【Ⅶ】やさしいせかい

「――そうか。ミチルの風邪を治してくれたのか」

「ええ。それに、エレナの命も助けてくれたのよ」



 ゴブリン騒動を終えて、ユウとゼノはエレナの父親と共に帰還を果たした。


 先延ばしにされていた食事も無事に開始され、ゴブリンを最上級雷魔法で屠った魔法使いの少年は実に美味そうに黒パンを頬張っていた。

 彼の隣には世界でも希少なダークエルフの美女が、野菜が浮かぶスープを匙ですくって口に運んでいる。その綺麗な所作は見惚れるぐらいだ。


 命の恩人に提供する食事にしてはあまりにもお粗末なものだが、それでも彼らは文句どころか「美味しい!!」「ああ、美味いな」などと賛辞を送っていた。



「こんな美味しいご飯は生まれて初めて!!」

「ああ、本当にな。あんな何もない田舎だったら、絶対に作れねェ」



 この世で最も安価と囁かれる黒パンを頬張る銀髪の少年は、本当に心の底から美味しいと思っているようで、常に満面の笑みを浮かべていた。

 ダークエルフの美女も、スープを口に運んでは「このスープは一体どうやって作ってんだ……?」などと首を傾げている。


 ささやかな食事すらも初めてだとばかりの反応をする二人を眺めるエレナ・スーウェンの両親は、



「一体どれほどの経験値を積めば、あんなふざけた詠唱で最上級魔法が使えるようになるんだ……?」



 彼らの疑問など露とも思わず、密かに村で英雄扱いをされつつある二人――ユウとゼノは夕飯に舌鼓を打っていた。


 ☆


「うわーい、寝袋!! ふかふか!!」



 エレナ宅にて滞在を許されたユウとゼノは、居間に寝袋を二つ借りて寝ることになった。


 使われていない暖炉の前に二つ並んだ寝袋の一つにゴロゴロと転がるユウは、その大人びた見た目に似合わず、まるで子供のようにはしゃぐ。


 遅れて、浴布タオルで白金色の髪を拭いながらゼノがやってくる。

 髪を解いた状態なので、長い白金色の髪が腰骨まで届いている。普段のボサボサ具合が嘘のように大人しくなっているが、髪質など関係ないとばかりに浴布でガシガシと乱暴に拭く。


 ゼノは寝袋の上でゴロゴロと転がるユウを見下ろすと、



「ほら、髪を拭かねえと風邪引くぞ」

「はーい」



 ユウは寝袋の上から起き上がると、青い魔石が埋め込まれた長杖ロッドを持ってくる。

 それから長杖を掲げると、



「《あったかいかぜ》!!」



 魔法はそんなふざけた要求も叶えて、ユウの髪の毛を乾かすように温かな風がどこからともなく吹いてくる。


 春風の如く温かな風が、ユウの濡れた銀髪を丁寧に乾かす。

 一歩間違えれば自分自身を風でぶっ飛ばしかねないが、魔法に関して天才的な才能を有するユウは力加減も完璧だった。絶妙な加減で調整した魔法によって、少年の濡れた髪の毛はあっという間に乾く。


 乾いた銀髪を触って確かめて、ユウは自慢げに胸を張った。



「えへん」

「偉い偉い」



 ゼノは小さく微笑んで、ユウの頬にかかる銀髪を指で撫でた。


 甘える子猫のようにゼノの手に頬を擦り付けるユウは、長杖を掲げて「ゼノも乾かす?」と首を傾げる。



「アタシはいい。どうせそのうち乾く」

「えー、でもゼノの髪の毛とっても綺麗だから、乾かしたらもっと綺麗になるよ?」

「綺麗になっちまったら結びにくくなるだろ。ボサボサでちょうどいいんだよ」



 ユウの鼻をピンと指先で弾いたゼノは、暖炉の前に敷かれた寝袋の一つを指で示す。先程までユウがゴロゴロと転がっていた寝袋だ。



「ほら、もう寝ろ。魔法をたくさん使ったから疲れただろ」

「うん、もう寝るね。早寝早起きは元気の証!!」

「そうだそうだ、元気の証だからな」



 ユウは愛用の長杖を自分が使用する寝袋の側に横たわらせると、いそいそと寝袋の中に入り込む。


 しかし、今まで静かな無人島生活が長かった影響か、他人の家に泊まるという経験がなく、緊張と興奮でなかなか眠気はやってこない。

 普段のユウであれば、寝台に転がればすぐに眠気がやってくるのだが、目を閉じても夢の世界に旅立つことはない。


 ユウはゴロリと寝返りを打ち、もう一つの寝袋の上で胡座を掻く美しきダークエルフを見上げた。



「ゼノ、ぼく眠くなんない」

「おいおい、夜更かしはお化けに誘拐されちまうぞ」



 銀色の長弓ロングボウの弦を張り替える作業の途中だったゼノは、赤い瞳を寝袋の中で転がるユウに向ける。


 夜更かしをする子供はお化けに誘拐されてしまう、とゼノは夜遅くまで起きているユウを早く眠りにつかせる為の常套句として使うが、今日ばかりはダメだ。眠くないったら眠くない。


 ユウは「眠くなんなーい」と寝袋の中でジタバタと暴れ、



「ゼノがお歌を歌ってくれたら寝れる気がする」

「歌がなくても寝れないだろ、オマエ。どんだけはしゃいでんだ」

「じゃあ、なんかお話して」

「思いつかねェから却下」



 銀色の長弓の弦を張り替え終えたゼノは、寝袋の側に長弓と矢筒を並べて置く。

 それから彼女は寝転がったユウと向かい合うと、少年の頭を撫でてやる。



「ほら、目を閉じろ。そのうち眠気なんてやってくるだろ」

「うん……」



 ゼノの言葉通りに、ユウは瞳を閉じる。


 真っ暗闇の中でも、優しく頭を撫でてくれるゼノの手の感覚だけは、はっきりと分かった。



「ゼノ」

「何だよ」

「エレナのお父さんとお母さん、とっても優しかったね」

「そうだな」

「ご飯も美味しかったね」

「そうだなァ」

「ゼノ」

「ん?」

「初めて会った人たちなのに、みんな優しいね」



 ユウは小さく笑うと、



「ぼく、この世界が大好きだなぁ」

「……奇遇だな、アタシもこの世界が好きになれそうだよ」



 ユウにつられて、ゼノも小さく微笑んだ。

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