Call me ,call
藤光
Call me,call
〈from〉reaper
〈title〉これを求める方へ
以前、連絡をさせていただいておりましたが、お返事がありませんでしたので、再度連絡をさせていただきます。
恋人はなく、友人もなく、仕事もご家族の理解もないあなたに、これが最後のチャンスです。あなたの人生は変えられる、あなたの魂には意味がある。信じてみませんか? 答えはココにあります。
hppt://a-um……
自分が空腹であることに気づいて、操作中だったスマートフォンの画面から目を上げて卓上時計を見ると午後七時過ぎ、いつもなら夕食を食べている時間だった。食卓を兼ねてたガラステーブル上には、ノートパソコンと飲みかけの炭酸飲料のペットボトルのほかに何もない。
――何やってんだよ美樹のやつ。
昨日の夕食はオムライスだった。卵がふわっふわのアレ。美樹の料理はなんだって美味いが、なかでも彼女の作るオムライスは格別だ――。なんてことを考えてるとますます腹が減ってくる!
ヴヴヴ……。
ガラステーブルの上で震えてだしたスマホをひっつかむと、待っていた美樹からの電話だった。少し乱暴に画面をタップする。
「もしもし」
(あ……。翔太? 着信があったみたいだけど、なに?)
美樹のやや甘ったるい声が、おれの鼓膜をくすぐる。子供っぽい声は彼女の幼い雰囲気に合っていて、普段は抱きしめたくなるほど可愛いが、今のように気持ちがささくれだっているときには癇に障る。残念ながら、すきっ腹を抱えた今のおれは寛大な気分とは程遠かった。
「今、家に帰ってきたんだけどさ……メシないんだけど?」
電波にのっておれの不機嫌が伝わればいい。ことさら喉から低い声を出してみせた。
(えっ? 今夜は遅くなるっていうから、用意してないよ。いまお買い物をしてるところ)
おれの不機嫌そうな声に少し慌てたのだろう、美樹は心持ち早口になる。電話口を通して、大勢の人のざわついた気配が伝わってくる。人の多い街の通りを歩きながら通話している美樹の姿が見えるようだ。
「予定が変わったんだよ。いつもは用意してくれているはずだろ。何やってんだよ。早くしろよ!」
確かに帰宅は深夜になるはずだった。地方でイベントがあったからだ。それがチケットのトラブルで公演が中止。六時には帰宅していた。
(でも……今夜は翔太遅くなるっていってたから、これからエミとお茶しようって、約束してて……)
だんだんと美樹の声が小さくなる。
美樹は紅茶好きだ。彼女が淹れる紅茶が玄人はだしで、これまた美味いんだ――。それがおれとじゃなくて、エミとだって?
「そんなこと知らねーよ。腹減ってんだから、早く帰ってこいよな!」
言い捨てて通話を切断する。エミなんて女、知らねえよ。そんなやつよりこのすきっ腹をなんとかしてくれ。おれは美樹の料理でないとダメなんだよ。それがわかってないのかよ、まったく。
〈from〉reaper
〈title〉ご連絡ありがとうございます
お申し込みありがとうございました。ご依頼の件、承知致しました。後日改めて担当者から連絡させますので、サービスの詳細については担当にお尋ねください。
この度は弊社のサービスをご利用いただきありがとうございました。
テレビのワイドショーはつまらない。
毎日毎日、芸能人がくっついただ離れただ、それにどんな意味がある? そんなくだらない話題が、みんなのものであるはずのテレビの電波を占有する価値があるのか甚だ疑問だ。
今もテレビの画面はアメリカのセレブだかなんだかのゴシップを映し出している。だれがだれと別れて、だれと結婚しようが、そのときのドレスがなんであろうが、おれたちの人生となんの関わりがあるというんだ? 番組の中で、美樹の話題が出てこないだろうかとチェックしてはいるが、まったく退屈だ。
テレビの前に据えてある、ガラステーブルの上のスマホが鳴った。美樹だ。こんな時は彼女と話していないと気分が塞いでくる。
「何やってんだよ」
自分でも驚いてしまうくらい物憂げな声が出てしまった。
(仕事がおしちゃって、今休憩に入ったところなの。ごめんね、連絡できなくて)
彼女が謝るようなことじゃない。暗い声を出してしまったおれがむしろ悪い。それよりも気になることは、仕事だと電話にも出られないんじゃないだろうか。ほんとうに仕事をしていたのだろうか。疑念が頭をもたげてくる。
「ホントかよ。男といるんじゃねーだろうな」
ほんの少し間が空いた。美樹が息を呑むくらいの時間。まさか、本当に男といるんじゃないだろうな!
(それは……、仕事場には男の人もいるよ。カメラマンは男性だし、スタッフも男性が多いもの)
「ちげーよ。男とホテルにでもしけこんでるんじゃねーのかって言ってんだ」
おれ自身、まさか美樹に限って――と思うが、美樹の職場は、華やかだが誘惑も多い業界だ。美樹はともかく、周りの男たちが彼女を誘惑しないとは信用がおけない。
「今すぐ自撮りして送れよ」
(いま?)
さすがにびっくりしたのだろう、美樹の声のトーンが跳ね上がった。
(仕事中だよ)
我ながら無茶振りだとも思うが、一度心にさした疑念は簡単には拭えない。逆に膨らむ一方で、おれの頭の中では、美樹はもう見ず知らずの男とベッドに入ってしまっている。この胸のざわつきを収めるために、おれはこう言わざるを得ない。
「二度も言わせるなよ。今だ!」
(……わかった)
美樹が沈んだ声で電話切った。
……ピロ、ピロ。すぐにLINEの着信音がしたので、さっそく確認する。
「なんだこりゃ」
思わず声が出た。
おれのリクエストどおり、美樹の自撮り画像が届いていた。白っぽい部屋、――控え室だろう、にテーブルとパイプ椅子、水着の美樹。スマホの中から上目遣いでおれを見つめる美樹は濃紺のビキニを身に付けただけだった。パイプ椅子に腰を下ろして見上げるように視線をこちらに送っている。胸元が露わすぎる……。眉根を上げた黒目がちの瞳は明らかに怒っていた。
携帯が鳴る。
美樹かと思ってタップすると、スマートフォンのスピーカーからは男の声が飛び出した。男?
(美樹ちゃん、怒ってるぞお)
「拓也か?」
友人の声は、半ば浮かれていてまるで緊迫感がない。明らかに状況をおもしろがっている。
(今日の仕事、水着のグラビア撮影だって知らなかったのかよ。それを自撮りしろって、お前バカ?)
確かに知らなかった。しかし――。
「なんで拓也が知ってるんだよ。それにどうして美樹の仕事現場にいるんだ?」
(何いってんの。ウチの出版社の仕事だからに決まってるだろ)
そういえば拓也は、雑誌編集の仕事だった。拓也は電話口でさもおかしそうにけらけら笑っている。
「……」
(いいコだなあ、美樹ちゃんって。可愛いし素直だし。翔太が羨ましいよ)
じゃあ、午後の撮影が始まるから切るよといって電話は切れた。それからは美樹にかけ直したところで出るわけもない。
まあいいか。軽薄そうでいて拓也はしっかりしたやつだ。あいつがいるならグラビア撮影の現場も安心だ。まさか水着のグラビアとは……、拓也が言ったように可愛かったな、美樹。帰ってきたら、きちんと謝ろう。
〈from〉reaper
〈title〉ご依頼の件について
平素は弊社のサービスをご利用いただき、ありがとうございございます。
先日、承りました件については、お客様のご依頼どおり対応させていただくこととなりました。つきましては、お客様の携帯電話の番号をお知らせください。折り返し担当者から連絡させていただきます。
トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……。
チャ。《おかけになった電話をお呼び出しいたしましたが、おつなぎできませんでした》プッ。
――出ない。どうして出ないんだ、美樹。
トゥルルルル、トゥルルルル……。
チャ。《おかけになった電話をお呼び出しいたしましたが、おつなぎ……》プッ
――出ろよ。
トゥルルルル……。
チャ。《おかけになった電……》プッ。
出ない。美樹が電話に出ない。どうしてだろう。
電波が届かないところにいるのだろうか?
スマートフォンの電源を切ったまま忘れているのだろうか?
家におき忘れたまま仕事に出たのだろうか?
そんなわけないよな。おれと話したくないんだ。それだけだ。それだけ? 不安になる。不安だ。おれは不安だ。
どうすればいい? 何を頼ればいい?
スマートフォンをタップして「連絡先」を開く。
拓也 080-××××-××××
美樹 090-××××-××××
登録 二件
おれのスマートフォンには、わずか二件の連絡先しか登録されていない。スマートフォンにたった二件。おれの小さなちいさな、かけがえのないつながり。
突然、スマートフォンの呼び出し音が鳴る。びっくんと心臓が縮み上がったかと思うくらいに脈打った。美樹か――。
「拓也?」
(美樹ちゃんだと思ったろ。美樹であってくれ――って思ったよな。残念でした、おれだ)
しんと落ち着いた拓也の声が耳に染み通ってくるようだった。やっぱりそうだ。だれかから連絡がほしいそんなときに連絡をくれる、拓也はほんとうの友達なんだ。
(翔太。お前、振られたんだぜ。わかってんだろ?)
「ん……」
そうだったのか。考えてみれば……そうだよな、やっぱり。でも――。
(でも、なんて考えるなよ。だれが悪いとか、そんなんじゃねーんだ。『終わるとき』って、そういうモンなんだ)
きっと拓也のいうとおりなんだろう。ああそうだ。こいつのいうことはいつも正しい。
「おれ……」
(翔太、あのな……)
電話を耳に押し当てて拓也の声を聞く。慰めているのか、叱っているのか、何を言ってるのか、ぜんぜん頭に入ってこない。
でも、拓也がおれのことを思って話してくれていることだけは確かに伝わってきた。頬を伝って涙が流れ落ちる。それを感じたおれは、ただ頷きながら「声」を聞きつつ、泣き続けた。
おれの想いを、どうやって彼らに届ればいいのだろう。
〈from〉reaper
〈title〉契約満了について
契約満了の期限となりましたので、清算をお願い致します。ご自宅に担当者が伺いますので、清算方法についてはご相談ください。
ドアチャイムの鳴る音が聞こえた。
ピンポン――。
いつの間にか夜になってしまっていて、部屋は暗く、わずかに窓から街灯の明かりが差し込んでくるだけだった。冷たい床に座り込み、膝を抱いてぼんやりしていた。今日はいつで今は何時なのだろう。どのくらいそうしていたのか見当もつかない。
しかし、そんなことはもう、どうでもいいことのはずだった。
契約は切れたのだ。ガラステーブルの上に放り出されたスマートフォンが、街灯をうつして光っている。
ピンポン――。
うるさいな。いるよ。出ればいいんだろ、出れば。
床に手をついてのそりと動き出す。膝や足首がきしむように痛む。何時間こんな風にうずくまっていたのだろう。身じろぎする度に、身体中の筋肉が悲鳴をあげるかのようだ。
暗闇の中をを手探りで進むのは意外と時間がかかる。雑誌の山につまずいたり、トイレのドアにぶつかったりしながら、ようやく玄関ドアにたどり着いた。
いったい誰が、こんな時間に。
冷たいドアノブに手をかけて押し開ける。マンションの廊下は暗く、しんとして蛍光灯が数本、コンクリートの床を照らしているだけで人の姿はなかった。いたずらか――。
「こんばんは」
声は肩越しに部屋の方から聞こえた。振り返るとガラステーブルの脇に「美樹」が座っていた。いつかスマホの画面で見たように、肌も露わな濃紺のビキニの上に、白いガウンを羽織っただけだ。おれの部屋に水着の女、違和感が際立つ。
おかしい。契約は切れたはずだ。
「清算が残ってるの。サービスの対価を支払ってもらうわ」
「――だれだ」
「知ってるでしょ。美樹よ」
美樹の姿をした女がいう。そもそも本当に「女」なのか? 少なくとも美樹じゃない「おれの美樹」じゃない。
「お前は美樹じゃない」
甘ったるい声がおれの耳をくすぐるあの美樹じゃない。上目遣いに拗ねてみせる可愛い美樹じゃない。美樹はそんなに冷たい声で話さない、美樹は人を見下すような視線は送らない、お前はいったいだれだ?
「ああ――そうね。美樹はあなただけのもの。私はあなたの作りだした美樹を演じてみせただけ。
私は〈reaper〉の従業員よ。刈り取る者。平たく言うと死神ね」
「〈契約者〉伊吹翔太との契約を確認するわね。
ひとつ、何ひとつ連絡先が登録されていないあなたの携帯電話の「連絡先」に、恋人や友人の電話番号が登録されること。
ふたつ、一度も着信のあったことがないあなたの携帯電話に登録された恋人や友人から連絡が入ること。
みっつ、その携帯電話を通して人と人との関係を取り戻すチャンスが与えられること。
間違いないかしら?」
間違いない。おれが〈reaper〉から送られてきたメールに返信したした内容だ。恋人はおらず、友人もいない。携帯電話は持っていても、ひとつの人間関係もできていないため、だれからの着信も期待できない孤独で寂しい男が、死神と交わした契約だ。
「契約の期間は一週間。契約が満了すれば〈reaper〉は〈契約者〉の〈魂〉を刈り取る権利を得る――」
すべて、間違いない。
音もなく死神が立ち上がった。手はいつのまにか鎌の柄を握っている。ほっそりした女の手に〈死神の鎌〉は似合わないな――おれは思った。死神は片手で大鎌を軽々と振り被ってみせた。白いガウンの裾が舞い上がり、女の透きとおるような肌が露わになる。
――美樹。
「この一週間〈reaper〉は、居もしないあなたの恋人や友人からあなたの携帯電話に連絡を入れ続け、わたしはあなたの恋人として振る舞い続けた。契約どおりに」
――おれを連れて行け。
死神は清算方法を宣告した。
「契約期間は過ぎた。あなたの〈魂〉を刈り取るわ」
最期におれが感じたのは、大鎌が切り裂いた微かな空気の震えであって、首を刈られる痛みでもなければ、流れ出た血の温かさでもなかった。
〈from〉伊吹翔太
〈title〉Re:契約満了について
美樹。
拓也。
――電話をしてくれて
――ありがとう。
Call me ,call 藤光 @gigan_280614
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