第26話 オマエ

 「あー、おいしかった」

 

もうすっかり暗くなった空を見上げるように、百葉はお腹を押さえながら身体を逸らす。

 

「それはそれは良かったネ! リンリはどうだったカ?」

 

「はい、すごくおいしかったです」

 

満足した顔で女の子みたいに両手を合わせて身体をくねくねと左右に動かすジムが、


そのままの抑揚で、リンリに感想を問うた。


 「それは良かったネ」


 リンリの笑顔を見ると、ジムは急に落ち着き、安心したようだった。


 前を歩く百葉と安養寺に聞こえないような音量で、ジムは言った。


 「さっき、モモハが少し怒ってたからネ。ちょっと心配だったヨ」


 たくましい巨体の彼は、柔和な表情でリンリのことを見守っていたが、しかし、リ

ンリに釘を刺すように言う。


 「あんまり、モモハに意地悪なこと言うもんじゃないヨ」


 「…」


 リンリは黙り込んだ。


 百葉に対しての態度が『意地悪』という言い回しをリンリはよくされている。ミセ

スローズや今こうして叱咤するジム、そして百葉本人にも。


 突き放したかったのだ。


 なぜなら、こんなリンリのような落ちこぼれのクラスにいることも、リンリの母親

のことも、汚点になってしまう。


あんな正念場倫理と一緒にいる。憲兵の最高峰を目指す彼女の邪魔だけはしたくな

い。


…なんて。


 「リンリ? どうしたネ?」


 「いや、ちょっと食べ過ぎて、眠くなったかもです」


 建前だ、そんなもの。


 リンリは、自分に正直になっていた。尾野との出会い、脱獄犯たちとの関わり、そ

して『処刑』への克服が、心の奥底にある本心を気付かせた。


 そう、リンリは…。


 単純に、百葉のことが、煩わしかった。


 「あっ…」


 もう一つ、リンリの本心に気付かせてくれた人を、思い出した。


 「あっ…」


 リンリは、手を振った。


 私服姿のユキは夜空に浮かぶ月なんかよりも美しく、神秘的に輝いていた。


 「リンリ…」


 殺伐とした空気を再び感じると、みんなどこかバツが悪そうな顔でリンリのことを

見ていた。


 百葉だけは、今にも誰かを殺しそうなほどの憎悪を湛えたような目つきだった。



                 △△△



 「なあ、あいつ」


 「やっぱりおかしいよな」


 「うん…」


 「やっぱり男子たちのせいなんじゃない?」


 「俺ら何もやってねえし!」


 「いやー、飯誘うかね」


 「あいつが俺たちの誘いに乗って来るか?」


 「まあ、そうだよな。あいつから待ってみるか」


 三限目の授業の最中、リンリは私語を慎まない彼らの談笑を聞き流しながら、昨日

の百葉の表情を気にしてしまった。


 なにをあんなに怒っているのだろうか。百葉のことを分かっていたつもりでいたリ

ンリは、幼馴染にも見せてこなかった顔を初めて目にし、驚くばかりだった。


 温厚で優しい百葉が、すっかり別人になったような。彼女はあんなナリをしていて

も普通の女子とは一味も二味も違うことを思い知らされる。


 スマホの着信が鳴った。


 「誰だ?」


 「あん?」


 「っ、この音、正念場くんのとこから聞こえない?」


 周りの視線でようやく、その着信音が自分のスマホから鳴るものだと気付いた。ク

ソ真面目な自分に限って。今日は本当にあの百葉の一面に動揺してしまっている。


 リンリは鳴り続けるスマホを、赤子を抱えるように両手に持ち、うるさい談笑から

離れるように教室から出て、その間も未だに鳴り続けるスマホの応答ボタンを指で押

し、応答した。『尾野輔』という文字に気圧されながらも、応答した。


 「授業中だったんですけど」


 「お前、今来れるか? ジムが…」


 悪態をついたリンリの応答に、彼はお構いなく、自分の要件を伝えた。






 余りの焦りから尾野の部屋の玄関を乱暴に開け放し、そのまま部屋に立ち尽くす尾

野に、リンリは電話の内容を詳しく聞こうとした。


 「百葉がさらわれたって、どういうことですか!? それにジムも!」


 「落ち着け」


 尾野がリンリを落ち着かせる。そうする本人も、どことなく焦っている様子だっ

た。


 「あいつら…。大胆に動きやがるじゃねえか…」


 「尾野…さん?」


 尾野が、腹の底から怒っているように、右の拳を震えるほどに力強く握りしめる。


 目を逸らすリンリは、足元に、女の髪のような長い毛を見つける。相変わらず適当

な遊び人というイメージが離れない男は、怒ると一人の大人のような怖さを感じた。



                 △△△



 「っ!?」


 目が覚めると、自分が椅子に座っていて、大きな倉庫のような部屋にいることに数

秒経ってから気付いた。


 後ろに回された手は縄のように縛られていて、口にも何らかの器具を装着されてい

て舌が回らない。


 「ううっ!」


 隣から男性の声が聞こえる。


 ジムだった。


 その隣には、安養寺洋二の姿が見える。


 自分を含めて三人ともが、自分と同じように拘束されているのが分かった。


 そして、もう一人の男が、横並びになる三人と向かい合うようにして立っていた。

知らない男だが、拘束されていないことから、この男の善悪も容易に判別できた。


 「うっ、うう!!」


 「ようやくお目覚めか」


 先ほどまで通学路を歩いていた百葉は、突然の事態に驚きを隠せず、不覚にも敵と

思われる存在の前でみっともなく声を漏らし情緒を乱した。


 「へえ…。いい目をしやがるなぁ、お嬢ちゃん」


 男はまるで自分の娘を愛でるかのように頭を撫でる。


 百葉は、さらに取り乱した。身体の内側から溢れださんばかりの嫌悪感に苛まれ、

下に見ている男に主導権を握られていることでプライドを傷つけられたからだ。


 それはジムも、その隣にいる安養寺も同じ気持ちだろう。


 「まずはお前たちから処刑してやる」


 そう言い放ち、男はジムの口元の拘束具を解いた。


 「場内、オマエ!! くっ…!」


 「元上司だとは言え、『オマエ』呼ばわりか。…この状況なのに、いい度胸だ

な!」


 「こんなことをしてどうなるか分かってるのか!」


 ジムの怒声に怯むことなく、場内造は堂々と答えた。


 「俺はもう、腹くくってるんだよ! 娘の晴れ舞台も見たしな!」


 残った左腕でナイフを手に持つ場内造。


 「まずはお前からだ。小娘!」


 「っ!!」


 「モモハ!!!!」


 場内は、ナイフを振りかぶった。


 リンリ…!

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