第21話 また明日
そんな男が今、優香—ミセスローズがどん底からようやく手に入れた居場所に、土足で入り込んできた。
どの面下げて、やって来たのか。
「優香」
いやらしくねめつけるように、身体をつま先から頭までジロジロと見やる樫木。
「その名で呼ぶな…」
ようやく出た声が、か細く弱弱しいことが悔しかった。
「なにしに来たのよ…」
足に力が入らない。いま気を抜けば腰を抜かして二度と立てなくなりそうだった。
すると樫木は、何を言っているんだと言わんばかりに顔をさらに歪ませた。
「酒飲みに来たんだよ。客としてな」
「…っ」
「なんだ? この店は客を入れないのか? 客を選ぶのか?」
樫木は、優香が何に弱いのかを知っていた。一応、交際をした仲だったから。
「いらっしゃいませ」
ここで働くボーイが、違和感を鋭く感知しながらも普段通りの接客を行う。
「何名様でしょう」
「何名って…、ふんっ」
樫木は、この上ない不気味な笑みを顔に張り付けたまま、後ろにいるだろう人間た
ちを手招いた。
「っ!」
優香は、息を乱した。
知っていた。
自分を犯した犯罪者たちが、憲兵ではなく警察に身柄を拘束されたがために、五体
満足で刑期を終えたことを。
優香は、激しく後悔していた。
犯されたあの時期。憲兵ではなく警察を呼んでしまったことを。
自分が、怯えてしまったおかげで、『再犯』の可能性を生んでしまったことを。
その激しい後悔と共に、呼吸が激しく乱れる。
太く強靭な腕たちが、自分の元へと無数に伸びる映像がフラッシュバックする。
各々の指先が、生き物のようにうごめき、不快感と恐怖心を植え付けた感触を思い
出す。
そして今。
「あっ…」
優香は、腰を抜かした。
意識は辛うじて保っていたが、どうにもすぐには立てそうになかった。
「ローズさん!」
店を始めた当初からのスタッフの酒本が、優香に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ…。ちょっと働き過ぎたかも」
心配そうに見つめる彼を、さらに心配させないように笑って見せる。
「ミセスローズを指名するぜ!」
「えっ…」
もう二度と聞きたくもない声が、そう告げると同時に、身体中の血の気がさっと引
くのを感じた。
今、この男は、何と言ったのか。
消耗しきった精神による幻聴か聞き間違いだろうか。それならそうであってほし
い。
しかし。
「ミセスローズ、今空いてるよな?」
樫木は確かに、自分の名を呼んだ。
「まあ、今日は空いてなくても、また明日があるしな。明日が空いてなくても…、
ひひ」
目を細めた彼は、地面に尻を付けた優香を再びねめつけるようにして一瞥した。
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