第4話
次の日は日曜日だった。午前中に引っ越しの荷物が宅配便で届き、私は片付けに大わらわとなった。
午後一時過ぎにチャイムが鳴ったので出てみると、昨日会った永井さんが立っていた。
「昨日は失礼しました。お引っ越し、どうですか?」
「ええ、なんとか。すみません、こんな格好で」
私は汚れたTシャツに色の褪めたデニム、そしてすっぴんの自分を恥じた。おまけに大汗をかいている。とても、好みのタイプの男性に見せたい格好ではなかった。
「とんでもない。引っ越し作業中にオシャレしてる人なんかいませんよ」
永井さんはそう言って笑った。嫌味のない笑顔だった。そういう彼もくたびれたTシャツにジャージ姿、首にはタオルを巻いている。
「よかったら何かお手伝いしますよ。お嫌でなければですが」
「いいんですか?」
「もちろん。本当はうちのおやじが来るはずなんですが、腰を痛めちゃいましてね。お前代わりに行ってこいって言うもんですから……ああ、遠慮しないでくださいね。実は園田先生から、年明けに一年分のお手当てをもらっちゃってるんですよ」
「はぁ」
私は一瞬、この男性が永井家とは何の関係もない、コソドロか何かだったらどうしようと考えた。でもすぐに、まぁいいか、と思い直した。建物こそ立派だが、金目のものは相続で分けてしまったから、盗られるようなものはほとんどないのだ。
それよりも私は、話相手に餓えていた。この家での夜はあまりに静かで、まだ環境に慣れない私には、あまりに寂しいものだった。おまけに大叔母はテレビを持っておらず、ネットの回線すら引いていなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「それじゃ、お邪魔しまーす」
それから永井さんはよく働いてくれた。彼は隣町の小学校の教師で、私と同い年の29歳だという。私たちは話が合って、作業をしながら色々とおしゃべりをした。
「昨日は驚いちゃいましたよ」
食器の入った重い箱を開封しながら、永井さんが言った。
「園田先生、よくあのドレスを着て、庭を散歩してらしたんですよ。だから昨日は、先生が戻って来られたのかと思って……いや、亡くなられたのはもちろん知ってるんですけど」
「そうだったんですか。大叔母って、ご近所の方にはどんな感じの人でした?」
「そうだなぁ。有名な芸術家だっていうから、てっきりすごく変わった人だと思ってたんですよ。そしたら意外にキチンとした人で……ははは、こんなこと言ったら失礼ですね」
「いえ。そういうこと、よく言われるって昔言ってました。本人は『意外としっかりしてるんですね』とか言われるの、嬉しかったみたい」
「そうなんですか。まぁ、こんな辺鄙なところに家建てたところなんかは、変わってらしたかな。ああ、あと時々この辺の農家の手伝いをされてましたね」
「大叔母がですか?」
「作物ができる過程を体験したいっておっしゃってましたよ。知的好奇心の旺盛な方でしたね」
私の知らない大叔母の一面が、初対面の彼の口から出てくるのは、なんだか新鮮なような、悔しいような、妙なものだった。
話しながら作業をしているうちに、ひとり暮らしの私の荷物はどんどん片付いた。四時過ぎに永井家のお母さんが差し入れを持ってきてくれた頃には、私たちはエアコンの効いた食堂で寛いでいた。
「お父さんの世話をしんといけんから先ぃ
訛りの強い言葉づかいでそう言うと、お母さんは何度も振り返りながら帰っていった。やっぱり、ずいぶん日没を気にしているようだ。
私は永井さんに尋ねてみた。
「実は、大叔母からもらった手紙に神様のことが書いてあったんです。実際日暮れになると、何か起こるんですか?」
「それはね、神様が外に出てきて、この辺りの森をうろつくんです」
永井さんはまるで当たり前のような顔をして答えた。
「神様に出くわすと恐ろしいことになるって、昔から言われてましてね。だから皆日暮れの前に帰って、家にこもるんですよ」
「その……神様ってなんですか? なんだか、森に危険な動物でも出るみたい」
口に出してしまってから、失礼な言い方だったかなと後悔した。この辺りで信じられているらしい神様のことを、茶化したように聞こえたかもしれない。
幸い、永井さんは気を悪くした様子ではなかった。柔和な顔に、利かん気の生徒に向けるような笑みを浮かべて、私に「そんなものだと思っていればいいですよ」と言った。
「そんなものって、どういうことですか? 大叔母は……」
私はふと、あまりに荒唐無稽な話をしているような気がして、続きを話すのを少しためらった。「その、手紙に変なことを書いてたんです。弦を弾くような音がしたら振り返るなとか、走ったら追いかけてくるから走るなとか……」
永井さんの顔をチラッと見ると、彼は私の話をバカにする様子もなく、うんうんとうなずきながらこう言った。
「じゃあ、実験してみますか?」
「実験?」
「君島さんはどうもピンときておられないようだから……一度体験してみた方がいいかもしれません」
冗談みたい、というにはあまりに真剣な顔で、彼は私に提案した。が、ふと困ったような笑顔に変わって、
「あ、でもそしたら僕、家に帰れなくなるんで、もし本当にやるなら泊めていただけませんか? 女性の一人住まいのところに、申し訳ないんですが……」
と気まずそうに言った。その態度にかえって真実味を感じた私は、つい深く考えもせず、
「客間があるので大丈夫です。それで、実験って何をするんですか?」
と答えていた。
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