第23話 安堵

 ミセスローズを犯した男たちは、脱獄犯だった。


五年の懲役刑により警察から身柄を拘束されていたが、男たちは脱獄した。


いや、脱獄させたのだ。


尾野輔と、彼と繋がっている警察組織の人間の力によって。


事情はミセスローズ本人が打ち明けてくれた。


そして、店内での騒動の翌日。


例のごとく、主犯の男の腕から、例のごとくミンチを挽くように何度も、何度も切れ

味の悪い錆び付いた斧を振り下ろされる。


気持ちの良い夏の青空に、断末魔のような叫びと、飛び散る血液、そして何の関係の

ない野次馬たちの罵声が飛び交った。


ヤギ頭は、徐々に速度を上げていった。


「尾野さん…」


一撃で腕を切り落としてやらない彼のやり方を相変わらず嫌いながらも、今回ばかり

は少しだけ清々する気持ちになり、むしろ、ざまあみろ、と受刑者に思わざるを得な

かった。


自分が信頼する人を傷つけた人が、今まさに痛みにもがき、喘ぎ、涙をする光景を見

つめて、リンリは思わずほくそ笑んだ。


しかし、ミセスローズの痛みはそんなものではない。そんな一時のものでは収まらな

いくらいの激痛なんだ、と拳を固めたまま、怒りに震えた。






 「リンリ君、大丈夫だった?」


 自分が被害に遭ったことを打ち明けた彼女は、自分の方が精神的に苦しいだろう

に、処刑を見たリンリのことを心配した。


 「はい、もう慣れました」


 本当に、母のような優しい人だった。だからリンリは、少し吐き気がする、なんて

小さな弱音も吐きたくなくて嘘をついた。


 「そう。良かった。…そうそう、尾野さんにお礼を言わないと」


 リンリの平気を安堵した直後、思い出したように独り言を言ったミセスローズ。


 「誰にですか?」


 聞き間違いだろうか、それを確かめるために誰に感謝をするのかを問うリンリに、

彼女はクスッと笑いながら教えてくれた。


 「あなたが一番嫌いな、あの人よ」


 「まさか、尾野…さん」


「そうよ。私が犯された直後からずっと、私のことを助けてくれたから。今のお店だ

って、彼が『処刑人』としての収入を少しずつ分けてくれたから開けることが出来た

し」


 「えっ!? あの人が!?」


 あんな粗雑で適当なプライベートを過ごし、残虐極まりない『処刑』を行う男が、

そんな思いやりのある行為をすることに、リンリは驚嘆せざるを得なかった。


 「五年前から、憲兵として身柄を拘束しようと頑張ってくれたの。そして、その願

いはもう叶えられてる。復讐も達成してるし」


 「そう、なんですね…」


 まさか尾野が他人のためにそこまでしてくれる男だったとは。ただ、罪人の腕を切

り落とすことに快楽を覚える異常者かと思っていたけど、少しは見直さなければなら

ないかもしれない。


 ただ、母の腕を一撃で切り落としてくれず、娯楽のように傷つけたことは絶対に許

せない。『処刑』を完全に克服し、尾野からその座を奪い取り、優しい処刑を実現す

るまでは。


 「リンリ君」


 「はい?」


 彼女は急に居住まいを正し、真剣な面持ちでリンリを見つめた。


 「ありがとう」


 「えっ」


 年上の女性に深々と頭を下げられたリンリは、場内造に土下座された時のように、

当惑してたじろいだ。


 最近は大人から感謝されることが多くて、どうしても照れてしまう。


 「い、いや、僕はただ、ミセスローズの事情を知らないまま突っ込んだだけです

よ! たまたまですし、それに、尾野さんがいなかったら僕は死んでたかもしれな

い」


 まだ未熟なリンリは、抱えきれない感謝の意を素直に喜ぶことが出来なかった。


 「リンリ君って、やっぱり真面目ね」


 「…」


 黙り込むリンリに、突然、彼女は自分の胸にリンリの頭を引き寄せた。


 「えい!」


 「えっ!!」


 視界が真っ暗になって、頭部が、心地が良くなるくらい柔らかいものに包み込まれ

た。


 圧迫されているのに、気持ちがよかった。なんて思ってしまった。


 「みっ…! みへふほーふ(訳:ミセスローズ)!?」


 数秒して解放されたリンリは、あまりの出来事に顔が火照っていた。


 すると目の前には、普段通りの、いたずらっぽい笑みを浮かべる彼女が、リンリに

笑いかけた。


 「えへへ…。私のために頑張ってくれた少年にご褒美です。チューがよかった?」


 「そういうわけではないです!」


 「されるなら百葉ちゃんの方がよかったとか?」


 「それはないです」


 「やっぱり、リンリ君って意地悪なのね」


 純粋な少年の心を弄ぶように笑う彼女の方がよっぽど意地悪じゃないか。


 リンリは心の中でため息を吐きながらも、その実、元のからかい好きの彼女に戻っ

てくれて良かったと、安堵するばかりだった。




       △△△


 僕は今日も、処刑の後始末をしていた。


 血にまみれた処刑台を、水道に繋げたホースの水で洗浄していく。洗剤を散布し、

ブラシで磨き上げた床や備品の泡たちを一掃する。


 尾野は相変わらず、先に帰っていった。


 一人になった僕は、ふと、ラックに装丁された『斧』に視線を注いだ。


 錆びだらけで切れ味の悪い斧。


 受刑者を必要以上に痛めつける悪魔の斧。


 いや、本当の悪魔は…。


 この斧を、一度でも研磨、もしくは破損しようものなら、尾野に殺されてしまうだ

ろう。


 僕は、慎重にその斧をラックへと戻した。


 尾野の『処刑』は、僕が死ぬまで終わらないだろう。




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