第16話 紫の貴婦人

 馬車から降りたウェイン卿の手を借りながら、入れ替わるように乗り込んできた紫の貴婦人は、近くで見ると大変美しい女性だった。


 年の頃は、お若く見えるけど、三十代半ばくらい?


 後頭部で巻き上けられた、たっぷりとした豊かな白金色の髪を鍔の広い華やかな帽子で覆っている。瞳は紫水晶のような妖艶な煌めきを放ち、唇には情熱的な真っ赤なルージュ。


 頭から真っ黒なマントを被るわたしの姿が目に入ると、一瞬ぎょっとしたような素振りを見せたが、貴婦人は礼儀を忘れなかった。


「この度はご親切、痛み入ります。どちらかへお急ぎではございませんでしたか? わたくし共の為に、お手間をとらせまして申し訳ございません」


 大変丁寧なお礼の言葉を述べてくださる。


 いえいえ、わたしは今から命を取られるところでしたので、むしろあなた様は命の恩人です、と言いたいのは我慢。

 そっと微笑んで応える。


「いいえ。図書館へ行くだけで、たいして急ぎでもございませんでした。お役に立てて、よろしゅうございました」


 紫の貴婦人は、そわそわと落ち着かない感じであったが、イライラしても一緒だと思われたのであろうか、美しい声で自己紹介をしてくださった。


「グラミス伯爵の妻のコーネリア・グラミスと申します」


「リリアーナ・ロンサールと申します」


 紫の貴婦人、グラミス伯爵夫人はアメジストのような美しい瞳を見張った。


「……まあ! リリアーナ・ロンサール伯爵令嬢……。あなたが?」


「はい。お目にかかれて光栄です。グラミス伯爵夫人」


 グラミス伯爵夫人は、ふ、と唇を歪めて自嘲ともとれる笑みを浮かべた。


「稀代の悪女と、有名な魔女ってことですわね? こんなところで、同じ馬車に乗り合わせるなんて、新聞記者がいたら大喜びしそうだわ。ごめんなさいね、わたくしったら、失礼なことを」


 そう言って、ふふふ、と高ぶった笑い声をあげる。

 先ほどから、グラミス伯爵夫人が苛々と落ち着かなげでいるのが、気になった。

 乗っていた馬車が事故を起こしたから?


 ……それとも、新聞で読んだ例の事件のせい?



「稀代の悪女……?」


「あら、レディ・リリアーナは、新聞を読まれない? 稀代の悪女として世間を賑わしているといえば、このわたくしのことに決まっていますわ」


 グラミス伯爵夫人は、赤い唇の間から白い歯を覗かせ、嫣然と笑いながら続けた。


「つい最近は、『セレーネの涙』の事件もあったでしょう?……そうだわ! もしかしたら、わたくしと同じくらい新聞を賑わす悪名高い魔女……失礼、貴女なら、謎を解けるんじゃなくて? どうせ、修理が終わるまで、時間がかかりそうなんですもの。貴女のご意見も伺いたいわ」


「……はい。そうでございますね。こうして乗り合わせたのも何かのご縁ですから、お聞かせいただけますか?」


 わたしは小さく微笑んで、そう答えた。



 『セレーネの涙』盗難事件。



 新聞で読んで、あらましはだいたい知っていた。

 






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