第19話 涙の行き先 (レクター・ウェイン視点)

 レクター・ウェインは馬車の窓の横に立ち、溜め息をつきたいのを懸命に堪えた。


 グラミス伯爵夫人についての悪評は、何度も耳にした。


 伯爵夫人らしからぬ、荒んだ生活を送っているという噂は、どうやら真実らしい。


(全く、貴族ってやつは、どいつもこいつも……)


 『セレーネの涙』紛失事件なら、第三騎士団の連中が頼まれ、捜査に関わっていると聞いていた。


 新聞にも載っていたが、目の前で壊れた馬車の前で御者と共に突っ立っている、女好きしそうなポールという青年には、賭博で作った莫大な借金があったらしい。牛乳配達人との共犯の線で探っていると聞いた。


「……レディ・リリアーナは、どう思われて?」


 グラミス伯爵夫人が重ねて尋ねる声が、薄く開いた窓を通して、馬車の外まで漏れ聞こえる。

 オデイエがいる場所までは聞こえないだろうが、自分と御者席にいるラッドにも、この会話は聞こえているだろう。



 ――思わぬ邪魔が入って、計画が狂ってしまった。


 まさか、リリアーナ・ロンサールがグラミス伯爵夫人を馬車に招き入れてしまうとは。



 今日のところは、諦めざるをえない。



 春先の冷たい雨は、分厚いマント越しにも、ひんやりと体を冷やす。

 己の銀髪から、ぽたりと滴り落ちる雫が視界に映り、舌打ちしたい気分になった。

 公爵の命令とはいえ、面倒な任務はさっさと終わらせてしまいたかった。


 ――こっちだって、そう暇じゃないってのに。



 リリアーナ・ロンサール。



 良い噂を一つも聞かぬ、悪名高い伯爵令嬢。

 伯爵邸での聞き取り調査の際、使用人達はこぞってリリアーナを悪し様に罵り、毒を盛ったのはあの女に違いない、と言い切った。

 日頃から、余程、使用人を人間扱いせず、辛く当たっているに違いない。


 そういう貴族はこれまで嫌と言うほど、この目で見てきた。


 貴族の血脈を何よりも尊いと信じ、何よりも血統を重んじる。身分の低い者を、虫けらのように扱って憚らない。




「……そうですね。わたくしは……伯爵様に全て打ち明けてしまわれる方が、よろしいのでは、思います」


 リリアーナ・ロンサールの思いもよらない応えが馬車の中から聞こえ、思わず馬車を振り仰ぐ。

 しかし、ここから中の様子はよく伺えなかった。



「…………」


 長い沈黙の後に、コーネリア夫人が低い声を出した。


「……どういう意味かしら?」


「……出過ぎたことを申しました。どうぞ、お忘れください」


 再び、長い沈黙が続く。


  我慢できない、とでもいうように、話し出したコーネリア夫人の声が聞こえてくる。


「貴女は……、貴女にはわかったの? そうだとしたら、どうしてかしら? 誰にもわからなかったのに……。わたくし、聞きたいのです。お願いします。レディ・リリアーナ」


 コーネリア夫人の声は、まるで懇願するように響く。


 しばらく、迷うような沈黙の間があったが、リリアーナの声は、そっと話し出した。


「……これは、わたくしが新聞で読んだことのある、あるお方のお話です。

 ……そのお方は、若い女優さんで、大きな舞台に立つのが夢でした。」


 その声は、およそ魔女や毒婦と呼ばれるような女らしくない、穏やかともいえる声音だった。

 感情が昂っている様子のコーネリア夫人を宥めようとしているのか、ゆっくりとした口調で話し出した。


「その方は、あるとき、夢だった大きな舞台に抜擢されたにも関わらず、どうしても、出演できなくなりました。


 ……それは、おそらく、何かご事情があって、……お腹が大きくなられたからです。


 どこかの大富豪と旅行に行っていたことにして、人目につかない場所に身を潜められ、出産されたのでしょう。

 お生まれになったお子さんは、新人の女優さんがお一人で育てられるはずもなく、どこかに預けられました。

 しかし、舞台で成功を納められてからも、後に愛する方と出会われてご結婚されてからも、片時もお忘れになったことはありませんでした。


 そんなある時、預けた我が子が良くない連中と付き合っているという噂が、お耳に届きました。

 その子を何とか探し出しそうと、いかがわしい場所にも果敢に出入りをされ、ついに見つけられたのちには、付添人として側に置くことにされたのです。

 ところが、その子はいかがわしい連中に騙されて、莫大な借金を背負わされていました。


 その方は悩まれたでしょうが、我が子の為にご自分の持つ宝石の中で最も高価なものを手放すことにされました。


 ただし、ご主人には知られたくなかったので、普通に売りに出すことはできません。

 そんなことをすれば、問い詰められてしまいますから。

 その方は、旦那様を深く愛していらしたようですから、子どものことを知られたら、嫌われてしまうのでは、と恐れられたのでしょう。

 わたくしは、そうなったとは思いませんが……。


 とにかく、そう思われたその方は、自作自演の強盗事件を考えたのです」


 伯爵夫人の息を呑む声が聞こえた。


 リリアーナが、穏やかな声でゆっくりと続ける。


「真珠のネックレスというものは、丸いパールがいくつも連なったものです。

 そこで、何かを混ぜて白く濁らせ、糸を通してから丸い型に入れよく凍らせた氷の粒を首にかけて、老婦人のお部屋を訪れます。


 お二人の老婦人は随分しっかりされていらっしゃったようですが、やはりお目のほうは、若い時のようによく視えてはいらっしゃらないかと存じます。


 それに、その方は何と言っても、誰もが認める有名な女優さんです。

 さも本物であるかのように振る舞われたでしょうから、その時のお二人は何も疑問に思われなかったでしょう。


 そして、うまく口実をつけて、燃え盛る暖炉の上の箱に入れてしまえば……。


 氷でできた首飾りはあっという間に溶けて流れ出し、箱を開けた時には跡形もなく乾ききっていたでしょう。

 残った白い粉だか絵具だかと一本の糸は、隙を見て、自分の白いドレスになすりつけてしまえば、もう証拠は残りません。

 ほんの少し残っていたって、皆が血眼になって探しているのは、真珠の首飾りですもの。

 ただの汚れなんて、気にもとめなかったでしょう。


 本物の方はもう、事件が起きるより以前に売ってしまわれていたのでしょうから、屋敷をいくら探しても、見つかる筈はありません。

 その方は、二人の老婦人がしばしば連れ立ってお手洗いに行かれること、暖炉に火をつけていること、いつも窓をほんの少し開けていることを知っておられたのでしょう。


 使用人たちに嫌疑がかからないように、全員に暇を与え、サーカスに行かせました。

 誰にも迷惑をかけず、すべて存在しない盗人のせいにするつもりだったのです。


 ところが思いがけないことに、使用人のうち、庭師と料理人がサーカスに興味がなく、屋敷に残ってしまいました。


 しかも、その二人が揃って誰も門を通らなかったと証言してしまったものですから、事態はとてもややこしくなってしまったのですよね?」




 

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