第35話 陽だまり(レクター・ウェイン視点)

 伯爵邸庭園内の木立の奥に進む、リリアーナとアリスタとかいうメイドの姿を遠目に見つけ、話を聞きに行こう、と席を立った。


 柔らかな土を踏みしめ、道なき木立の中を抜ける。小径の入り口まで回り道して後を追うより、この方が近道だ。

 ふいに前方の木々の間に二人の姿が目に入った。


 木立の中では、リリアーナは先ほどまで被っていたフードを下ろし、腰のあたりまでまである艶やかな黒髪を後ろで緩く束ねていた。絹糸のような髪が春風に吹かれ、さらさらと揺れている。


 二人ともバスケットを持ち、楽しそうに何か話しながら歩いている。


 不思議なことに、春先の柔らかな木漏れ日を浴びて、リリアーナの周りにだけ光が集まっているように見えた。


「………なくて良かったです。腫れも冷やしたらすぐに引いたし」


「ありがとう。アリスタのお陰よ」


 二人の声が漏れ聞こえてくる。怪我が大したことなかったと聞こえ、ほっと胸のつかえが下りた。


「それにしても、ノワゼット公爵も酷いですよね! ブランシュ様が大事だか何だか知りませんが、リリアーナ様にも、ちゃんと守ってくれる騎士を付けてくれなくちゃ! まさか、昨日、酷いことされたんじゃないですよね?」


 声を掛けるつもりが、間の悪いことに、話題が此方こちらに及んできた。ぴたり、と四人ともほぼ同時に歩みを止め、気配を消す。


「何もされていないわよ。公爵様はお姉様をとても大事に思ってらっしゃるのよ。それって、すごくいいことだわ」


 リリアーナは、優しい微笑を浮かべて言う。

 その表情からは、真実、そう思っていることが察せられた。姉の幸せを妬んでいるという噂は、やはり間違いだった。


「リリアーナ様は、ちょっと人が良すぎます! あの人たち、感じ悪くないですか?

 ブランシュ様付きの騎士達はニコニコしてて愛想がいいけど、リリアーナ様付きの騎士はいっつも殺し屋みたいにむすっとして不愛想。それで有能ならまだしも、リリアーナ様に怪我させるし。何なんでしょう? あれ?」

 

 ……全くもってその通り、であった。


 反論の余地もないメイドの言い分に、額を押さえて呻きたくなったが、今気付かれたら、ばつの悪いこと極まりない。


 耐えて気配を消し続ける。


「ホント感じ悪いわよねー」とでも言われるのではと身構えたが、リリアーナは穏やかな声で答えた。

 

「そうかしらね、ただの人見知りか何かじゃない? それより、アリスタの今日の髪型、とても可愛いわね。よく似合ってるわ」


 褒められたメイドは、顔を赤らめ嬉しそうにしつつも、まだ言い足りない、という風に口を開く。


「……だけど、よりによって、あの四人じゃなくたって! キャリエール卿って、あの恐ろしい事件を起こしたキャリエール男爵の次男だっていうじゃないですか。オデイエ卿のルナ族特有の髪も、ラッド卿の異国の肌もぞっとするし、中でもあの北方の赤い悪魔の生き残りって言われてるウェイン卿の目ときたら――」


 メイドの声を聞きながら、昨日、セシリアが発した言葉をふと思い起こす。

 『悪魔』『気味が悪い』『呪われてる』『死ねばいい』『お前さえいなければ』

 いつ言われ始めたのか、自分でもわからないくらい昔から、ずっと言われ続けていた。


『お前のその目は、生まれついての、人殺しの目だ』

 

 血縁上、『家族』に分類される者達は、そう言った。

 昨日のセシリアと同じように、血走った眼を見開いて、顔を歪め、獣のように口から泡を飛ばしながら、罵っていた人々の顔が脳裏に浮かぶ。ごく幼い頃は、その度に苦しみ、この呪われた赤い目をくりぬいてしまおうか、とまで思い詰めたこともあった。


 それもそのうち慣れて、何も感じなくなった。昨日は久しぶりにセシリアから言われた。驚きはしたが、やはり堪えることはなかった。


 ただ、またか、と思っただけだ。


「アリスタ!」


 リリアーナの悲しげな声に、思考の底から呼び戻され、はっとして顔を上げる。


「そんな、そんなこと、あなたの口から言わないで。わたしたちが今ここで平和に暮らせているのは、騎士の方々が命を懸けてくださったお陰なのよ。キャリエール卿のお父様がなさったことはキャリエール卿とは関係ないし、オデイエ卿がルナ族の方だから、ラッド卿が異国の方だから、なんだって言うの。ウェイン卿の赤い瞳だって、わたしはとても綺麗だと思うわ」


 今にも泣きだしそうな、その声を聴いたとたん、心臓が射抜かれたかと思うほどの衝撃が、体を駆け抜けた。


「ごめんなさい……リリアーナ様、あたし……、」


 肩を落とし、沈んだ声を出すメイドに、リリアーナが優しく諭すように言う。


「あの……わたしこそ、わたしを心配して言ってくれたのに、ごめんなさい。だけど、アリスタは、わたしが今まで出会った人の中で、一番優しくて素敵な子だわ。わたしのせいで、アリスタの綺麗な心を曇らせないでほしくて……」


「リリアーナ様……! あたし、これから気を付けます! でも、そうですよね。あの人たち、見た目はイケメンですもんね」


 メイドは、しばしリリアーナを見惚れるように見つめたかと思うと、あっけらかんと明るい声を出した。


「そうね」


 メイドの無邪気さが可笑しかったのか、リリアーナはふわりと笑った。その途端、どういう訳か、くらりと目眩がした。


「リリアーナ様は、あの中では誰が一番かっこいいと思いますか? あたしはやっぱりラッド卿かなー。包容力ありそうなとこがいいですよね」


 ……さっきまで悪口を言っていたのに、現金なメイドである。


 しかし、表情と声の様子からは、リリアーナに心酔していることが見て取れた。ただ屈託がないだけで、悪い人間ではないのだろう。


 この妙な空気漂う屋敷で、誰にも顧みられず、一人きりなのかと思っていた。


 ――どうやら、この屋敷に最低でも一人は、リリアーナの味方がいるらしい。



「そうねえ、わたしはやっぱり……オデイエ卿かしらね。あの方、『フリュイテ物語』に出てくるサラマンドラの女戦士みたいで素敵じゃない?」


「あー、わかります!『わたしの炎の前に、ひざまずきなさい』って台詞が似合いそうですよね!

 ちなみに、制服はどの騎士団がいいと思います? 第二騎士団の黒もいいですけど、第一騎士団の白も爽やかですし、一番人気の第三騎士団の浅葱色も……」



 二人の楽し気な声が遠ざかり、姿が小さく小径の向こうに消えてゆくのを見計らって、


「…………なんか、出そびれましたね」


 キャリエールが、ぼそっと呟いた。



 自分の噂話を立ち聞くというのは、なかなか落ち着かない気分にさせるものである。キャリエールはほんのり耳を赤く染め、ラッドもオデイエも微苦笑を浮かべていた。


「まあ、今日は帰りましょうか? 元気そうだったし、楽しそうなところ邪魔しちゃ悪いし」


 そうだな、と帰り道を往く途中、オデイエが、にんまりとした笑みを浮かべ、


「ウェイン卿、良かったですね」


 と言ってきた。目は三日月形である。


「何がだ?」


 訝しく尋ねても、キャリエールも、ラッドまでもが薄く笑ってこっちを見るだけで、何も答えない。


 いったい何が、どう良かったというのか、さっぱりわからない。




 §




 伯爵邸を辞し、馬に乗って門を出たところで、オデイエがもう我慢ならないというように吐き出した。


「……っはあ! それにしても、今日も壮絶に可愛かったですね。伯爵令嬢」


 たしかに、陽だまりの中を歩く様子は、人外のものと錯覚するような感覚に襲われた。あれで、背に羽が生えていないのが不思議なくらいだった。


「……ルイーズは、この中で一番かっこいいって言われてたしね」


 キャリエールが、じとっとした目でオデイエを見た後、嬉しそうに破顔し、続けて言う。


「しかも、俺たちのこと、怒ってる風でも嫌ってる風でもなかったね」


「何あれ……? ほんとに天使? 本物なの? しかも、わたしのことサラマンドラの女戦士だって……! めちゃくちゃいい子じゃない! わたしは決めたわ。これからはレディ・リリアーナに付く。それでもって、令嬢に濡れ衣を着せた真犯人を見つけ出して、令嬢の汚名を晴らす! 良く考えたら、ノワゼット公爵みたいな人使いの荒い上司といるより、レディ・リリアーナみたいな可愛い子といたほうが、ずっと楽しいし」


「ええー……まあ、でも、俺ものるよ。リリアーナ嬢、けっこう気に入ったからね」


「そうだな、俺ものる」


「ラッド卿は、あの可愛いメイドの女の子に、包容力ありそうって言われてましたしね……」


 キャリエールが、じとっとした目でラッドを見る。


「ウェイン卿は当然のるし、じゃ、決まりですね。明日からはレディ・リリアーナに無実の罪を着せようとした真犯人見つけて、微塵切りにしての魚の餌にするために活動するってことで!」


 オデイエに当然のることにされたのは全く不可解だったが、特に異論はなかったので、明日、伯爵邸でリリアーナに会って伝えよう、ということになった。



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