏に浮かぶ。

 隣に座るラッドも口を開いた。


「俺だって同じだ。あの状況で、セシリアがあれほど追い詰められていることに気付いていたのは、あの令嬢だけだろう。何にしても、命の恩人であることは変わりない」


「そうよね……。あの令嬢、毒を疑ってたのに、お茶をわたし達より先に飲んでた。クッキーを自分が先に食べてもいいでしょうか? って言ってたけど、あの時、セシリアがはい、どうぞ、って渡してたら、自分が毒見するつもりだったのよね……?」


 食卓が、しんと静まる。


 まさか、本気で口にするつもりだったのだろうか? 毒入りクッキーを口にするリリアーナの姿など、想像したくもなくて、思わず頭を振る。


 だが、あの時もし、リリアーナがセシリアの邪魔をしていなければ――


 セシリアと子どもたちは、真っ先にそれを食べたに違いない。騎士の一人か二人も、口にしただろうか?

 先に食べた者の様子がおかしいことに気付き、まだ手を付けていなかった者は驚いて立ち上がる。


 もうその時には、毒を飲んだ者たちは苦しみ出し、残った者だけではどうしようもできない。


 ――医者を呼び、戻った頃には、手遅れだったかもしれない。



「それにしてもさ、見た……?」


「見たわよ……伯爵令嬢のあの顔……! まるで……」


 声を潜めるキャリエールと、オデイエが顔を見合わせる。


「……天使みたいだった」


 オデイエが、うっとりと息を吐きながら、昨夜のセシリアと全く同じ言葉を口にした。



「…………」


 しばらく、全員が考え込むように黙る。しばしの沈黙の後、キャリエールが眉を顰めながら、口を開く。


「……俺は……、はっきり言って、ぶったまげました! 本っ当にびっくりしました! セシリアに色々言われたのもそれなりにショックでしたが、それが吹っ飛ぶくらいの衝撃でした。初めはセシリアに気を取られて、ちゃんと見てませんでしたが、落ち着いてから見たら、そこに清楚で優し気な絶世の美女がいたんですよ。え? 誰? と思いましたよ」


「わたしも……目を疑ったわ。醜くて悪意の塊だって、どっからの情報!? 最初に言い出したの誰!? 完っ全に騙された! 女でも見惚れるくらいのすんごい正統派美人じゃない!」


「確かに、あれは驚いた。子どもの頃、子犬だと思って飼ってたら、狼だったことがあったが、それに勝る驚きだった」


 ラッドが頷き、よくわからない例えを言った。


「でも、あれほどの美人なのに、なんで隠してるんですかね? 確かにレディ・ブランシュもめちゃくちゃ美人ですけど、タイプは違えど、それに負けない美貌でしたよ。あの顔見せたら、嫉妬深い魔女だとかいう馬鹿馬鹿しい噂、雲散霧消うんさんむしょうするでしょう?」


「それはわたしも考えたわ。だいたい、『美人が、化粧を取ったら不美人でした』はよくあるけど、その逆ってどういうことかしら?

 何のメリットがあるのか、さっぱりわからない。何か、やむにやまれぬ事情があるんじゃない?」


「同性からの嫉妬に困って、とかかな?」


「馬鹿ねー、アルは! 女の嫉妬ってのは、自分とそこそこ似てるタイプの女に向くものなの! あそこまで超越した美人は、嫉妬心なんか抱かれないもんよ。そりゃ、たまには例外もあるだろうけどさ、女も男も関係なく、誰だって美しいものが好きでしょ?……ぱっと思いつくとこだと、タチの悪い男に付き纏われて、隠れる為に仕方なく、とか?」


「なるほど、有り得るな……」


 ラッドも頷く。

 リリアーナが得体の知れない男に付き纏われているところを想像すると、胸にもやが立ち込めたように、気分が悪くなった。


「良かったね。ルイーズはストーカーとかそんな心配なくて……あいてっ!」


 キャリエールの頭をすぱーんと叩きながら、


「ま、何にしても、本人に聞くのが一番早いんじゃない?」


 オデイエがあっさり言った。


「まさかこの期に及んで、あの令嬢が毒を盛ったなんて、誰も思ってないでしょ? 当ては完全に外れたけど、どっちにしたって、犯人はまだあの屋敷にいるわけだから、犯人捜しは続けろって言われるだろうし。あの令嬢にはまだ聞きたいこともあるし、昨日の怪我の様子も気になるしね。」


 頷きながら、抱いていた疑問を問いかけた。


「……あの屋敷、何か、妙じゃないか?」


 三人がこっちを向き、キャリエールが口を開いた。


「妙って、何がですか?」


 ――抑えようとして抑えきれず、思わず漏れ出してしまった、そんな悪意。


 ほんの微かな、しかし、殺気すら含んだ濃密な悪意を、何度か、あの屋敷で感じたことがある。しかし、辺りに神経を研ぎ澄ませて探っても、すぐさま巧妙にかき消され、誰から発されたものかはわからない。


 てっきり、滅多に姿を見せないが、巷間で魔女だと囁かれ、悪い噂しか耳にしない、伯爵邸の屋根裏に潜み暮らす、リリアーナのものだと思い込んでいた。


 しかし、先日、図書館に行くために馬車に乗せた時、違和感があった。彼女からは何の力も感じなかったし、気配を操れそうですらなかった。それどころか、ほっそりとして華奢なその姿は、弱々しく非力にすら見えた。


 ――そして昨日、リリアーナではない、と確信した。


 ――それなら、まだ他にいるのだ。


(……別の、敵が)


 そいつが、毒を入れたのだろうか? 

 リリアーナにだけ毒を盛らなかったのは、彼女に罪を着せるためだろうか?


 昨日、リリアーナを連れ帰った時に玄関にいたメイド達の反応も気になった。


 ああいう場合、内心はどうでも、使用人である以上、駆け寄ってくるものだろう。


 ――なぜ、リリアーナは、他の者たちと離れて、屋根裏で暮らしているんだ?


 ――なぜ、使用人にまで、あんな態度を取られている?



 以前、目にした、ぐっしょり雨に濡れて階段を上ろうとする彼女の姿が脳裏を過る。


 伯爵家の令嬢が、共の者も連れずに出掛け、雨に濡れるものだろうか?

 顔色が悪く、具合が悪そうだった。

 あの時も、誰にも顧みられず、一人だったのか……?


「レディ・ブランシュや使用人の話だと、レディ・リリアーナは病気を苦にして屋根裏に引きこもり、それ以来、人を嫌って出てこない。という話だったな」


「……そっちが、嘘ってことですかね?」


「わからない……。それから、現ロンサール伯爵は、王宮政務官のランブラー・ロンサールだろう? 王宮からさほど遠くもないのに、なんだって、あれほど屋敷に寄り付かないんだ?」




 

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