第24話 胸騒ぎ

「こちらが、ロイ・カント卿でいらっしゃいますか? お優しそうな方でいらっしゃいますね」


 近くを通り過ぎようとしたセシリアを、チャンスとばかりに慌てて呼び止めた。


 暖炉の上に飾られた写真に目を遣りながら問いかけると、セシリアは立ち止まり、柔らかく微笑む。


 第二騎士団の黒い制服に身を包んだカント卿の顔立ちは至極整っているが、冷たい印象はない。

 写真の中の微笑からだけでも、ロイ・カント卿の寛容さや聡明さが充分に伝わってくる。


 セシリアに近づくわたしをじっと睨む、四人の騎士の視線が突き刺さるように痛い。何度も言うけど、気付いていない振りをする。


「ええ、ほんとうに、優しい人でした」


 セシリアが、しんみりと長い睫毛をを伏せる。


「……わたくしも、先の戦争で父を亡くしました。後に残されるというのは、寂しくやるせないものですね」


 セシリアの瞳が少し揺らぐ。


「……そうでしたか……本当に、後に残されるのは……せめて、」


 会話は、突然、部屋に弾けたうわーんという泣き声に遮られた。はっと我に返ったように、セシリアがベビーベッドへ目を向ける。


 赤ちゃんをあやしたくてベビーベッドに歩み寄ろうとしたわたしの前に、長身のキャリエール卿がさっと立ちはだかる。


「令嬢は、どうぞ、そちらにお掛けになっていてください」


 冷ややかに有無を言わせぬ口調。キャリエール卿が掌でダイニングの椅子を指し示す。


 大きな木製テーブルには、すでに全員分の白磁の皿とティーカップやカトラリーが、丁寧に折り畳まれた白いナプキンと共に、セッティングしてあった。


 もっとセシリアと話してみたかったが、キャリエール卿の無言の睨みが突き刺さる。

 整った童顔で優し気な顔立ちなのに、瞳の奥に暗闇が垣間見えた。


 ――腹黒。


 って、きっとこういう人のことを指すのだと思う。


 そりゃそうだろう。いくら公爵だって、清廉潔白な騎士に暗殺など命じない。


 戦後の混乱が多少残っていたとしても、この王国の法は、ちゃんと守られている。

 貴族であろうが、叙爵された正騎士であろうが、私刑を行ったことが発覚すれば、立派な重罪だ。


 気圧されて言葉も発せぬまま頷くと、促されるまま、指し示された椅子に腰掛けた。



「さあさ、あなたたちも、手を洗ってきなさい。みんなのお皿に配るから、一緒に『いただきます』しましょうね」


 子ども達が、こくり、と頷いて、手を洗いに立つ。


 写真の中のカント卿によく似た面影の四歳のクリスとエバは、さっきからずっと、こちらをチラチラ見ては、にこりと笑みを浮かべてくれる。可愛い。めちゃくちゃ可愛い。


 いつか、できればずっと先であることを祈るが、また、人に生まれ変われるなら、子供の世話をさせてもらえる職業の人になろう。


 二人とも、今日は口数が少なく元気がないように見えたが、よちよち歩きの弟の手を丁寧に洗ってやっていた。

 セシリアは、騎士達と久しぶりに会えた嬉しさからだろうか、鼻歌まじりで上の戸棚からクッキーの入った大皿を取り出している。


「あの……、わたくし、とても喉が渇いてしまいまして、先にお茶を一杯いただいても、よろしいでしょうか?」


 無作法と知りつつも、どうしても気になった。


(……この香り)


 ふわりと鼻をつき、甘く、とろけるような。


 遠い記憶のどこかで、確かに知っている気がするのに、思い出せず、歯痒くももどかしい。


 ―― ……ない……ですから……


 この香りと共に、誰かが何か言っていなかった?



 あれは、誰だった?



「さあ、どうぞ」


 洗練された手つきで、ポットから紅茶を注ぐセシリアの薄い色の瞳は、もう何も語っていなかった。


 だけど少しばかり、上の空でいるみたい。


 あの時、『助けて』と瞳に映って見えたのは、やはり気のせい?


 カップに口をつけ、熱い紅茶を一口、口に含むと、爽やかなコクと甘み、ほんのりマスカットのような風味が広がる。


(おそらく、至極上等な、ダージリン……)


 ゆっくりと舌の上に乗せて味わってから、喉を通す。



「皆さんも、どうぞ、お掛けになってね」


 セシリアの言葉に誘われるように、騎士と子ども達が席に着く。

 わたしの右隣にウェイン卿が座り、左隣にオデイエ卿が座る。オデイエ卿の斜め横にキャリエール卿、ウェイン卿の斜め横にラッド卿が腰かけた。


 わたしの向かいにはセシリアが立ち、セシリアとラッド卿との間に三人の子ども達が座る。


 考えてみれば、ウェイン卿の隣に座ってテーブルを囲む機会など、もう二度と訪れまい。


 この状況でなければ、一生の思い出にしたいところ。


 しかし――、


 胸騒ぎがした。


 騎士達を見るが、いずれもわたしに油断ならないと言いたげな視線を向けている。


(騎士達は、何も感じないの?)


 それなら、これはやっぱり、頭のおかしい引き籠り女の妄想。……そうかもしれない。


 心臓は早鐘を打ち、冷たい汗がじわりと滲むが、これ以上、変なことを言ったりしたりするのは、もう止めよう。


 いくら、これ以上ないほど最悪の関係だからと言って、人様に迷惑をかけるのは、良くない。


(……それにどうせ、わたしの話なんか誰も聞いてくれないんだから……)



 セシリアは瞳を細め、穏やかな微笑を浮かべ、テーブルについた人々をゆっくりと見回した。

 手に持つ大皿からそれぞれの皿に配るため、クッキーを一枚、トングでそっと挟む。


 同時に、悪戯を思い付いたように、ふくふくしい幼い手がティーカップに伸ばされる。オデイエ卿が優しく微笑み、口を開く。


「危ないわよ、トラヴィス。触っちゃだめ。紅茶は熱いわ。火傷しちゃう」


 瞬間、ひやり、と冷たい手で背中を撫でられたような気がした。



(……思い出した……)



 この香りは――、


 ―― 危ないですから……


 ―― 触らないで……



 往々にして、悪い方の胸騒ぎは、当たってしまう。



 慌てて立ち上がると、木製の椅子がガタンと音を立てた。


 ほとんど同時に、右隣でもガタンと椅子の揺れる音がしたと同時に、右腕にがしっと掴まれる感触。


「あ、あの! わたくし! お先にクッキーを一枚、いただいてもよろしいでしょうか?」


 右手は隣に立つウェイン卿に取り押さえられ、皿まで届かなかった。



 だけど、左手はしっかりと掴んだ。



 テーブルを挟んで立つ、セシリアが持つクッキーの入りの大皿を。




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