第27話 オノ

 安心院ジムは、出稼ぎで日本の地へと降り立った。


 女手一つで育った恩を返すため、成人するにはあと五年以上はかかる弟たちのため

に、自分たち家族を捨てた父親の祖国で働き始めた。


 環境は劣悪だった。


 外国人だというだけで、過酷な労働内容に、劣悪な上司の態度、寝食も満足に出来

ないほどの労働時間の割に合わない給料。


 それらは確実にジムの肉体と精神を蝕んでいった。


 「今日は変わってやるから、帰れよ」


 それでもジムには、仲間がいた。


 お調子者だが、人情に厚い安養寺洋二が、連日の疲労からめまいを起こしていたジ

ムの作業を交代した。


 「俺の分のタイムカード切っちゃったから、ジムのやつでやっとくわ」


 「そ、…それは良くないネ…、ヨウジも自分の用事を優先するネ!」


 「いいって。俺まだ独身だからさ、ガキの重りも嫁の監視もねえんだわ」


 「でも…」


 「今度ラーメンでもおごってくれたらいいよ。ほらほら、帰った帰った」


 躊躇うジムの背中を軽く押して、ジムが途中まで終わらせた仕事を引き継いだ安養

寺。


 しかし、場内造は、それを面白く思わなかった。


 「おいジムっ! なに日本人の同僚に仕事押し付けてんだよ! お前は片言しか喋

れないバカなんだから、単純作業の一つや二つ、きっちりこなせ! このポンコ

ツ!」


 自分より背の小さい場内の右足が、ジムの背中に押し出される。疲労の溜まったジ

ムは、そのまま作業台へと倒れ込んだ。


 「おい! 大事な荷物に倒れ込むな! 職安がうるせえからお前のこと雇ってやっ

てんだよ。本当だったらもっと優秀な、若いやつを連れてくるつもりだったのによ

ぉ。とんだ貧乏くじだぜ!」


 「くっ…」


 ジムは歯噛みしながら、それでも家族のことを頭に思い浮かべながら必死にこらえ

た。


 本心では、安養寺の助けは、助かるというよりもむしろ邪魔だった。目先の仕事を

肩代わりするだけで、本当のところは助かっていないし、現にこうして場内から報復

を受けている。


いつかジムを楽にさせてやる。なんてきれいごとを並べているだけで、大それたこと

は何もしてくれない。


 人を助ける人間なんて、結局は自己満足でしかない。ジムがここで一番よく学んだ

ことだった。


 町工場の経営は、ここ数年の赤字により、次第に経営が難しくなっていく。それに

つれて、ジムの労働は何倍にも膨れ上がっていく。仕事をして一年になるからと、膨

大な仕事を押し付けてくる。


 逆らったことによる解雇をちらつかせながら、場内は、ジムを酷使し続ける。


 そんなある時。


 ジムは、倒れた。


 誰よりも背丈が大きく、肩幅の広い大男が、不健全な表情で冷や汗を掻きながら現

実と暗闇の境に意識をさまよわせた。


 完全に気を失い、次に目が覚めた時には病院のベッドに横たわっていた。


 そして、男がそばに立っていることに気が付いた。


 安養寺でも、もちろん場内でもない。


 「よお、初めまして。俺はあんたと同じく、場内を憎んでいる男だ」


 尾野輔と名乗る青年は、力強い眼差しで、本当の救いの手を差し伸べた。


「あいつに地獄を見せてやろうぜ。そのためには、あんたの力が必要だ。覚悟はある

か?」


 ジムは直感した。この青年は、きっと自分が望む方向に導いてくれる。そんな力

が、彼の自身に満ちた表情から伝わってくる。


 詳しい内容を聞いていないのに、ジムはすっかり尾野と名乗る青年に協力した。


 ジムの直感は正しかった。


 尾野は、やってくれた。


 経営不振のストレスからの窃盗・そしてジムへのパワハラの証言により、裁判に勝

ち、彼は警察に出頭された。


 「オノは憲兵だろ? どうして警察なんかにやるネ?」


 正直、場内造は憲兵に掴まってほしかった。物を盗った手と、ジムのことを蹴った

足を切り落としてほしかった。情けなく激痛に涙を流しながら無関係の観客に好き勝

手に非難されて欲しかった。


 だから、尾野のやり方には納得いかなかった。


 しかし、尾野の提案で、ジムは納得いった。というよりもむしろ、納得いく以上に

恐怖で震えた。


 「あいつを脱獄させるんだよ。じっくりと懲役刑を味合わせた後に、脱獄させて、

あいつを憲兵で捕まえる。懲役刑が終わる前に脱獄させれば、まだあいつは罪人。腕

も切れるって寸法さ」


 安養寺のような一般人以上に、この国のことを知っている男だった。いや、知って

いるなんて言い方は不正解で、この国の仕組みをまるで完璧に使いこなしていた。


 「あんた、…すごいネ…!」


 ジムは震えていた。


 自分を虐げていた場内造など、ただの小物にしか見えなくなるほどに。


 「ああそうだ! ジム!」


 尾野は、快活に笑いながら、ジムを真っすぐ見た。


 「お前にビルの一室を貸してやるよ? まあ、大家は違うやつなんだけど。お前が

来たらあいつも喜ぶと思うよ」


 それからジムは町工場で働くことを辞め、羽田という男が権利書を持つマンション

の四階に住むようになった。


 羽田は、好きに使ってください、と言い、『あること』を条件に、節約すれば二年

は過ごせるような金額を与えてくれた。三日の熟慮の末、ジムを始めることにした。


 場内の工場で作られる部品が、フィットネスの器具に使われることが多いから、と

いう半ば漠然とした理由ではあったが、それは、友人である安養寺のためでもあっ

た。


 安養寺は、場内から権利を買い取り、経営を始めた。


 今まで、色々と世話になった彼に恩を返せるとすれば、これだと思い立ち、ジムは

安養寺新工場長に発注を始めた。


 それが、一年前の出来事。



                   △△△


 「ヨウジ!」


 「ここで終わりなんだよ! この小娘も、お前らも! 全員根絶やしにしてや

る!!」


 振り下ろされるナイフが、百葉の脳天に届く。


 その直前。


 「やめろぉぉぉぉぉ!!」


 凄まじい速さで急接近する人影が、手に持った獲物で、場内造の手を打ち、ナイフ

を遠くに弾いた。






 「百葉を殺すなら、まずは僕から殺せ! 場内造!」


 「君は…あの時の…」


 打たれた手を痛めながら、リンリを睨みつける元脱獄犯・場内造。


 「どうして…、どうしてあんたが…!」


 尾野からは、ジムと場内の関係について聞かされたばかりだが、未だに気持ちの整

理がつかなくて、頭では事情を把握していたが、心では娘の幸せを願っていた場内造

が悪人だということを簡単に受け入れられなかった。


 「どうして…リンリくんが…」


 「どうしてって、僕はこの人たちにお世話になったからで…。場内さんこそ…どうしてこんな…?」


 自分の味方同士が、対立していることにリンリは混乱していた。


 「っく、…っくくくくく」


 突然、場内は顔の肉を引っ張るように不敵な笑みを浮かべた。


 「なにが…そんなに…」


 「決まってんだろっ!! 復讐だよ!!」


 すると一転、彼は何かを思い出したかのように大きく動揺し始めた。


 「おいっ! オマエ!!」


 ジムの怒号が、後ろから響いた。ジムもまた、取り乱している。


 「俺たちはな、こいつらに…っ!!?」


 雷が落ちるような速さで繰り出された手刀が、場内造の首に打ち付けられた。


 「余計なことをべらべら喋るなよ、おっさん」


 泡を吹き、白目を剝いて横たわる壮年に、誰もが恐れおののくような剣幕で見下ろ

すのは、『処刑人』・尾野輔だった。

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