【Ⅳ】おいでませ、小さな村

 エレナの住んでいる村は、この森を抜けた先にあるらしい。



「この森はたまに魔物が入ってくるから危ないって言われているのだけど、でも遊ぶにはちょうどいい場所だわ。ここにしか咲いていない花や、薬草があるんだもの」

「エレナはそれを拾いにきたの?」

「そうよ。弟が風邪を引いちゃって……村にお医者様や治癒師ヒーラー様はいらっしゃらないから、こうして薬草で治すのよ」



 少しだけ誇らしげに胸を張るエレナに、ユウは尊敬の眼差しを向ける。こんな自分よりも幼い少女が、まさか立派に家族の為になることをなそうとしているだなんて。


 ユウは後ろをついてくるゼノに振り返ると、



「ゼノも、風邪を引いたら言ってね!!」

「安心しろ、ユウ坊。アタシは風邪を引くほどヤワじゃねェ」



 そういえば、ゼノとは長いこと過ごしているが、風邪を引くような素振りは一度も見たことがない。おそらく、それだけ体が頑丈なのだろう。


 三人で会話をしているうちに森を抜け、夕闇に沈みそうな簡素な村までやってきた。丸太を組んで村と森の境界を決める為に門を作っているが、そのチャチな門は暴風でも起きたら壊されそうな気配さえある。


 木造の家屋からは橙色の明かりがちらほらと漏れていて、子供たちは「ばいばーい」「また明日な」などと言いながら各々の家に帰っていく。



「ここが私の家よ」



 エレナの案内で彼女の住む家までやってきたユウとゼノは、意外と立派な家に二人して「おお」などと声を漏らしてしまった。


 少女が小さな手で扉を開ける。ギィと蝶番が軋むと同時に、室内を煌々と照らす橙色の光が外まで漏れてきた。



「お母さん。ただいま」

「エレナ、お帰りなさい」



 帰宅した少女を出迎えたのは、エプロンをつけた妙齢の女性だった。エレナと同じ焦げ茶色の髪を一つにまとめ、簡素な麻のワンピースを纏っている。おそらくエレナの母親だろう。


 穏やかに微笑む彼女は、自分の娘の後ろに控えていたユウとゼノを見やって首を傾げる。



「あら……? お客さん?」

「そうなの。ユウさんとゼノさんって言うのよ」



 エレナは嬉しそうにユウとゼノを紹介すると、



「ねえ、この二人を家に泊めてもいいかしら? お腹が空いてしまっているみたいなの」

「あらあら、困ったわ。二人もどこかに寝られる場所なんてあったかしら……」



 女性は頬に手を当てて、困ったように首を傾げる。


 そもそも二人は寝床を気にする性格ではなく、ただまともな晩飯にありつけるのであれば文句はない。

 ユウとゼノは互いに顔を見合わせると、



「ぼくたち、ご飯を食べさせてもらえるならいいよ?」

「こっちは田舎暮らしが長かったからな、上等な寝床なんざ望まねェさ。ただうちの連れが腹ペコでね、食べ物を恵んでほしんだがな」



 女性はさらに困惑した素振りを見せる。客人を無碍に扱うことを躊躇うとは、彼女も優しい人柄なのだろう。


 すると、部屋の奥にあった扉が開き、苦しそうな咳が聞こえてきた。ユウとゼノが首を傾げると同時に、母親が血相を変えて咳がする方向へ駆け出す。



「ミチル、ダメよ。風邪が悪化してしまうわ」

「お母さん……お客さん、なの? 僕も、挨拶しなきゃ……」



 細々とした声が耳朶に触れて、それからまた激しい咳で掻き消されてしまう。


 母親に連れてこられたのは、寝巻き姿の幼い少年だった。焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳は、エレナと特徴が似ている。ただし少年の顔色は悪く、呼吸しづらそうに咳き込んでいた。


 エレナの話では、弟が風邪を引いているということらしい。

 彼女はハッとした様子で母親である女性に駆け寄ると、ワンピースのポケットから草を取り出した。



「お母さん、これ。私、森で薬草を取ってきたの。これでミチルの風邪は治らないかしら?」

「エレナ、あなた一人で森に行ったの?」



 母親に目つきが鋭くなる。娘が危険な場所に行けば、親として当然の反応だ。


 エレナは怒られると思ったのか、怯えたように身を竦ませて「ごめんなさい……」と謝罪する。ユウとゼノもエレナが怒られるのではないかとハラハラした様子で見守っていたが、彼女はエレナの頭を優しく撫でただけで終わった。



「もう、しょうがない子ね」



 仕方なさそうに微笑んだ彼女は、エレナから薬草を受け取った。


 しかし、母親は「あら、この薬草……」と少し困ったように言う。



「この薬草には毒があるわ。ミチルの薬としては使えないわね」

「ええ、そんなあ!!」



 エレナは愕然と叫ぶ。せっかく森まで薬草を取りに行ったのに、これでは彼女の努力が台無しである。


 がっくりと肩を落とす少女に、ユウがテコテコと歩み寄る。それから母親に支えられている少年と目線を合わせる為に膝を折り、



「ミチル君って言うの? ぼくはユウ、よろしくね」

「う、うん。よろし……げほ、ごほ」



 ミチルという名前の少年は、体を折り曲げて激しく咳き込んだ。



「ご、ごめんなさい。僕に近寄らない方がいいよ……風邪が移っちゃう」

「んーん。大丈夫、ぼくに任せて」



 ユウは優しく微笑むと、青い巨大な魔石が埋め込まれた長杖ロッドを振りかざす。しゃらん、と長杖に施された繊細な装飾の数々がぶつかり合って、綺麗な音を奏でた。


 エレナの家族が不思議そうに見守る中、ユウは杖を一振りした。



「《元気になーれ》」



 緑色の光が少年を包み込む。


 どういうことか、少年の顔色が途端によくなり、激しい咳も聞こえなくなった。緑色の光が消えると、もうそこに立っているのは風邪を引いた少年ではなく、文字通り元気になった少年がいた。



「ユウさん、凄い!! もしかして治癒師なの!?」

「ぼく、魔法が得意なんだ。だからたくさん魔法を使えるよ!!」



 エレナの称賛に、ユウは自慢げに胸を張って言うのだった。

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