Ⅲ
第24話 資格
「ねえ、今日は本当に平気なの?」
「うん」
幼馴染の百道百葉の何度目になるか分からない質問に再び頷くリンリ。
ミセスローズのお店の件から三週間が経った今、何度目かの処刑見学の授業を経
て、リンリはついに、あの歯切れの悪い斧で叩きつけられ飛び散る血液と、受刑者へ
の罵声を浴びせる聴衆たちの重圧を克服した。
そして、あの不気味なヤギ頭も。
「…良かった」
百葉は何度も同じ質問を繰り返したのち、ようやく信用した様子で、ソファの背も
たれに身体を預けて、漫画やアニメでしか見たことの内容なわざとらしい感じで大げ
さに倒れ込んだ。
「じゃあ、あとは卒業するだけだね」
「うん」
『処刑』を行うには、資格が必要だ。憲兵になるか、憲兵が管轄する『処刑人』の
資格を取る試験に合格する、もしくは憲兵公認の学校で卒業証書をもらうことだ。
リンリはいま、一年生。後の二年は処刑が出来ないのがもどかしい。高校生活の青
い思い出なんていらないから、早く処刑台に立つ権利が欲しかったし、学生気分でい
る間にも尾野の手によって受刑者たちが必要以上に傷つけられると思うと、居ても立
っても居られない気分になる。
「気が逸ってるよ。リラックスリラックス…」
百葉が、クスッと笑いながらリンリの手を取り、そっと撫でる。
「ありがと」
今日は、なんだか化粧気の多い顔の百葉に違和感を感じながらも、いつものように
軽くお礼を言った。
リンリの発言に、何か言いたそうな百葉は、しかし途中で割り込んできた羽野に阻まれる。
「お待たせ。今日のおすすめメニューの、季節の海鮮クリームパスタ」
喫茶店の店主、羽野がリンリにとっては都合のいい、百葉にとっては都合の悪そう
なタイミングで割り込んできてくれた。
「わぁ…」
女子のようにうっとりとした表情で恍惚と声を漏らすのは男子のリンリ。百葉は、
羽野の店で働いているせいか、彼の作った料理に感慨一つもなかった。
百葉は、他よりも女の子らしい容姿をしているくせに、女の子が喜びそうな物事に
はあまり関心がない。
それなのに、ここでバイトをしているが…、まあ、みんながみんな好みで職場を選
んでいるわけではないし、リンリがとやかく言う必要はないだろう。
「今日は私が持つから、たくさん食べなよ」
「えっ、それは遠慮しとくよ。別に祝い事でもないし、同級生からおごってもらう
のはちょっと…」
苦笑するリンリに、百葉は頬を膨らませた。
「もう~。そういうとこあるよね。せっかく人があげるって言ってるんだから、素
直に受け取らないと、失礼に値するよ?」
決して比喩ではなく、三百回は聞いたことのある内容に、次は「はいはい」といい
加減な返事をして百葉の好意を受け取る。このやり取りも三百回以上は行っている。
「もしかして」
すると百葉が何とも馬鹿げた問いを口にした。
「今日にでも尾野さんに、『処刑』してもいいよって言われても、『処刑』しない
つもり?」
百葉は、まるで悪気がなさそうに、リンリを試すような目で見た。
「そ、それは…」
即答できない自分を情けなく感じながらも、やはり、きちんと正しい道のりを歩み
たいという気持ちが大きかった。『処刑者』としての権利を手に入れてから、堂々
と、正当な裁きを振るいたい。
「ヤギ頭を被ってるから、一回くらいやったって、きっとバレないよ?」
百葉は、この話を続ける。
「意地悪な質問だな…」
「いっつも意地悪なのは誰よ」
はぐらかさないで、と言わんばかりに、リンリを睨みつける。こんな平和な休日の
昼間に、急に話をして彼女は一体どうしたのだろうか。
「…そんなズルは、したくない…」
リンリはやはり、クソ真面目である。自覚はある。
「へえ、そうなんだ」
ため息交じりに笑い飛ばした百葉。その笑い方は明らかに相手を小ばかにするよう
なものだった。この腰抜けが、と言わんばかりに。
「あなたの嫌いな人が、何か罪を犯して憲兵に掴まったとしても?」
「っ!?」
心臓が引き締められるように、苦しくなった。
目の前の、人畜無害な風貌をした小柄の女は、憲兵学校の優等生としての顔つき
で、再びリンリに問うた。
リンリの閉じ込めていた記憶たちが、一斉に蘇る。
母の腕を切り落とした尾野輔。
無関係なくせに、無責任な罵声を浴びせ、蔑むような眼差しで母を見やる聴衆。
そして…。
「それでも、他人に譲るの? 切れ味の悪い斧で何度も切りつけたくないの?」
「それは…」
身体が震えていることに気付いた。息が乱れて、今にも発狂しそうなくらいだ。
リンリは、現実から目を背けていたというのか。
なにが正しいのか分からなくなってきた。復讐するためなら、処刑人の資格がない
状態でもヤギの頭を被って、復讐すべき相手をギザギザの斧で何度も切りつけるのが
正解なのか。
それとも、復讐すべき人間が憲兵に掴まり、『処刑』されようとしても、自分はまだ
資格がないからできない、と傍観者として清々した気持ちになるのが正解なのか。
ただ、今の自分の立場による問題を除いた、リンリの純粋な気持ちとしては…。
「切らなくても、いいよ」
翳りのある百葉の声は、何か後ろめたいことを隠しているようだった。
「リンリは、『処刑人』になんかならなくていい」
怒りのような、あるいは焦りのような色を含んだ声だった。
着信が鳴った。
尾野からだ。
『今日も仕事だ。もちろん手伝うよな?』
次も脱獄犯だろうか、とリンリは警察の手に回る前に捕まえてやろうと躍起になっ
た。
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