第3話

 妙に尻切れトンボな手紙だな、という印象だった。

 封筒の中を探してみたが、便せんはおろか、紙きれ一枚すら入っていなかった。裏も真っ白だ。封筒にも宛名以外のものは書かれていない。

「ほとんど神様の話じゃない」

 私は思わずそう呟いた。

 この森にすむ「神様」の話なんて、大叔母からは一度も聞いたことがない。ここに家を建てたのは、単に人里離れた、静かな美しい森の中で暮らしたかっただけであって、神様がいるなんてことは、生前の彼女は一度も口にしたことがなかった。

 少なくとも、私の前では。

 私は手紙を元通り封筒にしまうと、箪笥の中に戻した。正直、どう処理したらいいのかわかりかねたのだ。それよりも、ピンクのドレスの方が気になった。

 私は箪笥の中から、さっき見つけたドレスを取り出した。これは大叔母がまだ40代のとき、自画像を描くためにあつらえたものだ。色白の大叔母は、年をとっても明るいピンク色がよく似合う人だった。

 ドレスのデザインは、明治末期の夜会などに用いられた衣装を参考にしたと聞いている。思えばこの家といい、ドレスといい、大叔母は明治から大正あたりの古いものが好きだった。

 私はその『盛夏』というタイトルの自画像が好きだったので、自然と描かれたドレスにも憧れがあった。一度も上手くいかなかったけれど、美大時代には、何度か似たような絵を描こうとしたものだ。

 ドレスをハンガーから外して肩に当ててみると、どうやら着られそうだ。試しに、着ていた服を脱いでドレスを身に着けた。後ろのジッパーもなんとかひとりで上げてから、箪笥の扉の内側についた鏡に、自分の姿を映してみた。

「おお、いいじゃん」

 大叔母と私は体格が似ているので、ドレスはなかなかいい具合にフィットした。ついでなのでポーチからヘアピンを出し、髪をシニョンに結い直した。

 我ながら、少しあの絵の大叔母に似ているような気がする。楽しい。やったことはないが、コスプレが楽しいというのは、こういう気持ちのことではないだろうか。

 私はその格好のまま窓辺に座り、屋敷の中を歩き、そして庭に出てみた。

 いつの間にかヒグラシが鳴いていた。夏の長い日が暮れ始めている。暑さがなお和らいで、庭には涼しい風が吹いていた。私は庭のテーブルセットに腰かけて、屋敷を眺めた。

 今日からここが私の家だ。

園田そのだ先生?」

 突然、道の方から男の声がして、私は飛び上がるほど驚いた。振り向くと、私と同年代の男性が、同じくらい驚いていそうな顔をして立っていた。長身でがっしりしていて、地味だけど爽やかな印象の人だった。

「えっ。ああ、違った。びっくりした。失礼しました」

 彼はそう言うと、丁寧に頭を下げた。

「い、いえ、こちらこそ」

 恥ずかしかった。こんな格好をしている時に、まさか他人に会うなんて……。私も急いで椅子から降りて頭を下げ、少しの間、ふたりでお辞儀の競争をしているような格好になった。

 男性は、永井孝輔ながい こうすけと名乗った。

「永井さんって、大叔母がお手伝いをお願いしていた方ですか?」

「そうです。実際に色々やっているのは、僕の父ですが……。僕は新しい持ち主の方がいらしたと聞いたので、挨拶に伺おうと思って」

「そうだったんですか。私、君島塔子きみしま とうこと申します。園田文江そのだ ふみえは私の大叔母です。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。それじゃ、今日はこれで失礼させていただきます」

 和やかに話していたのに、なんだか強引に話を切り上げられた気がした。不審に思ったのが顔に出てしまったのだろうか、永井さんは少し頭を下げた後、穏和そうな顔に急に真剣な表情を浮かべ、こう言った。

「君島さんも、早く家に入ってください。この森の近くじゃ、日が暮れたら外には出ないんです」

「神様がいらっしゃるんですか?」

 手紙の内容を思い出して私が言うと、彼はまた驚いたようだった。でも、だからといって私を問い詰めたりはしなかった。それほど時間が惜しいらしかった。

「ええ、そうです。早くお帰りください。僕も失礼します」

 では、と会釈して、永井さんは立ち去った。途中で一度彼が振り返ったので、私はふと叱られたような気持ちになり、慌てて家の中に入った。

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