第15話 鯉の気持ち

 石畳の上をがたがたと回る車輪の音に耳を傾けながら、黒い革張りのシートに腰掛け、振動に揺られている。


 騎士団所有の馬車の内部は、外側と同じく、黒い装飾でまとめられている。


 窓側の席に座るわたしの斜め向かい、進行方向に背を向ける形で腰かけているのは、ウェイン卿。

 その腰に下げられた剣と銃が、馬車の振動に合わせ、カチャカチャと不穏な音を立てる。


 御者席にはがっしりとした体形の屈強そうなラッド卿。

 わたしの座る席の窓から見える、馬車の右側には燃えるような赤い髪に琥珀色の瞳の女性騎士、オデイエ卿が馬に跨がり並走している。

 左のドア側には、髪も瞳も薄い紅茶色の痩身のキャリエール卿が馬に乗って並走しているようだ。


 誰一人、ニコリともクスリとも笑わなければ、一言も言葉を発しない。

 馬車を中心とした一帯は、どんよりと重苦しく淀んでいる。


 逃げ場も隙もなし。絶体絶命。俎板の上の鯉。

 このまま、図書館に行く道をそれて、人気のないとことに連れていかれ、剣でグサリ……? もしくは、銃でズドン……?


 近い未来に訪れる自身の運命を想像すると、氷のような汗が背筋を伝い、手が震え出しそうになる。


(それにしても……高名な騎士が四人がかり……? どういうこと?)


 第二騎士団副団長のウェイン卿はもちろんのこと。この国では珍しい女性騎士のオデイエ卿も、その実力は男性騎士を凌ぐと活躍ぶりを新聞で目にしたことがある。

 ラッド卿の勇猛ぶり、キャリエール卿の剣技の凄さも、すべて新聞で読んだことがあった。


 第一から第三まである王宮騎士団の正騎士たちは、誰もが常人離れした不思議な力が使えるらしい。


 もちろん、わたしは実際に目にする機会に恵まれたことはない。そんな魔法のような力が実在するなら夢があって素敵だとは思うが、そんな非科学的なことが有り得るだろうか? 正直なところ、半信半疑だ。


 何の力も持たないどころか、何の取り柄もないわたしのことを魔女だと書き立てるくらいだから、新聞が大袈裟に書いているだけなのかもしれない。それでも、彼らがとんでもなく強いことは、間違いないだろう。


(わたしごときに、四人もの人員を割く……?)


 『リリアーナ・ロンサール』が恐ろしい魔力を持っていて、人を呪い殺せるだの、町から若い娘をさらってきて生き血をすすっている、とかいう噂を鵜呑みにしている?

 念には念を入れて、ということ?

 

 びくびくと怯え切ったわたしを乗せ、誰もが無言のまま、馬車は進み続けた。

 何とか、切り抜ける方法はないだろうか?と少ない知恵を絞る。


「あ、あの、ウェイン卿?」


 試しに、話しかけてみる。

 話をしている内に、何らかの活路が見出だせるかもしれない。


 名前を呼ばれた斜め前に座るウェイン卿が、こちらに視線を寄越した。美しい赤い瞳は不愉快そうに陰っている。

 うっと怯むが、なんとか会話してみようと試みる。


「えっと……、あの……あ! そういえば、新聞で拝見しましたが、正騎士の皆様は不思議なお力をお使いになれるそうですね。通常では考えられないようなお力が、お出しになれるとか?」


「…………」


「…………」


 ウェイン卿はこちらを見ていた。だから、確かに聞こえていたと思う。


 しかし、端正な顔を面倒そうに顰め、はあ、と軽いため息をついたかと思うと、スラッと長い両手足を組み、目を閉じて、ふっつりと黙り込んでしまった。


 いわゆる、どんな会話も拒絶しますから、もう話しかけないでね、のポーズである。



 こ、これは……?


 ……む……無視? されましたでしょうか……?


 えーと? もしもーし? 獲物は馬車に乗っちゃったんだから、もう取り繕う必要なしってことですかね?


 それとも、くっだらないこと聞きやがって、返事する気にもならない、ってことですかね?


 もしくは、その両方?

 

 確かに、話題選びを間違えた感はある。


 そこのところは反省したい。こっちは勝手に恋しているが、相手にとっては殆ど初対面なのだから、最初は軽く天気の話題でも振るべきだった。


 いや、でも何しろ、こっちはコミュ力皆無の引き籠り女であるのだから、そこは大目に見てくれても良さそうに思う。


 ……だけど、結局のところ、何を聞いても同じだったのだろう。


 嫌いな相手だったから、わたしだったから、返事すら、してもらえないのだ。


 むせび泣いて困らせてやりたい衝動に駆られたが、理性がそれを押しとどめた。


 騎士達の様子を見る限り、号泣したところで死期が早まるだけだ。


 もう何も、打つ手を思いつかない。


 いよいよ諦めかけて、馬車の窓から外を眺める。

 ちょうど、伯爵邸の周りの林を抜け、外周の林道を走っているようだ。

 これから、どこに連れて行かれるんだろう……。


 自分に待ち受ける運命を胸の内で呪っていると、馬車は突然、何かに阻まれたかのようにガタン、と音を立てて停車した。


「どうした?」


 馬車が動き始めてから初めて、ウェイン卿が声を発した。

 御者台のラッド卿が、低い声で答える。


「どこかの貴族の馬車が、道を塞いでます」


 馬車の窓を薄く開け、外を見てみる。

 チッ、というオデイエ卿のかすかな舌打ちが聞こえた。

 この馬車の進路を塞ぐように、一台の馬車が路上に停車している。


「申し訳ありません。グラミス伯爵家の者ですが、低く飛んだ鴉に驚いた馬が暴れまして……。この有り様で。お手伝いいただけないでしょうか?」


 御者らしき男性が帽子を脱いで、外にいる騎士に向かって話しかけている。

 グラミス伯爵家のものだという馬車は、車輪のひとつが外れ、完全に傾いている。


 傾いた馬車の天蓋には荷物がいくつも積まれ、ロープで固定されている。薄く開いたドアの隙間から覗く座席にも大量のスーツケース。


 あれほどの荷物を積んでいたら、馬が少し暴れただけで車輪が壊れてしまうのも頷ける。


 壊れた馬車の前には、御者らしき男性の他に濃い紫色のドレスに身を包み、同じく紫の大ぶりな帽子を被った貴婦人と、白金色の髪の青年が立っている。


 御者は通りがかった騎士の一団を見て、目に見えてほっとしている。


 空では、鴉が不吉な羽音を立てて飛び交う。先程まで青く晴れていたはずの空は、雲行きまで怪しい。


「では、私がグラミス伯爵邸まで行き、迎えの馬車を頼んで参りましょう」


 キャリエール卿が朗らかに言うのが聞こえた。

 キャリエール卿だけがここを対応し、わたしを乗せた馬車を先に進ませたいのであろう。


 本当なら、捨ておいて先を急ぎたいところだろうが、遭難しているグラミス伯爵家の馬車をノワゼット公爵配下、第二騎士団の制服を着た騎士が、見捨てて通り過ぎるわけにはいくまい。


 グラミス伯爵はその温厚なお人柄からご友人が多く、国王陛下や前ハミルトン公爵とも親交が深いということは、この国の貴族ならば誰もが、いや、新聞しか情報源がないわたしでさえ、知っていることだ。


 グラミス伯爵家の馬車の前に立つ紫色の貴婦人が、イライラと指先を噛みながら慌てたように言う。


「いえ! いえ! 大事な荷物も積んでおりますので、修理して、この馬車で行きたいと思います。お手数ですが、修理人を呼んできてはいただけませんか?」


「……承知しました」


 キャリエール卿は不満を顔に滲ませず、手綱をひいて馬の踵を返す。


 その時、黒みを帯びて低く垂れこめる雲から、冷たい雨が降り出した。

 林道に降り注ぐ雫が乾いた土を濡らし、まだら模様に染め始める。


 窓をもう少し開き、紫の貴婦人に向かって声をかけた。


「大変でございますね。お困りでございましょう? どうぞ、修理が終わるまで、こちらの馬車でお待ちください」


 外にいるオデイエ卿が、ぎょっとこちらを振り向いた。斜め向かいに座るウェイン卿が、厳しい視線でわたしを睨む。


「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」


 紫の貴婦人がそう答えた瞬間、わたしの命は、今日のところは取り留めた、に違いない。

 グラミス伯爵家の関係者にー緒にいるところを見られた後では、さすがに手は下せまい。



 心の中で、小さくガッツポーズをした。



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