第二話 創生
名前を手に入れてから、私は世界を歩き回った。
どれだけ歩いてもこの身体は疲れない。
そして食事を必要としなかった。
おそらく、代謝というものが存在しないのだろう。
まるでおとぎ話のようだが、不老不死の様な身体なのかもしれない。と言っても、私が眼にしているこの世界がそもそも大概だったか。
歩いていると、色々な事を思い出した。山、川、海、太陽、月、星、雲、雨……そして、数多の生物。
それから、人間。
沢山の事を思い出した。
だけど、どこもかしこも泥だらけだった。
世界を歩いて確信する。事物は例外なく泥と化していた。一切は溶け、形を崩し、流動し、世界は平坦な泥の平野となっていたのだ。
かつて恐ろしい規模で世界に横たわっていた海も、今は境目すらわからない。だがおかげで、私はどこにでも行けた。
……どこへ行っても、景色は変わらなかったが。
しかし空には雲があり、時には雨や雪も降った。
時には虹がかかり、オーロラが見えた。この泥まみれの世界で唯一、空だけはいつも美しい。元気を貰えるようだ。
そして途方もない距離を歩いたある日。
「まさか」
私は初めて、泥のない地域を見つけた。
刮目する。鼻がしびれ、視界が揺らいだ。
そうだ。人は、涙を流すのだ。
生まれて初めて、感動を体験した気分だった。
「……あったのか。こんな場所が」
私の中にある『記憶』がうずくのだろう。剥き出しの土、そこへ根付く植物、雨が貯まった池などを見ていると胸がしめつけられるようだった。
見渡せばかなりの範囲に自然が溢れている。
まるで泥の海に浮かぶ島だった。
立ち入る事を躊躇ってしまうほど美しい、楽園と呼ぶにふさわしい様相だ。
「だが、どうしてここだけ」
意を決して上陸した私は、じっくりと島の中を観察した。そこにあるのは、掠れた記憶と変わらない自然の風景。当たり前だった筈の光景は、今や違和感を覚える程に希少な存在になっていた。
「……島の中にも、泥はあるのか」
歩いていると、泥の沼のような物を見つけた。
だが、少し様子がおかしい。
「これは……他の物と比べて、濁りが少ない?」
澄んでいる、なんて言えたものではないが、しかし今まで見てきた物に比べると粘性が低く、水に近いものがある。
泥に変化が起きたのか、と手を伸ばし触れてみた。
そこで私は、不思議な感覚に襲われる。
直感の様なものだった。
可能性を秘めたタネのような。
命を生み出す子宮のような。
この泥に対して、私は『すべての命の元』という荒唐無稽なイメージを抱いた。
「試してみよう」
手を入れたまま、傍らにあった植物をイメージした。驚いたことに、私はその植物を『良く知って』いる。こうなる前の私は学者だったのだろうか。
やがて泥に触れている指が温かくなるのを感じた。
あと一押しできっと、この子は芽吹くだろう。確信と共に小さく泥をかき混ぜた。
「発光、した?」
じわり、と泥が光った。
そして次の瞬間。まるで嘘みたいな速度で、泥から植物が伸びたのだ。
「創った……のか。私が、コレを……?」
すくすくと成長した植物は、やがて私ほどの背丈になると動きを止めた。これは樹だ。がっしりとした根を地面に張っている。
そして見れば、そこにあった泥は消えていた。
【———混沌の泥―——】
それまで浮かんだことのなかった記憶が、雷光の如く駆け抜けた。
「———ッぐ、なんだこのイメージは」
誰かが……どこかの密室で話している。
男だ。嬉々として。誇る様に。
女性である『私』に語り掛けている。
【これは
プロジェクト名は『 Seven trumpets 』だ、覚えておくといい、白月教授】
私はそれを、憎々しげに眺めていて―——そして。
「これ以上は、思い出せない……」
フラッシュバックした誰かの記憶が、砂嵐に飲まれるように薄れていく。
今のは……一体なんだったのだろうか。
「いや、今はいい。それよりも」
頭を振り、樹に向き直る。
これを私が創った。つまり辺り一面に溢れる泥を『使う』ことで……私はかつての世界を取り戻すことが出来る。
植物を再生することは出来た。
ならば、生物であっても、きっと―——。
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